6.惨状
「畜生ッ! まだログアウト出来ねえのかよぉッ!!」
「誰か、上位の治癒薬を持ってる者は居ないか! 腕を喰われた奴が居るんだ!」
「街の奥の『兵舎』で集会があるそうです! プレイヤー全員とはいきませんが、どうか協力の意志がある人だけでも――!」
暖かみのある煉瓦の家々を草木で彩り、街路、店先、建物の屋上にまで花を散りばめた美しき第一拠点、『豊花の街』。
フルダイブMMO初体験の僕らを最高の景色で迎えてくれたその場所は今や、嘆き、苦しみ、叫ぶプレイヤー達で溢れていた。
既に怪物と戦った後なのか、僕やカズさんと同じく返り血で濡れた戦士。
生存のために奮い立ち、プレイヤーの一致団結を訴える賢者。
街路の隅に蹲り、メニュー画面にあるログアウトボタンを虚無の表情で押し続ける亡者。
そんな阿鼻叫喚の街を見て、ようやく僕は確信した。
(「ゲームクリアまで元の世界には帰さない。残機ゼロのこのディストピアで、君たち三万人のプレイヤーは生き抜くんだ」)
本当に全プレイヤーがあの言葉を、あの男から、あの『教室』で告げられたのだと。
「――あの、人を探しているんですけど」
「えっ」
街の入口で唖然としていた僕とカズさんの後ろから声がかけられた。
振り向けば泥と血で汚れた女性のプレイヤー。背中に何か大きなモノを背負っている。
僕らが反応すると、女性は背中のモノを見せてきて――
「……ッ、これは」
「この子、見かけませんでしたか? 友達なんです。怪物にやられちゃったんですけど、とっくに復活はしているはずで――」
死体を背負っていた。
目に光はないが、乱れた黒髪の奥に覗く童顔は日本人のもの。女性がさらに近くに来て、片耳と片腕が引きちぎられ、脇腹を大きく抉られているのが見えた。
丁寧に再現されたその生々しい中身を見て、僕は思わず目を逸らす。
光になって消えるはずの血や死体も、いつの間にか残るようになっている。思い返せば、森で倒したゴブリンたちも死体が消えていなかった。人型怪物は剥ぎ取る素材が無いから、死体はすぐ消えるはずなのに。
それはプレイヤーの身体も同様で、死んだら死体は消えて、新しい肉体が復活するはずだった。
でなければ、プレイヤーが死ぬ度にフィールドに死体の山が積もっていくから。
――それでも死体が残るってことは、そういうことなんじゃないのか。
「……あの、多分、その人はもう――」
「死んでないですよ? たかがゲームで死ぬわけないじゃないですか。まさか、あの氷室とかいう男の言葉を信じてるんですか?」
「い、いや本当に死んでるって言おうとしたわけでは――」
復活しない、そう言いかけた途端。
食いつくように女性が言い返す。それも、どこか様子がおかしい。
目が大きく開き、言葉の勢いが強まる。顔と口調が少しずつ怖いものになっていく。
「そうですよね、あの子が死ぬわけないんですよ死んだらダメなんですよ。だってあの男の言葉が本当ならあの子は、恵美里は猿に腹を喰われながら死ぬ苦しみを本当に体験したことになるんですから。耳と腕もちぎられてあの悲鳴も涙も顔も本物で、だとしたら恵美里を救えなかった私は私は私は私は――」
まずい、選ぶ言葉を間違えた。
きっと彼女は目の前で見たのだ、友人が怪物に襲われる光景を。狂気のGMによって実装された『痛覚』と『死』に晒され、悲鳴を残して動かなくなった人間を。
それなのに僕は、遺体をここまで背負ってきた彼女の気持ちも察せず、無配慮に復活しないなどと――
「おおっと悪いな嬢ちゃん! すまんがオレ達も街に戻ってきたばかりでな、詳しいことは分かっていないんだ。もちろん氷室の言葉なんざ真に受けちゃいないさ」
「――そうですか、恵美里は見ましたか?」
「まだ見かけてないが……見つけたら伝言板にでも、嬢ちゃん宛のメッセージを貼っておくぜ」
カズさんが慌てて横入り、鮮やかな手際で女性をなだめる。
早口で僕を庇いながらも、地雷を踏まないように女性をフォロー。
