3.招待
一度トイレ休憩でログアウトした後、再び『ディストピア』へダイブした。
画面を呼び出してプレイ人数を確認すると、なんとぴったり三万人。みんな、残り三日しかないこの天国を一秒余さず楽しみたいということか。
「……帰りたくないなぁ」
出来る事なら、一生ここに住んでいたい。一日中好きなことをして、同じ“好き”を持つ人達と一緒に遊んで。
僕を嫌う人も、縛る人も、捨てる人もいないこの世界で。
ずっと、暮らせたらいいのに。
◇◆◇◆◇◆◇◆
怪物の素材が溜まってきたため一度『豊花の街』へ戻り、新装備が作れないか試そうと鍛冶屋を訪ねた頃。偶然にも和葉さんと再会した。
「――へえ、強化なんてものもあるんですね」
「おうよ。新武器も良いが、オレはこいつの見た目が気に入ってんだ」
正面に立つ女性プレイヤー……の外見をした男こそ、『カズピーチ』こと和葉さん。施設で同じ部屋になった尻好きの二十二歳である。
お互いのプレイヤー名は伝えていたため一目で和葉さんだと分かったが、白い長髪を流した長身美女のキャラから野太い「ユッキー!」が聞こえてきたときは驚いた。
無駄に上手い造形のせいで、声と姿が圧倒的にアンマッチなのだ。
「それよりさ、早く森に行こうぜユッキ……じゃなくて『ユキオ』!」
『ユキオ』は僕のプレイヤー名だ。本名の雪那から少しもじっただけだが、他ゲームでも毎回名乗る程度には気に入っている。
「ユッキーでいいですよ…………気に入ってるんで。そのあだ名」
「そか! じゃあオレもカズでいいぜ!」
良かった、僕もそっちの方がやりやすい。彼の『カズピーチ』は多分、桃じゃなくて尻の方だから。
「じゃあ行きましょうか、森」
ゲームに入る前は「まずはお互いソロで楽しもう」ということで、特に待ち合わせなどはしていなかったが、ここで会ったのも何かの縁。せっかくなので二人で次のエリア『小鬼の森』に行こうという話になっていた。
僕のレベルは11、カズさんは13。レベル8の時点で『ゴブリン・lv11』を倒せたので問題は無いはずだ。
「だな、ちょっと武器の品質を上げるだけで稼いだ分がパーだぜ。早く森で狩りまくって、この頼りねえ防具を卒業してえよ」
「これはこれで軽くて良いですけど」
僕らは初期から身につけていた革の軽鎧……革製の胸当てとベルトが付いただけのそれを見て、思い思いの意見を述べる。
怪物を討伐した際にもらえるゲーム内通貨『マニル』を使って、僕らはNPC鍛冶屋に武器を生産・強化してもらった。
僕は怪物の素材を用いた大鎌『岩鉄の巨刃』を、カズさんは初期武器を強化した『鉄槍Ⅱ』をそれぞれ背負う。
初期の武器を強くしてもあまり伸びしろが無いのではと思ったが、カズさんは『鉄槍』の無骨で現実味のある見た目を気に入ったのだそう。
強化の費用はマニルだけなので、持て余した怪物の素材は後で防具に使うらしい。
逆張り精神で大鎌を使っている身としては、『初期武器を強化』という逆張りポイント高めの選択肢を取られて少し悔しかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
時刻はもうすぐ午後七時。僕とカズさんはときおり体力を減らしながらも、『小鬼の森』で順調にゴブリン狩りを続けていた。
「回復アイテム、やっぱり買わないで正解でしたね」
「言うてただのレベル上げだからな、序盤はしっかり節約しねえと。限界まで体力が減ったら、死んで街まで戻ればいいし。怪我の痛みが実際にあるわけでも無い」
森のゴブリンは常に集団で襲ってくるため、どうしても被弾の確率が上がる。
二人背を合わせて戦った甲斐もあり、未だかすり傷のようなダメージで済んでいるが、更なる強敵が出てきた場合は危ないかもしれない。
「そうですね……あっ」
「どうしたユッキー――おっ、ちょっと強そうなのが出てきたな」
僕の視線の先――森の木数本を挟んだ距離にそいつはいた。集中して見ると『ハイゴブリン・lv13』の表示。それも五体、同種同レベルのものが固まっている。
