8.自称勇者の覚悟
昨日の夜、教官から兵舎の説明を一通り聞いた僕らは、他プレイヤーの集団を回って情報を集めていた。
まず最初に確認したのが『教室』でのこと。やはり全プレイヤーが同じタイミングで個別の空間に飛ばされ、『氷室徹也』を名乗る男から同じ話を聞かされていた。
『死』や『痛覚とその他諸々の害悪要素』の追加は全プレイヤーの共通認識で、それらの機能が実装される前後のディストピアを、僕らは『アップデート前』『アップデート後』と呼ぶことにした。
その後、これからどう行動するか話し合ったのだが……結局、今までと変わらず各々の自己判断で動くことになった。僕らは所詮、たまたま抽選で選ばれただけのゲーマーだ。いま生存している二万六千人と少しのプレイヤーを統率できるような手段も人間も、そう簡単には見つからない。
全員の行動を把握しているわけじゃないが、プレイヤー達が取った選択は大きく分けて二つ。
街に残るか、外で怪物を狩り自己の強化を目指すかだ。
大半のプレイヤーは前者、街に残る方を選んだ。
これは未だ氷室の言葉を疑う者達の様子見だったり、警察や国が助けてくれることを期待しての待機だったりがほとんど。
だが中には『アップデート』直後のタイミングで怪物に襲われ、命からがら逃げ延びたり、仲間の死を目の当たりにして深い後遺症を抱えた者もいる。
僕もハイゴブリンに痛めつけられたので気持ちは分かるし、単純に痛い思いをしたくない、こんな所で死にたくないと言って引きこもるプレイヤーも多い。現代に生きる人間として至極当然の対応をした人達だ。
次に少数派、命が懸かると知った上で狩りに出た者。
こちらは前者の人たちとは別の意味で危機感を抱いたプレイヤーが多い。
まずゲームクリア――打倒『魔王』に向けて早く力をつけようとあがく者。確かに怪物を倒した分レベルは上がり、プレイヤーは強くなる。強くなれば次の街にも行きやすいし、魔王関連の情報を集めるためにも行動範囲を広げなければならない。
しかし、筋は通っているが……少し、焦り過ぎている側面も多い。仲間が集まらないとなればソロで攻略を始めたり、推奨レベルを無視して危険なエリアへ行ったり――彼らはどこか『早く元の世界に帰らなきゃ』という脅迫観念にも似た何かに囚われていた。
そしてもう一派、また別の理由で攻略を目指す者達がいるのだが……実は僕とカズさんも、ここに入っていた。
『全プレイヤーが仲良く、足並み揃えて攻略をするなら――このゲームは詰むよ。間違いなく』
これは兵舎で偶然出会った鶏白湯先輩……もといグレンさんの発言だ。
彼が恐れたのは死でも痛覚でもなく――『怪物が全滅』するという仕様。
(『通達。豊花の街周辺の草原に生息する怪物が全て討伐されました。街の発展が進みます。現在の魔領侵食率は39%です』)
『教室』に飛ばされる前に現れたこのメッセージと、実際にスライムの一匹すら湧かなくなった空っぽの草原。この二つに加え、グレンさんは街の中にいるプレイヤー達のレベルを確認してきたという。
曰く、半分以上のプレイヤーがレベル10~11で止まっている、と。そして草原の次に危険度が低い『小鬼の森』でさえ、推奨レベルは13。
つまり……今この時点で、大半のプレイヤーは『小鬼の森』を安全に攻略できるレベルまで達していない。ここから巻き返すには、自分と同格かそれ以上のレベルの怪物と戦い続けなければならないのだ。
当時レベル11――今は12になっている――の僕でさえ、カズさんが居なければ死んでいたかもしれないのだから、そこから一回り低いレベルで挑めば危険度はさらに高い。
命が一つしかないこのゲームでは、気持ち的には対峙する敵と10レベルの差があっても全然安心できないくらいなのに、常に接戦を強いられるこの状況。
そしていずれ『小鬼の森』の怪物が狩り尽くされれば、さらに状況は険しくなるという悪循環。グレンさんはこれを見越し、危惧していた。
今はまだ街を出ないプレイヤーが大半だが……外部からの救助をいつまでも待てるわけではあるまい。衣食住を満たすため、あるいは攻略に乗り出すために怪物狩りを始めるプレイヤーは増えるだろう。
