4.夕景教室
「私の名は氷室徹夜。この完全没入型MMO『ディストピア』の生みの親であり――」
「ちょうど今、現実世界で報道されている『三万人人質事件』の犯人だ。今、君たちの身体は完全に私の制御下にある……三万人のプレイヤーの命は、私が握っているということだ。君たちを生かすも殺すも、私の自由」
「――は?」
「その上で、君たちにはゲームをしてもらう。残機はゼロ、死は現実世界で本物となりゲームクリアまでログアウトはさせない……どうだ? ワクワクしてきたんじゃないか?」
……何を言っているんだ、この男は。
『なんとか事件』の犯人だとか、僕らの命を握っているとか、このゲームの生みの親の名を名乗るとか。終いには「ログアウトさせない」などとほざいている。
氷室徹也という人物は知っている。
フルダイブ技術の開発に携わった脳科学研究の第一人者にして、『ディストピア』のゲームディレクターも務めた謎多き超人。
だがメディア露出が一切無いため、目の前の男が本物かどうかは分からない……仮に同じ見た目だとしても、中身もそうとは限らない。
だがそれほどの立場でなければ、一体僕の目の前に座っているのは誰なのか。
つまり、相変わらず状況が分からない。
「混乱してるな。ここに居ない他のプレイヤーも似たような反応だ」
「当たり前です」
「そうだな。ではまず……本当にログアウト出来ないか、確認してみるのはどうだろう?」
少し癪だが素直に従うことにする。右手の人差し指と中指を揃え、左手の甲に乗せる『動作』を行うと――宙に浮く半透明の板、メニュー画面が呼び出された。
数ある項目から『ログアウト』ボタンを探し、触れる……何の反応もない。
「本当に、ログアウトできない……!?」
「これで少しは私の話を信じてくれるか? なるだけ早く次の話をしたい。その不信感は当然のものだが、ここは一つ飲み込んで円滑に進めた方が互いのためになるし、君はそれが出来る人間だと私は信じている」
そういう事を言うから余計に反感を買っているんだ、と零れそうになった本音を抑える。
当然のように上からものを言う男だ。
きっと他の『教室』に居るプレイヤーも、こちらの感情などお構いなしの彼の態度にさぞ腹を立てていることだろう。
あるいは「ログアウトできない」という事実に心を打ち砕かれ、己の家族や友を想って泣いているのかもしれない。
僕はどうだ……僕は、ただ漠然とした不安はあるが、彼の言葉を完全に信じ切ったわけではない。
仮に信じたとしても、異変を知った外部の人――警察、救急、あるいは日本という国全体――がどうにかしてくれるはずだ。三万人の命を見捨てられるほど、僕らの国は非情になれない。
だからいま僕がすべきは、現状把握につとめ、ただ生存に最善を尽くすこと。
――幸い、心を焦らせるほどの存在も未練も、現実世界には無いのだから。
「……うん、聞く準備は出来たようだな。では話を戻そう……まず現実世界で私が起こした『三万人人質事件』についてなんだが、君たちが特に気にする必要はない。君たちの頭部につけた完全没入装置――何本もコードを生やしたあの不細工なヘルメットを介して、三万人の命を奪えること。これを外部に報じて、ゲームの邪魔をするなと伝えただけだ」
「……命を奪うって、どうやって」
「色々あるが、まあ簡単なのは『死ぬまで電流を流す』だな。ちなみに何らかの手段で電源を抜かれたり無理矢理装置を外しても、体を動かすための命令信号は遮断されたままだ……つまり、二度と動けない身体になる」
随分と、僕たちを脅すことに特化した装置だ。
詳しい事情は知らないが、僕たちに被らせる前に然るべき機関に審査されることもあっただろうに。
それを潜り抜けるための努力も並大抵のものでは無かったはずだ。一体何が、この男をそこまで突き動かしているのだろうか。
「ああ、安心したまえ。このことも既に報道させてある。外部の人間の手出しによって君たちが死ぬことは無い。むしろ身体の世話をさせる予定だ……さて、そろそろゲームの話をしたいのだが、いいかな?」
「……どうぞ」
僕たちを殺したい、なんて単純な事情ではなさそうだ。
聞く限り、僕たちを『ディストピア』に閉じ込めることを第一に行動しているように感じる。おそらく、彼の目的もそこに近いところにある。
学校机に肘をつき、前のめりになった姿勢で氷室は続ける。