「闘りますか?」
「もち。少しだけ前頼むわ、溜めてから行く」
「了解!」
短く会話を終えると、カズさんは手持ちの長槍を掲げ、長槍固有スキルである【風針撃】の構えを見せる。
【風針撃】は数秒の長い溜めを作り突きを繰り出す、強力なスキルだ。
溜めの時間こそ動けないが……起動すれば最後、数メートルの空白を一瞬で詰め、一撃で二、三体のゴブリンを屠るほどの破壊力をもつ。
よって、カズさんが溜めて僕が繋いで、【風針撃】で一掃するのがここ一時間で定着した僕らの戦い方だった。
『――ギ? グギッ、グギギィッ!!』
ハイゴブリンの一団が気付き、迫る。
幼稚園児程度の体格だったゴブリンから一気に成長し、背丈は172cmの僕を越え、肩周りの筋肉がたくましくなった。特に爪は異常な成長をとげ、ナイフと同等の大きさと鋭さに見えた。ただし重くなった分、素早さだけは劣化している。
『グギィイッッ!!』
もはや立派な武器となったその大爪が横に薙ぐ。
多対一は足を止めないのがコツだ。僕は後続を見据え、前に滑り込みながら攻撃を柄で流そうとして――
「――ぐっ!?」
失敗。予想を遥かに超えた攻撃の重さ。
ハイゴブリンの爪を凌ぎ切れず、体勢を崩した僕は地面に転がる。
「ユッキー!?」
少し調子に乗り過ぎた。
滑り込みなんて格好つけるから……我ながら情けない。
仰向けになった僕をハイゴブリン達が囲い見下ろす。
【風針撃】はまだ起動できないし、溜めを解除しても間に合うか微妙だ。
これは死んだな。
「すみませんカズさん! 先に――」
先に街に戻ってます、そう伝えようとした瞬間。
『通達。豊花の街周辺の草原に生息する怪物が全て討伐されました。街の発展が進みます。現在の魔領侵食率は39%です』
「――え」
世界の時が止まる。
僕もハイゴブリンも静止して、目の前にメッセージ画面が現れた。
草原、討伐、発展、侵食。分かる単語と知らない言葉が同時に叩きこまれ、文章を上手く読み取れない。なんだこれ、システムからの報告? 侵食ってなんのこと――
『通達。GMからメッセージがあります。一秒後、“教室”に転送します』
画面の文章が更新された、次の瞬間。
「うわっ――!?」
身体が白光に包まれ視界が白に染まる。
何がどうなっているのか分からぬまま、落下と上昇を同時に行っているような、奇妙な浮遊感が続いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「――やあ、雨札雪那くん」
「ッ! ここは……!?」
地に足が着く感触。いつの間にか閉じていた瞼を上げると、周囲の光景が先刻まで居た森から様変わりしていた……ここは、教室だ。
夕方の教室に、僕は立っていた。
文字通り、高校や中学によくある教室の一つ。
統一された机と椅子が規則正しく並べられた空間に、教壇と黒板。カーテンは端に結ばれ、窓から茜色の光が差し込む。
僕の通ってたどの学校とも違う教室だが、どこか慣れ親しんだ印象を覚える場所。
通常の教室と違う点を挙げるなら――たとえば、僕の目の前に座る人物。
「……まあ、座りなよ」
「…………」
黒づくめのスーツに、これまた漆黒の長髪を後ろに束ねた骸骨のような顔の男。
彼は、教室の真ん中にある前後の机を突き合わせ、教壇側に座っていた。他に人の気配はない。この空間には、僕と彼しか存在していない。
僕はついさっきまで『小鬼の森』でハイゴブリンの群れと戦っていたはずだ。
それが何故か、よく分からないメッセージ画面を見た直後に、こんな場所へ飛ばされている……と、そこまで考えて、理解することを諦めた。
これはきっと何かのイベントだ。こちらから何を聞かずとも、目の前の訳知り顔の男が説明してくれるだろう。
僕は彼に勧められるがまま、対面の椅子に座った。
「おや? 随分もの分かりが良いんだな。他の人は、席に着くまでに少なくとも五つの質問を私に投げたよ」
