5.実戦
背中が地面に着く感触。『教室』から『小鬼の森』へ戻った僕を迎えたのは――
『グギャッ、ギシシィッ!!』
仰向けに倒れた僕を囲む五体のハイゴブリン。
僕は思い出す。
そうだ、『教室』に転送される前はこいつらと戦っていて、滑り込みに失敗して、それで――
『ギギャアッッ!!』
「う゛ぶッ!?」
ハイゴブリンの緑足が腹に突き込まれる。まるでダンベルを腹に落とされたような苦しみ。内臓が圧迫され一気に吐き気が込み上げる。
『ギャヒヒィッ!』
「が、あ゛ぁぁッ……!」
――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い苦しい気持ち悪い痛い痛い痛い。
落とされた足が捻られる。グリグリと柔らかい肉が押し潰されて、痛みと吐き気と苦しみがひたすら続く。顔まで何かがせり上がって、細まる瞳に涙が滲む。
視界の端にある残存体力がみるみる短くなっていく。
あってはならない感覚だ。この世界にあるはずのない機能だ。痛いのも気持ち悪いのも苦しいのも、なんで仮想世界にあるんだよ。
(「君たちをこの『教室』に招待している間、とあるアップデートを行った」)
『教室』での氷室の言葉を思い出す。
(「痛覚、吐き気……現実を向上させるため、今まで隠していたあらゆる禁忌を復活させた」)
これ全部、隠してたのか。
これが本来の『ディストピア』なのか。
ならば、この次は。
『痛い』と『気持ち悪い』と、『苦しい』の先は。
『ギシャァアッッ!』
彼らが振り上げる、大きくて鋭利な爪――その先に、確かな死を感じた。
「――ッ、ア゛ァッ!!」
右手の鎌を握りしめ、闇雲に振り回しながら起き上がる。思考が停まった僕の身体を、恐怖だけが突き動かした。
僕のみっともない牽制攻撃で、ハイゴブリン達が一歩下がる。
「――」
もう、ここはゲームの世界じゃない。この身体は痛みを感じぬ分身ではない。復活なんて信じ切れない。
ここはもう一つの現実、本物の死がある世界だと、無理やり理解させられた。
理解させられた、ところで。
『ギギャ……』
『ギシッ、ギシャアァ!』
『グギャッ、ギャギャギャ!!』
敵は五体。完全に包囲されて逃げ場はなく、全員が僕より大きくて、強い……勝てない?
緑色の恐怖が迫る。僕を囲む輪が小さくなっていく。どうする、どうすればいい。僕はどこを、どう動けば。
『グヒィッ!』
薄く黄色く汚い、されど研ぎ澄まされた爪が閃いた。同時攻撃だ。後ろで踏み込む音が聞こえた。
なんで、僕の身体は動かない?
なんで、こんなにも震えている?
なんで、こんな事を考える暇がある?
僕は、死ぬ?
「――死にたくな」
「【風針撃】オォォォッッ!!」
突風が吹いた。
背後の何かが一瞬で僕を通り抜ける。それは空気を切り裂きながら、進路上のハイゴブリンを蹴散らした。
右側の包囲が空く。考える間もなく、その空白に僕は逃れた。
「ごめんユッキー!! 利用しちまった!!!」
突風の先に立っていたのは長槍を持ったメガネの男性……カズさんだった。
長身美女の分身は何処へ行ったのか、ログイン前に見た現実世界の姿に戻っている。僕とお揃いの革の軽鎧はそのままのようだが……
いや、そんなことはどうでもいい。
僕は一人じゃない。彼が居るなら、この状況も。
「本ッ当にごめん!! ここ戻ったらユッキー囲まれてて、でも【風針撃】まだ溜まってなくて、でも不意打ちなら蹴散らせそうで、そんで、ギリギリまでユッキーを囮に、オレはッ……!!」
「よく聞こえないッ! 今は、それよりも――!」
カズさんが早口で何か捲し立てているが、よく聞き取れない。だが焦る彼の表情を見て、少しだけ平静を取り戻せた。
敵はまだ死んでいない。カズさんの【風針撃】を喰らった三体は既に瀕死だが、油断は出来ない。それでも二人で戦えば――
「オレがやる!! ユッキーは街まで逃げてくれ!!」
「はあっ!?」
何を言っている。彼らの恐ろしさが理解できないのか? あの爪で身体を引き裂かれたらどうなるか想像できないのか? 終わりがあることを分かっていないのか?
