7.兵舎
『豊花の街』は広大だ。
画面にある簡素な地図に示された僕を現す光点、その移動速度から推察するに、街の端から端まで歩けばゆうに一時間はかかるだろう。
街の形状は東西南北を頂点としたひし形。中央にある『復活の祭壇』――今となっては何の意味も持たない設置物だが――を交点として四つの地区に分かれている。
北の『商業区』には武具や道具類の店が連なり、東の『居住区』には食事処や宿屋が軒を並べる。中にはプレイヤーが購入可能な住宅も。
南は『農業区』となり、町民をまかなう作物や家畜が一区を丸ごと使った敷地で育てられ――西の『養兵区』に、僕らの目的地である兵舎はあった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
そして午後九時の今、真夜中の街を歩きに歩いて、とうとう兵舎に辿り着く。
見えてきたのは、体育館のような形状をした木製の建物が十棟と、輪に並んだそれらの中心に建つ小規模な石の古城。建物の外では多数のプレイヤー集団が話し込んでいる。
これらの施設全てを含んで『兵舎』なのだろうか。
「――あっ、教官!」
「むっ、貴様はいつぞやの炒飯小僧ではないか! その姿を見るに、とりあえず初陣は生き延びたようじゃのう!!」
そして驚くべきことに、敷地の入口で僕らを出迎えてくれたのは『教官』こと、上級チュートリアルで僕を担当した短気でマッチョなラーメン好きNPCだった。
相変わらず黒い軍服にこれでもかと筋肉を詰め込んで、月明かりに禿げ頭を光らせている。
チュートリアルを受けたのは今日のことだが、その後に起きた出来事の衝撃が強すぎるあまり「懐かしい」という感情がこみ上げた。
「……炒飯? ユッキー、このオッサンNPCと知り合いなのか?」
「はい、『チュートリアル・上級』で僕を担当した教官です。炒飯はただの勲章です」
「その微妙に不名誉な勲章は知らんが……上級まであったのか、あのチュートリアル。オレ中級すら受けずにソッコーで外出たわ。絶対面倒くせぇもん」
僕も普段ならチュートリアルは飛ばす派だし、実際に面倒くさかった。
ただ逆張りで選んだ大鎌があまりにも難しくて、フィールドで恥をさらす前に練習しておきたかったのだ。
結局は教官に怒鳴られまくって、同じ訓練場のプレイヤー達から同情と哀れみの視線を浴びるほど受けたのだが。
「兵舎で休むならあの九号舎が空いておるぞ。血は洗い落としていけよ、入ってすぐの所に水桶がある。貴様ら着替えは持っているか?」
「着替え……持ってないです」
「オレも。てか要るのかそれ……いや要るわ、ベトベトだったわ! どこに拘ってんだよこのゲームは……」
教官は数字の九が書かれた体育館もどきを指さして、僕らに必要事項を伝える。
たしかに、僕らの纏う軽鎧や背負った武器にはゴブリンの返り血が付いたままだ。
装備解除して手持ちに仕舞うことは出来るが、次に取り出すときにはもの凄い悪臭を放っている可能性がある。
血の臭いまで再現し、死体や返り血も自然消滅させないほどの執着だ。きっと放置された返り血の末路まで作り込んでいるに違いない。
着替えも失念していた。
ここは現実味のためなら死さえ再現するほどの狂人が創った世界。胸当ての下に着た中世風の白チュニックやベルトで締めた太めのズボンも、汗や泥で汚れている。
この状態で寝台に寝転がるのは少し気が引けた。
とはいえ、今から商業区まで歩くのはキツい。諦めてこのまま寝るか、全部脱いで寝るか。などと考えていると――
「まあ今日は徴兵初日じゃからな、特別に用意してあるわい。各部屋の寝台に新品の服が置いておる、有り難く貰っておくがよい。汚れた服も部屋に置いておけば、翌日に係の者が洗濯してくれるぞ」
「おぉ、なんかすげぇ良くしてくれる……徴兵ってなんだっけ?」
「プレイヤーの設定ですよ。怪物から人々を守り、いずれ魔領を攻め落とすための戦力、対魔兵。僕らは今日、その一員となるために集められた――って感じです。ざっくりですが」
「魔領……『魔王』がいる場所か」
「……おそらくは」
大陸北部を占める『魔領アルカ・マキナ』。
僕らがこの世界から脱出するために倒さねばならない魔王が統べる国だ。
ゲームクリアの条件は『教室』でカズさんも聞かされていたようで、魔王関連の単語には敏感な反応を示した。
「まあ、そこら辺の情報も擦り合わせたいところだな……とりあえずオレは他の奴らと話してくけど、ユッキーはどうする? もう疲れて眠たいっつーなら、オレが明日まとめて教えるぞ?」
「……いえ、僕もついて行きます。まだ九時ですし、寝るには早いので」
本音を言うとすごく眠たい。あるか分からないが温かい風呂にでも入って、綺麗な体でベッドに飛び込みたい。
昼からプレイしている上にゴブリン戦で精神をすり減らし、街に戻ってもこの兵舎に着くまでに一時間は歩いたのだ。疲れているに決まっている。
だが、それはカズさんも同じだ。
情報収集を彼一人に任せ、自分はぐっすり休むなんてあり得ない。ただでさえカズさんには助けられてばかりなのに、そんな傲慢な態度を続けていればいつ愛想を尽かされるか分からない。
甘えっぱなしも頼りっきりも、僕は御免だ。
「君たち、今ここに到着したところかい? よければ俺達と一緒に話さないか? 『教室』のこととか、これからの行動についても、プレイヤー同士で話せることがあると思うんだ」
ちょうど、兵舎周辺で固まっていたプレイヤーの一人が僕らに声をかける。
僕とカズさんはこれを了承。この後もいくつかのグループを回りながら、知ってる事知らない事、どうなるか分からない未来の愚痴まで、見知らぬプレイヤー達と談義した。
九号舎に行く頃には、時計の針は十一時を指していた。