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きて  作者: スバ
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第2話

『係りの方は、2番レジまでお願いいたします』


 2回目のアナウンスが、深夜のレピノへと流れる。現在時刻は2時35分。静華は聞きなれたはずの機械音声に、得も言えぬ不気味さを感じていた。


「何も……起きませんね」

「まぁ、まだ2回目だからね。次が最後だ」


 仏頂面ぶっちょうづらをした蓮が、軽く静華の方を一瞥いちべつする。


「よし、いくよ」

「……はい」


 ボタンに置いた指先が、ゆっくりと沈んでいく。静華は意を決して唇を噛みしめ、静かにその瞬間を見守っていた。


『係リノ方は、sんbんレジまデお願いイたします』


「えっ……」


 ノイズの入り混じった、不定形な機械音声が店内に鳴り響く。二人はその異変に顔を見合わせ、自然と呼吸を止めていた。


「な、なんですか、今の……」


 スピーカーから放たれた、いびつな発音の女性声。そしてその背後から聞こえる、病的なほどまでの喘鳴ぜんめいの音。静華は予想外の事態に言葉を失い、無意識に体を強張こわばらせていた。


「花巻さん、大丈夫?」

「は、はい。あんな音、今まで聞いたことがありません。一体何なんですか。すごく、気持ちが悪い……」


 平然とする蓮とは対照的に、静華は焦点の定まらない眼で視線をうろつかせていた。

 今のは、いったいなんだ。機械の故障とは到底思えない。あれは、機械の音ではない。間違いなく、《《人間の声》》だった。まるで、死に際の人間が放つ、苦痛を具現化したかのようなうめき声。何度も何度も、私の耳元で反響してくる。


「やっぱり、あの噂は本当だったんだ」

「えっ」


 ジジっ、という雑音を立てながらが、ナニカがスピーカーの中でうごめく。


「『きて』が、来たんだよ」


 その瞬間、けたたましいほどのノイズが店内へと流れ出た。まるで女性の絶叫ともいえる轟音は店内を揺らし、二人は反射的に耳を塞いでいた。


「うっ……なに、これ。耳が張り裂けそう……」


 いくら耳を塞いでも、鳴りやまない。機械からも人間からも発せられないような、不快な音。頭が、おかしくなりそうだ。


「店長!」


 度重なる異変を前に、静華が大声で蓮を呼びかける。しかし、蓮がその声に応じることはなく、ただ一点にある場所を見つめていた。


「店長、どうしたんですか! ここに居たらまずいです! 早く逃げましょう!」


 静華の声には耳も傾けず、蓮がしきりに3番レジの方へ眼を向ける。


「店長! 一体どうし……」


 蓮が注視する場所へと目を向けた瞬間、静華はひっそりと言葉を詰まらせた。

 彼女が叫ぶのを止めたのは、蓮を呼ぶことを諦めたからでもなく、はたまた、一人で逃げ出そうとしたからでもない。3番レジでたたずむ、レピノの制服を着た一人の女性。彼女の周囲からは青白い光が漏れ出し、まるで昼間の店内のような明るさが灯っている。女性は無垢な表情で立ち尽くし、客が来るのを礼儀正しく待っているようであった。


「誰……?」


 突如、目の前に現れた未知の存在に、静華が大きく息を呑む。脳の思考が停滞する最中、静華は眼前のナニカについて、ある一つの心当たりを言葉にした。


「あれが……『きて』?」


 気づけば、店内は先ほどと打って変わり、純粋なほどまでの静寂に包まれていた。戸惑う静華へ語りかけるように、蓮がゆっくりと口を開く。


「いや、あれは……」


 その瞬間、女性が何かを呟くように、小さく口を動かす。とても繊細で、小さな声だったが、静華はかろうじて彼女が何を言っているのかを聞き取れた。


『き……て……』


 まるで何かを乞うように、女性がその言葉を繰り返す。目の前の光景を異様に思いながらも、静華の目には、女性がどこか悲しそうな表情を浮かべているように見えた。

 彼女が……『きて』? 想像していたものと、全然違う。温和な顔立ちと、小さな背丈。レジに立つ彼女は、さながら普通の人間のようにさえ思える。

 おぼろげで華奢きゃしゃな女性の姿に、静華は、先ほどの怪奇現象が彼女によって引き起こされたものだとは到底思えなかった。すると、女性は突然頭を下げ、焦る様子で地面へと向かい合った。まるで、目の前にいるナニカへ、謝罪をするかのように。