そうだ。彼はまだ攻撃を受けていないから、痛みを知らないんだ。それどころか、本当に僕以外も『教室』に連れて行かれたのかすら――
「オレも『教室』に行った! たった今、お前が実際に苦しむ姿も見た! 見て、聞いて、それでもまだゲーム気分だったオレは、お前を利用しちまったんだ!」
「利用……!? よく分からない! でも『教室』に行ったんなら――」
「本当に痛いんだろ!? 苦しいんだろ!? そんで、本当に死ぬんだろ!! じゃあやっぱりオレがやる!! ユッキーは逃げろ!」
カズさんが話を聞いてくれない。
ハイゴブリンは叫び合う僕らを警戒して距離を取っているが、いつ飛びかかってくるか分からない。
それなのに彼は『利用』がどうとか……あ。
あの【風針撃】を撃つまで、僕が追い詰められるのを見ていたのか。
僕を囮に溜め時間を稼いだことを、彼は悔やんで、取り戻そうと。
なんだ、そんな事か。
「オレは大人でお前は子供!! それなのに、これ以上カッコ悪くなるような真似したくねぇんだよ!」
「うるさい!! 四つしか変わらないくせに!!!」
「うぇッ!?」
僕が怒鳴るとは思ってなかったのか、カズさんが驚愕の表情を見せる。だってこうでもしなければ、彼はどこまでも自責の念に潰されてしまいそうだから。
「謝りたいなら生きて謝れ!! カッコ悪いなら一生恥ずかしがってればいい!! このまま僕を置いて死ぬのは、それだけは絶対に許さない!!」
「ユッ、キー……!?」
別に、本当はそんなこと思っちゃいない。
彼は僕を救ったんだ。見捨てて逃げることも出来たのに、それでも僕を助けたんだ。
僕を見捨てないでいてくれた。彼を助ける理由は、その事実だけあればいい。
あぁ、頭が冴えてきた。もうリンチにされるようなヘマはしない。まずは生き抜く、カズさんと二人で。
『『ギギャアッッ!!!』』
痺れを切らしたハイゴブリンがこちらへ駆ける。
無傷の二体が前方に、その後ろから【風針撃】を受けた瀕死の三体がヨロヨロと続く。
「【深手の赤刃】。 カズさんはスキルで後ろの奴らを!!」
「あぁ……畜生! こうなったら意地でも生かして帰すからな……【侵入の槍】!」
僕とカズさんが武器固有スキルを起動し、大鎌の刃が赤く、長槍の穂先が碧く染まる。
『ギシャァッ!』
大鎌を大雑把に横に薙ぐ。一体は退いて避け、もう一体は胸を浅く裂かれ、派手に血を噴いた。致命傷には至らないが、これで良い。
【深手の赤刃】は攻撃した敵に『出血』状態と継続ダメージを与える。『出血』した傷は地面に血溜まりを作り、僕に更なる武器をくれる。
「【棘の血晶】」
『ギギィッ!?』
血溜まりから生えた赤い棘が、二体のハイゴブリンの足を串刺す。己か敵の血から棘を生やせる【棘の血晶】で、前衛二体の足を止めた。その隙に――
「――ハァッ!」
カズさんが棒高跳びの要領で槍を突き立てて【侵入の槍】の効果を発動させる。
穂先が強く地面を弾いて、装備者ごと後続のハイゴブリンへ飛翔した。
『――ギッ!?』
『――グギャッ!?』
カズさんは空宙でハイゴブリンの頭を一突き――とんでもない平衡感覚だ――着地して、もう一体、瀕死の敵の首を貫く。
「やァッ!!」
飛ぶカズさんに気を取られた二体の前衛を、今度は僕が殺しにかかる。
不意打ちで一体の首を素早く刈り取り、残るもう一体には雑に刃を叩きつける。腕で防がれるが、浅い傷から血は流れ続ける。
「【棘の血晶】」
刎ねた首から噴き出た血も全て使い、赤い棘を生やしては刺し、足止めをより強固に。
ハイゴブリンは脚の拘束を破壊しようとするが、絶え間ない鎌の攻撃で隙を与えない。
「――」
『ギッ、グギャッ、グギィ――!?』
身動きが取れないハイゴブリンが太い腕で防御を固める……が、その上からひたすら鎌を振り下ろし続け、やがて腕ごと首が飛んだ。
奥を見れば、カズさんも最後の一匹を倒したところだった。
「…………やりましたね」
「……だな」
