第3話
後日、警察の調べにより、宮城県屋山市の森林にて、北村史子の遺体が発見された。死因は首つりによる自殺であり、周囲からは他の人間が立ち入ったような痕跡は見つからなかった。死亡から発見までにだいぶ時間がかかったこともあり、遺体の腐敗はだいぶ進行していたため、警察は遺体の身元を特定するのにかなりの苦戦を強いられた。しかしDNA鑑定をかけたところ、遺伝子が北村史子のものと一致したため、警察は遺体が彼女のもので間違いないと判断を下した。
遺体の首周辺にはいくつもの切り傷が出来ており、史子は苦痛から逃れるため、死に際に何度も首を掻きむしっていたことが推測される。しかし、それ以上にひどい損傷個所は特に見られず、専門家から見ても、遺体は比較的綺麗な状態で放置されていたようだ。
また、史子には配偶者がおらず、父方も彼女が生まれてすぐに亡くなっていたとのことである。警察は残った史子の母親に聞き込みをしながらも、彼女が自殺に至った原因について現在も調査を進めている。
史子の死が判明してから5日目。自室のベッドに横たわりながらも、静華の精神はいまだ休まらずにいた。
史子さんは、やはり亡くなっていた。死因は、首つりによる自殺。彼女はたった一人で森林へと踏み入れ、誰にも見つからない場所でひっそりとこの世を去っていったのだ。
朦朧とする意識の中、静華が巨大なクマのぬいぐるみを抱えながらゆっくりと瞼を閉じる。
あの時聞いた、スピーカーから流れ出る騒音の数々。もしかするとあの音は、史子さんが死に際で放った、最後の断末魔だったのかもしれない。細い気管支から漏れ出る、鈍いかすり声。そして、何度も何度も繰り返される浅い呼吸音。あれが断末魔だというのなら、なんて痛々しいことだろうか。史子さんがどれほどの苦しみとともに亡くなったのか、想像するだけでも背筋が凍る。
耳元で再び、2時35分の不協和音が奏でられる。静華はぎゅっとぬいぐるみを抱きしめ、なんとかして恐怖をごまかそうとした。
店長と話し合い、史子さんの一件については、職場では一切口に出さないことに決めた。もちろん、私が警察へ連絡を取ったことも秘密である。パートの皆さんにはあの夜のことについて「何もなかった」の一言を貫いたが、意外なほどまでにすんなりと納得してもらうことが出来た。もっとも、皆何か言いたげにニヤニヤ顔を浮かべていたが。
店長とはあれ以降も何度か会話を交えたが、結局、あの夜のことについてはお互いに忘れようということで終着した。店長としても、かつての仕事仲間が亡くなっていたことに何か思うところがあったのかもしれない。そのため、私も職場では例の話を持ち出すことのないよう、入念に注意している。ただ……。
静華がベッドの上で大きく腕を広げ、じっと天井を見つめる。
――きて
あの言葉を聞き、店長は不可解なほどまでにひどく怯えていた。幽霊と会うのを心待ちにし、心霊スポットへも臆せずに突撃するような人が、なぜあのような表情を浮かべたのか。どうにも、不思議に思えて仕方がないのである。
「きて……」
閑静な自室で、静華がなんとなく呟いてみる。
店長から話を聞いた限り、史子さんは職場で、かなりの非道な扱いを受けていた。そしてその一つが、史子さんがメインレジの時に一切フォローをしないという陰湿な嫌がらせであった。ゆえに、史子さんが『きて』と何度も連呼していたのは、彼女がフォローを求めていたから、つまり「来て」という言葉とともに彼女自身が助けを求めていたからなのだと、そう思っていた。
……けれど、店長はあの言葉に対して、異常なほどまでの恐怖心を見せていた。まるで、『きて』という言葉に別の意味があるかのように。
静華がベットから上半身を起こし、ぼんやりとしたまま携帯の検索アプリを開く。するとそこには、井西異夢が投稿した、例の一文が表示された。
そういえばあれ以来、わざわざ携帯で調べ物をすることはなかったっけ。あの時、サイトを閉じずにアプリを落としたから、このままになっていたんだ。確かこれを見ながら、店長と二人で「2番」という単語を導き出したんだっけ。
「2番……」
そういえば、私たちは2番レジのボタンを押したはずだが、史子さんが現れたのは3番レジだった。なぜ、わざわざ私たちと異なる場所に史子さんは現れたのだろう。なぜ、2番レジでなく、3番レジの方を選んだのだろうか。