「実は君たちをこの『教室』に招待している間、とあるアップデートを行った。このディストピアをより現実に、より残酷にするための最後の欠片を埋めたのだ」
表情は落ち着いたままだが、その声音は少しずつ熱を帯びていく。前座を終え、ここからが本題とでも言うように、氷室は『真のディストピア』を語り始めた。
「本物の死を実装したんだ。ここから先、この仮想世界で一度でも命を落とせば、現実の肉体に70mA以上の電流が流れ続け……死亡する。他にも『痛覚』『吐き気』……現実味を向上させるため、今まで隠していたありとあらゆる禁忌を復活させた」
――死の実装。
通常ならあり得ないその機能は、僕らが被る完全没入装置によって現実味を帯びる。僕は彼が最初に言っていた「残機はゼロ」の意味をようやく理解した。
「これが私の作ったゲーム……世界で一番、リアルで残酷なMMOだ」
死んだら、終わりなのだ。
それに禁忌の復活って……ふざけるんじゃない。
『痛覚』や『吐き気』なんてもの、存在するだけでまともなプレイが出来なくなる。
どうやら氷室は、とことん『現実味』とやらに拘るつもりのようだ。
「ゲームクリアまで元の世界には帰さない。残機ゼロのこのディストピアで、君たち三万人のプレイヤーは生き抜くんだ。前線で戦い、鍛冶で支え、あるいは永住するのも良いだろう。私は、その全てを観測させてもらう」
「……ゲームクリアの条件は?」
口ぶりから察するに、それが僕らプレイヤーに垂らされた唯一の出口。
これの条件如何で現実世界へ帰還する難易度が決まる。
氷室はその質問を待ち望んでいたかのように笑みを深め、言う。
「『魔王』を倒すことだ」
「…………それだけ?」
「ああ、それだけだ。魔王を倒してゲームクリア、この上なく単純でありきたりな設定だが、分かりやすくて良いだろう? 勇者となったプレイヤーが世界を侵略する魔王に立ち向かう。私の好きな古き良き典型さ」
魔王を倒す、ただそれだけ。
だが、僕が分かっているのは大陸北部に魔王の国があるという情報だけで、魔王本人に関する話は何も聞いていない……少なくとも現時点では。
だが氷室のいう「古き良き」を信じるなら魔王はラスボス。
魔王の国へ向かうだけでも相当な時間がかかるはずだ……己を強化するために「怪物を狩る」という時間を。彼の言葉を信じるなら「命を賭けた上で」だ。
「もちろん無理に戦う必要はない。もう一度言うが、鍛治に励んだり、武器を持たずに気ままに暮らしたって良い。それでも十分楽しめるほどのポテンシャルが、このゲームにはある」
「僕らがゲームをクリアしても、しなくても構わない?」
「ああ。言っただろう、私はその全てを観測すると」
ますます目的が分からない。
僕たちを殺したい訳でも、ゲームをクリアして欲しい訳でもない。この男は何がしたいんだ。
「説明は以上だ……まだ少し、他の教室の授業が終わるまで時間があるな。何か質問があれば答えよう」
「あなたの目的は?」
「秘密だ」
畜生が。何が答えるだ馬鹿野郎。こっちは長々と新情報を聞かされるばかりだったのに、肝心なことは何も教えてくれないのか。
「……じゃあ、生き残るコツでも教えて下さい」
混乱と疲労と諦めが、どこか投げやりな質問を僕にさせる。
「ははっ、それを私に聞くか! そうだな、君に関して言うならば……『考え過ぎないこと』かな。一瞬の身体の遅れが、命取りになることもある」
「……そうですか」
当たり障りのない回答だな。
でも、瞬発的なセンスも天才的な勘も無い僕は、考える事こそが生命線だ。そのアドバイスは受け入れられない。
「そうヤケになるなよ。君は良いモノを持っていると思うぞ……っと、そろそろ時間のようだ」
時間……全プレイヤーへの説明が終わったのか。それは良い。
僕も早く戻って、カズさんと情報整理をしたい。
そう考えていると、ふと何かを思い出したように氷室が言う。
「……そういえば君、ここに来る前の状況を覚えているかい?」
「はい……?」
教室に来る前……画面を見て、白い光に包まれる直前。
そうだ、僕はハイゴブリンと戦っていた。その最中にいきなりここへ転送されたんだ。
待てよ。
じゃあここから出ると、戻るのはあの状態――
瞬間、僕の全身を再び白い光が包む。
「私の助言が、早速役に立ちそうで何よりだ」
薄くなる景色の中で、氷室は手を振りながらそう笑う。
地に足が着いている感覚が消えた。