そうなれば狩場は飽和状態、プレイヤー同士で獲物の争奪戦が始まってしまう……だから今すぐにレベリングを、抜け駆けをしないかと、グレンさんから誘われたのだ。
『ただし……限りある怪物を頂くのなら最後まで戦い抜くのが条件だ。俺にはその覚悟と、それを成し遂げる自信がある。他プレイヤーから獲物を奪って前線に立ち魔王討伐を目指す……ゲームクリアを目指すという覚悟と自信だ』
曰く、獲物を奪い合う気すらなく、この先ずっとフライングで攻略し続け、一方的に差を広げていくと。その自己強化の先で、強者の責務を果たす覚悟があると。
『そして君にも、それを一緒に背負って欲しいと思ってる。高校生の君に押し付けるのは大人げないが、それでも……君なら出来ると、そう感じたんだ』
曰く、僕にもそれを背負って欲しいと。その資格があるはずだと。
僕は即答できなかった。
死ぬのは怖い。痛いのも怖い。それは、ハイゴブリンとの一戦で僕の心に染みついている。それに、他プレイヤーからも良い目はされないはずだ。誰の許可も賛同も得ず、独断で『勇者』を演じるというのだから。
でもそれ以上に僕が答えあぐねたのは――
僕に、元の世界に戻りたい理由が無かったから。
決して死にたいわけじゃない、けど。もし『一生ここで暮らしてもいいのか』と聞かれたら。
僕は『それでもいい』と答えてしまうだろうから。
最悪一人じゃなければ、カズさんや他のプレイヤー達と交流できるのなら、それがずっと続くのならば、僕に抵抗する理由はなかった。
分かっている、僕は異常だ。きっと他の人は違う、絶対に帰りたいと思っている。元の世界に残したものが沢山ある。カズさんだってそうだ。あんなに気の良い人は中々いない。友人や家族、あるいは恋人……きっと多くの人間に愛されていたのだろう。
だから僕は『このままでもいい』なんて言えない。言えないから、優しいカズさんが代わりに答えた。
『おい、アンタ正気なのか? ユッキーはまだ十八歳、未来のある高校生なんだぞ!? アンタ一人の酔狂ならともかく、子供を巻き込むなんて大人のすることじゃねえ! どうしても仲間が欲しいなら、オレを連れて行けばいい!!』
胸が痛かった。
僕がとっくに諦めた僕自身の未来を、彼は憂いてくれた。グレンさんの無謀な勧誘に、自分が代わりに乗ると答えた。
いや、たとえグレンさんが誘っていなくとも、いずれカズさんは前線に立つだろう。知り合ったばかりの僕を庇うほど優しく、勇気のある人だ。永遠に来ないかもしれない救援を待てるほど、傍観者の立場に甘えるつもりはないだろう。
きっと彼は前線に行く。僕を残して、僕を含んだ皆のために。
だから、僕に残された選択肢は一つだった。
『――僕が行きます。僕が前線に立って、この“ディストピア”を攻略してみせます』
カズさんを死地に行かせてのんびり暮らせるほど、僕の神経は図太くない。
誰かの犠牲の上に成り立つ輪で暮らす気はないから。みじめな自分は全部、現実に置いてきたつもりだから。
ならば、僕自らが前線という輪に入るしかない。それがたとえ、ゲームクリアまで『痛み』と『死』から逃れられず、常に強者としての責務を問われる地獄の輪だったとしても。
僕が行くと答えれば、カズさんも『ユッキーが行くならオレもついて行く!』と追従した。分かりきっていた反応だ。これを即答できる彼だからこそ、僕は守りたいと思えたのだから。
『――ありがとう。本当に、心の底から君たちに感謝を。二人の命は俺が保証する、他の何よりも優先して君たちを守るよ。もちろんレベリングにも付き合う……これからよろしく。ユキオくんと、カズピーチさん』
『オレよりユッキーを優先しろ、そしてオレのことは和葉と呼べ。これからよろしく』
過剰なほどに僕たちに好待遇なグレンさんと、なぜか強い口調のままのカズさん。
こうして攻略フライング組――自称前線プレイヤーとなった僕らは、軽い打ち合わせをしたのち兵舎で寝た。
そして二日目の今日、ディストピアに閉じ込められてから初めての朝を迎える。
寝台は固く、部屋は狭い。しかし、共用の風呂とグレンさんがくれたパンのおかげで体調は悪くない。
僕のディストピア攻略、その一日目が始まった。