配慮の言葉すら選べなかった僕と違って、カズさんは優しい心を持っている。
「……ありがとうございます。私が『リンナ』でこの子は『エミリー』、二人共カタカナです。どうかよろしくお願いします」
「おうよ。宿でも探して、今日はもうゆっくり休むといい」
カズさんの言葉に軽くうなずくと、女性は遺体を背負ったまま雑踏の中に消えた。
「……すみません。さっきはありがとうございました」
「いいや、ユッキーは悪くねえよ。オレだって気付くのが遅れた。最初は普通に喋ってたしな……それこそが異常のサインでもあったんだが。それよりも――エミリー、だったか」
「……カズさん?」
女性の姿が消えるのを確認した後、カズさんがおもむろにメニュー画面を開く。
「ユッキーも少し手伝ってくれないか? さっき、他の人の会話を盗み聞きしてたんだが……この『現在のプレイ人数』の項目をタッチしてみてくれ」
「――これは……っ!」
カズさんに言われるがまま操作すると……画面に表示されたのは『生存者 26911名』の文字と『死者一覧』。そして、その下に連なるプレイヤー名の数々。名前の横には簡潔な死因が記されている。
僕はカズさんの意図を察し、一緒に探す。一人ずつ、見落としが無いよう丁寧に。
『ケンタ』、『黒寝子』、『t4ipan』、『マシュー』、『夏蜥蜴』、『チヨ』――
「……ありました」
「こっちも見つけた…………残るんだな、死体は」
このゲームにおけるプレイヤー名は、初期の命名時点で既にある名前と同一のものは使用出来なくなっていた。つまり、このディストピアにおいて「同じ名前の誰か」は居ないわけで、だから――
『エミリー ブルーモンキーの襲撃に遭い、脇腹を喰い千切られ死亡』
僕の画面に刻まれたこの「エミリー」は紛れもなく、あの背負われた女性と同一人物だ。死因もおそらく一致している……あの遺体の脇腹はたしかに、喰い破られたような荒い断面をしていた。
それも、目も当てられないほどにグチャグチャの中身まで再現されていて。一瞬だけ見ても、それは忘れようがないほどに悲惨な光景で。
何より、それを間近で見て、背負って、街までやってきたあの人が、どんな気持ちだったか――
「…………僕は馬鹿だ」
「だからさっきのは誰も悪くねーって。それに本当に死んだかどうかは、まだ決まったわけじゃねえ」
それでも、彼女は到底、あの友人の状態を受け止めきれる精神状態ではなかった。だからこそ、カズさんはこの『死者一覧』を彼女に伝えなかった。
ここまで背負ってきた友達を、「エミリー」さんの名前をあの一覧から見つけてしまえば、彼女の精神にどんな影響が起こるか分からないから。
それを隠すことが、僕らのエゴだと言われても構わない。
たとえ彼女が亡き友人の姿を探し続けることになっても、伝えるのはもう少し時間を置いてからでも遅くないはずだ。
それに案外、何事も無かったかのように復活したり……いや、それは少し楽観的過ぎる。
僕は経験したのだ。あの痛みを、苦しみを、迫る死の恐怖を。
もう僕は氷室の言葉を疑えない。
復活なんて信じ切れない。
「――キー……ユッキー!」
「……あっ、はい!」
いけない、少しボーっとしていた。
この異常事態や周りの騒音、嗅ぎ慣れない血の臭いで僕も少しおかしくなっているようだ。
「疲れてるとこ悪いが、もう一踏ん張りだ。どうやらこの先の『兵舎』っつー場所で、プレイヤーがそこそこ集まっているらしい。休憩もできるみたいだから、行ってみようぜ」
「そうですね、行きましょう……すみません、カズさんに頼りっきりで」
「いいさ……オレは大人だからな」
僕が思考に耽っている間にも、カズさんは情報を集めてくれていた。ありがたい。
そこから僕らは『兵舎』を目指して街を歩いた。
時にはNPCに、時にはプレイヤーに聞きながら目的地を目指す。
到着したのは午後の九時前。
現実世界と同期している画面の時計に合わせて、ディストピアの夜が訪れていた。