「……他の人? どこに?」
「教室さ。ここと同じような空間に居て、別の私が相手をしている……たった今、三万人全員が席に着いたところだね」
……なるほど、全プレイヤーが個別の空間に飛ばされていると。手の込んだイベントを考えるものだ。
『別の私』という言葉から察するに、この男はNPCか。
しかし気になる。
なぜわざわざ『教室』という舞台を選んだのか。僕の衣装もいつの間にか学校の制服になっているし、『ディストピア』の世界観とあまりにもかけ離れている。
「……うん、君は言葉を口に出す前に考える性格だな。私としてはその方がやりやすくて助かるし、君にとっても有益だ。いや、黙って聞いてろと言いたい訳でもないがな。対話は大事だと思うし、好きだ。だから個別の空間を用意した」
「……あの、それで、これは一体なんのために」
「この教室という空間はね、『落ち着いて対話すること』に一番適した場所だと思ったから選出したんだ。私個人の感情が大きく関わってはいるが、多くの日本人はこの空間に親しみがあるはずだ。あ、その制服はちょっとした遊び心さ。この世界に来た数少ない現役高校生だからね、その熱意を見込んで特別にデザインしてあげたんだ。十九歳以上は適当にスーツを着せておいた」
「あ、あの――」
「まあ言いたいことは分かるさ。この教室はあまりにも現代的過ぎる。『ディストピア』の世界から遠くかけ離れていると。確かにそうだ、『没入感』無くして仮想の現実は生まれない。それは私の望むところではない。だがこれが最期なんだ、私が本当の意味で対話するのは今ここがラストチャンスなのだ。だから許してくれ、この愚かな開発者のエゴを……ああ、安心するが良い。教室から出た先は、これから起こる全ては純度100%の『ディストピア』だ。それだけは保証――」
「あの!!!!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
しかし、仕方のないことだ。
このNPC――話の内容を聞く限り本当にNPCか怪しくなってきたが――はあまりにもお喋り過ぎる。
「対話は大事」とほざきながら自分の言いたいことを浴びせるばかりだ。おまけに話が全然進んでいない。この状況の意味不明さがちっとも薄れていない。
よって僕は怒る。
本当は怒りより困惑の割合の方が遙かに大きいが、このままでは話が進まない。だから怒った振りをして、強めに声を出した。
「い、いい加減本題に入って下さい!」
「……あぁ、すまない。私としたことが、君が聞き上手過ぎてついつい語ってしまったよ」
「……そういうのいいんで」
今のは本気でイラついた。何が聞き上手だ、あの様子じゃ僕が寝てたって同じ調子で語り続けてるぞ。
「……そうだね、では結論から言ってしまおうか」
男の言葉の勢いが収まる。
ようやく説明してくれそうだ。わざわざプレイヤーを強制転送し、こんな教室で長話に付き合わせたことの意味を。これから起こるであろうイベントを。
「私の名は氷室徹夜。この完全没入型MMO『ディストピア』の生みの親であり――」
しかし、僕の予想は外れることになる。
これはイベントではなく、開発者からのメッセージ。
ここへ来る前に画面で通達されたように、彼はただ――
「ちょうど今、現実世界で報道されている『三万人人質事件』の犯人だ。今、君たちの身体は完全に私の制御下にある……三万人のプレイヤーの命は、私が握っているということだ。君たちを生かすも殺すも、私の自由」
「――は?」
「その上で、君たちにはゲームをしてもらう。残機はゼロ、死は現実世界で本物となりゲームクリアまでログアウトはさせない……どうだ? ワクワクしてきたんじゃないか?」
――彼はただ、伝えに来ただけだった。
僕たちの命が彼の掌の上にあること、ログアウトは許されないこと、そしてこれから話す『ディストピア』の本来の仕様のことを。
ゲームは、まだ始まってすらいなかった。