返り血に濡れた互いの姿。カズさんのメガネなんて特に血まみれで、おそらく赤い景色しか見えてないだろう。
辺りは血の鉄くさい臭いが漂い、死んだハイゴブリンの断面もやけにリアル。腹に残る感触も相まって、正直吐きそうだ。目と鼻が気持ち悪いものに晒され続けている。
でも、自分たちの血は流れていない。
最初の僕は不利な展開と腹を踏まれた痛みでパニックになっていたが、やってみればなんてことは無かった。五対二でもしっかりスキルを使えば、攻撃を受けずに倒し切ることができた。
ここからの帰路も、しっかり二人で協力し合えば無事に街まで着けるはず。
「……ユッキー、いつの間に元の姿になってんだ?」
「へ……?」
元の姿になってるのはそっちだろう。そう返そうとして、ある可能性に思い当たる。僕は大鎌の刃の血の付いてない部分を見て、反射する自分の姿を確認する。
「……ホントだ」
生来から変わらぬ気の弱そうな顔に、諸事情で染めた性格に合わぬ白金色の髪。現実の姿をした僕が、そこに映っていた。
装備は特に変わっていない。急所を最低限守るための部位が付いた皮の防具のままだ。
「カズさんも戻ってますけどね。現実の方の見た目に」
「マジだ! しっかりメガネかけてら……って今はそれどころじゃねぇだろ」
元の外見に戻っているのはおそらく、氷室徹也の言っていた現実味向上のためのアップデートの一つだ。理由はこの身体が僕らの肉体であることをより意識させるため……といったところだろうか。
だがカズさんの言う通り、今はそんな事に頭を回している場合ではない。この『小鬼の森』をいち早く抜けて安全地帯へ……『豊花の街』に帰ることを優先すべきだ。現状把握のために他プレイヤーとの情報交換も試みたい。
「……見た目はカズさんの方から言ってましたけどね」
「うおっこの身体裸眼でも視えるぞ! すげぇ!!」
「…………」
二人とも、少し気の抜けた状態なのは自覚している。
五対二、初めての命を賭けた実戦で思いのほかあっさり――序盤の僕の醜態は置いておくとして――倒せてしまったものだから、この先の戦闘もどうにかなると感じているのは否定できない。
でも今、この状況において『平常心』が生存の要になることも事実。このくらい軽口を叩きながら進むのが良いかもしれない。
「早く街に……安全地帯に行きましょう。ここは危険すぎる」
「だな………………次はもう、絶対に迷わねえから」
カズさんが最後に何か呟いていたが、よく聞き取れなかった。
「走って帰りますか?」
「……いいや。なるべく警戒しながら歩いて、先に敵を見つけたい。ここじゃ周りがよく見えないからな、不意打ち一発で終わる可能性がある」
「ですね。僕も同感です」
幸い、森の入口付近でレベリングをしていたため街までの距離はそう遠くない。
僕とカズさんは警戒を続けながら帰路を辿った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
結局、『豊花の街』に着くまで怪物とは一度も遭遇しなかった。
元々出口が近かった『小鬼の森』はともかく、草原に一体も居ないのはおかしいと道中二人で話していたところ。
(『豊花の街周辺の草原に生息する怪物が全て討伐されました。街の発展が進みます。現在の魔領侵食率は39%です』)
『教室』に飛ばされる前に現れたあのメッセージを思い出した。後半の部分はまだよく分からないが、前半部分は文字通りの意味だったのだろう。草原には一体の怪物の影も、新しく湧く気配もなかった。
度重なる出来事もあって疲労していた僕らは、「そういうものか」と素直に納得して街へ向かった……胸の奥にひっかかる、わずかな違和感を残して。
このときはまだ、気付いていなかったのだ。
怪物が全滅する――獲物に限りがあるという事実が、このデスゲームに及ぼす影響に。ディストピアに隠された残酷な罠に。
僕らはまだ、気付いていなかった。