『き……て……』


 再び女性が、力ない声で呟く。時間を経るごとに彼女の顔はどんどん歪んでいき、やがて目元から涙が溢れ、暗黒の地面へと零れ落ちた。

 どうして、彼女は泣いているのだろう。本当に、これが『きて』なの? 分からない。けれど、何かが違う気がする。どうして、そんなにまでなって、あなたは自分の名前を連呼するの。なぜ彼女は、『きて』と……。

 その時、静華は、自分たちが重大な勘違いをしている可能性について気づいた。

 もしかすると……『きて』とは、名前ではないのかもしれない。彼女の何かを待つような所作に、ひどく悲しげな表情。『きて』が名前でないというのなら、そこから導き出されるのはただ一つ。


――来て


 彼女はずっと、何かが「来る」のを待っているのかもしれない。私たちの知らない、未知の存在を。


「花巻さん」


 だんまりとしていた蓮が、いつにもまして真剣な様子で静華へと声をかける。


「店長、言いたいことは分かります。あの人……」

「いや、そうじゃない」


 蓮が食い気味静華の言葉を遮りながら、グッと拳を握りしめる。


「僕さ、あの女性のこと、知ってるんだ」

「えっ……?」


 いつものような冗談交じりの雰囲気ではなく、真面目な顔をする蓮。その様子に、静華は彼が嘘をついていないことを確信した。


「……見間違いかと思ったけど、やっぱり間違いない。あの人は、北村史子きたむらふみこさん。かつてここに勤めていた、パートさんだよ」


 すると、女性はまるで自分の名を呼ばれたかのように、緩慢な動きでこちらへ眼を向けた。


『きて』


 その一言ともに、女性の体が一斉に淡い光へと変貌する。やがて蒼色の光は天へと舞い、天井を突き抜けて空の彼方へと消えていった。


「いったい、何だったんでしょうか……」


 焦燥交じりに、蓮が小さく体を震わせる。それは紛れもなく恐怖の表れであり、蓮は落ち着きのない様子で呼吸を乱していた。


「て、店長。大丈夫ですか?」


 静華は初めて見る蓮の姿にうろたえながらも、優しく心配の言葉をかけた。


「う、うん、大丈夫。ごめんね、見苦しいところを見せちゃって」

「いえ……」


 大きく深呼吸をし、蓮が呼吸を落ち着かせる。


「……さっきさ、史子さんが以前ここに勤めていた、って伝えたよね」

「はい、そう聞きましたが」

「ちょうど5年前くらいかな、彼女がここを辞めたのは。正義感が強くて、人一倍仕事にも熱心に取り組んでて、接客も丁寧で、ほんと優秀な人だったと思う」

「そ、そうだったんですね……」


 いまいち話の意図がつかめず、静華は困惑の表情を浮かべた。


「僕さ、自分でいうのもなんだけど、辞めた人の名前とかすぐ忘れちゃう方なんだ」

「あー……まぁ、店長ですもんね」

「そこは否定して欲しいんだけども。……でも、史子さんのことは今でも覚えてるよ。もちろん、真面目な人だったからってこともある。みんなが嫌がる仕事を進んで引き受けてくれたり、突然かかってきた電話にも積極的に対応してくれたから」