その時、軽快な音楽とともに、静華の携帯が振動した。電話の着信元を確認すると、そこには蓮の連絡先が表示されていた。通話を承認し、静華が耳元へ携帯をあてる。
「……もしもし」
「あっ、花巻さん? こんばんは。お休みのところ電話しちゃってごめんね。今、時間大丈夫かな?」
「はい、問題ないですよ。それで、どうかしたんですか?」
淡々とした口調で、静華が蓮へと要件を問う。
「えっとね、花巻さんへひとつ、伝えたいことがあって……」
「……伝えたいこと、ですか?」
言い表せないような期待感に、静華の心臓の鼓動が早まる。
「さっき、警察から連絡が入ってね」
「……なんだ、そっちか」
「えっ?」
静華があからさまに声を一段低くする。
「なんでもありません。続けてください」
「あっ、うん。それで、警察がさっき、史子さんの自宅捜索を終えたみたいなんだ。けれど結局、自殺の動機については分からなかったみたいだよ。遺書の方も残していなかったみたいだし」
「なるほど……」
警察に例の怪奇現象について話すべきかは店長とも相談したが、当然却下した。まぁ、自殺者の幽霊が突然レジに現れたなどと言ったところで、警察は信じてくれないだろうから。
「けれど、言いたいのはそれだけじゃない」
「……まだ、何かあるんですか?」
電話越しからでもわかるほど、蓮の口から力んだ声が発せられる。
「遺書は見つからなかったけれど、その代わり史子さんの家である興味深いものが見つかったんだ」
「興味深いもの?」
蓮の言葉に呼応し、静華が目を見開く。
「……データだよ。例の、2ちゃんねるに投稿された問題の。史子さんこそが、井西異夢本人だったんだ」
「えっ……!」
途切れ途切れのプロットがだんだんと形を作り、やがて一つの物語を成していく。蓮からの報告を受け、静華は驚きのあまりしばらく言葉を発することが出来なかった。
「本当はダメなんだけど、どうしても史子さんのことが気になっちゃって、あの後僕から警察へ連絡を取ったんだ。そしたら、捜査結果を口外しないことを条件として、丁寧に一つ一つ説明してくれたよ。史子が過去に井西異夢という名で、ネット上で活躍していたことも」
「……」
「あれ、花巻さん。 大丈夫?」
「……ごめんなさい店長。電話は後でかけなおします」
「えっ? なんd」
通話を切り、再び机の上へと向かい合う。静華はレピノ店内の構造を整理すべく、冴えた頭でメモ帳へとペンを走らせた。
井西異夢の正体が史子さんだというなら、当然、史子さんも作問に精通していたということだ。やはり、史子さんが3番レジに現れたのは単なる気まぐれではない。何か意味があって、あの場所を選んだのだ。
レピノ東山店には10台の有人レジがあり、史子さんが現れたのはそのうちの3番レジ。そして史子さんは、3番レジにて『きて』という言葉を何度も連呼していた。
なぜ彼女は、ボタンを押した場所(2番レジ)でなく、3番レジへ現れたのだろう。
「10台のレジ……」
その時、静華の脳内に一筋の電流が走った。
井西異夢は12416という数字に分解することができ、この数字に従って例の文章から文字を選出することで、私たちは「2番」という単語を導き出すことが出来た。いわば、単純な言葉遊びの類である。もし、今回もそれが関係しているというなら……。
静華は「五十音表」というワードを入力し、ネット上で検索をかけた。
レジへ充てられた数字が何かを意味しているというのなら、「10」というレジの総数が鍵を握ってることに間違いはない。となると、考えるべきは「10」が関係する何か。もし、10という数字が、ア行からワ行までの10の子音を指しているのだとすれば……。
「2時35分に(2番)レジの呼び出しボタンを3回押すと、場に『きて』が来る」
もしも、2番レジが『きて』を示すのなら、3番レジは一体何の言葉を指すのだろうか。
「き」と「て」のそれぞれを、五十音上でひとつ、左にスライドさせる。ソレを知ったとき、静華は身の毛もよだつほどのおびただしい殺気を感じ取った。
「ひっ……」
違う。消える直前の史子さんが放った、最後の一言。あれは、私たちへ助けを求めていたんじゃない。自分を見捨てる存在のすべてに、憎悪の言葉を吐き捨てていたんだ。
『『『しね』』』