「誠実な人だったんですね」


 懐中電灯の明かりが、誰もいなくなった3番レジを明るく照らす。


「うん。でもね、彼女……みんなからすごく嫌われてたんだ」


 静華のそばを、不穏な風が吹き通る。


「嫌われてたって……どうしてですか?」

「多分、史子さんは真面目過ぎたんだ。自分にすごく厳しい人だったからさ、他人が自分と同じレベルで仕事ができないのが煩わしかったんだと思う。それで、口調が強くなったり、イライラしてることも多くてね」

「そうだったんですね……」


 人間関係を一度崩してしまえば、そこから立て直すことは難しい。きっと史子さんは、職場の全員を敵に回しながらも、仕事に取り組んでいたのだろう。


「そんな時に、他の従業員たちによって、ある一つの嫌がらせが起きたんだ」

「嫌がらせ?」


 神妙な表情で、静華が蓮へと問いかける。


「僕も初めて知ったときは驚いたよ。《《史子さんがメインレジの時には、誰もサブには入るな》》。陰湿で悪質な、大人たちによるいじめだよ」

「あっ……」


 静華が、先ほど史子がとっていた行動について思い返す。

 3番レジで史子さんが何度も口にしていた、あの言葉。


――きて


 「来て」……それはつまり、史子さんはずっと、レジで助けてくれる誰かを呼び続けていたということではないだろうか。レジの大変さは、身をもってよく知っている。商品を打つたびに精神が擦り切れていき、遅くなれば客から舌打ちや罵声が飛んでくる。1人終えたかと思えばまた次の客がサッカー台へ買い物かごを置き、何度も何度も同じ作業を強いられるのだ。当然、一人で乗り切れるような仕事ではない。


「史子さんはずっと……助けを求めていたんですね」

「うん、僕もそう思うよ」


 確かに、史子さんにも、愚痴をこぼしてしまったり、ストレスから人に当たってしまったりと、何らかの落ち度はあったのかもしれない。でも、それにしてもやりすぎだ。レジの仕事は従業員で協力して、初めて成り立つものだ。それを一人に押し付け、責任を史子さん一人に背負わせていたのだとしたら、なんとタチの悪いことだろう。明らかな、職場内ハラスメントだ。


「僕も、何度か従業員のみんなに注意したんだけど、それでも彼らは態度を変えなかった。結局、史子さんはそのせいで心を病んでしまい、退職へ追い込まれることになったんだ」


 史子の境遇を嘆き、静華がしゅくとして怒りをあらわにする。


「……嫌な話ですね」

「そうだね」


 緊迫とした空気が、二人の間に流れ込む。静華はうつむきながらも顔をしかめ、名状めいじょうしがたいやるせなさを感じていた。


「……とりあえず、僕らもやるべきことをしないとね」


 蓮が心機一転して、レジの方へ背を向ける。


「やるべきこと、ですか?」


 静華が訳の分からない様子で、蓮へ問いかける。


「仕事柄、ここを退職した人の情報については認知しているつもりなんだけど、史子さんが死んだなんてことは一度も聞いたことがない。けれど、彼女は今日、ここに現れた。僕の言いたいこと、わかるかい?」

「……なるほど」


 おそらく、史子さんはもうすでに、どこかで命を絶っている。それを一刻も早く、警察に伝えなくては。


「警察署はさすがにもう、閉まってますよね」

「そうだね。僕は過去のデータの中に、史子さんの住所が載っていないか調べてみるよ」

「わかりました。私は明日の朝、警察の方へ問い合わせてみます」

「ありがとう。僕はもう少しここに残るから、花巻さんは帰ってゆっくり休んで。こんな夜遅くまで付き合わせちゃって、本当にごめんね」


 元の顔に戻った蓮が、静華へねぎらいの言葉をかける。


「いえ。……退屈しないで済みそうです」


 去り際にそう残し、静華はひとりバックヤードの奥へと消えていった。


「2時35分……ふみこ、か」


 誰もいなくなったレジで、蓮は小さくそう呟いた。

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