1.尻好きお兄さんとの出会い
MMOと呼ばれるゲームジャンルがある。
正式名称はたしか『大規模多人数同時参加型オンラインゲーム』だったか……長ったらしいが、その意味合いは言葉通りだ。
同じMMOでもその仕様はタイトルごとに異なるが、僕が特に好きなのはオリジナルキャラクターを育成できるRPG要素が入ったもの。
自分の分身となるそのキャラクターを動かして、他プレイヤーと交流を持つのが好きだった。友達と呼ぶほどには踏み込まないが、他人にしては遠慮がなく、居心地が良い。
『同じ趣味を持ち、そのこと互いに認知している隣人』のような距離感と言えば良いのだろうか。とにかく、そのMMO特有の空気が好きだった。
現実の人間関係のことごとくが崩壊した僕でも、MMOの知り合いはどこか居心地が良くて、関係を大切にしたいと思えた。
だから、僕はMMOが好きだ。
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『ゲームの世界に入れたらいいのに』
ゲーマーなら誰もが一度は見たことのある夢。現実じゃあり得ない刺激を、目にすることすら出来ない景色を、社会では許されない欲望を、モニターを介さずに実体験してみたいと。
そんな夢を実現してくれる機械が、幸運にも僕の生きている時代で開発された。さらに幸運なことに、その夢を世界で一番最初に体験する三万人に、僕は選ばれた。
「――……~♪」
よって、道を行く足取りが若干弾んでしまったり、頬の筋肉が若干緩んだままになってしまったり、交差する視線が若干イタいものを見る目であることは、僕にはどうしようもない事だ。
「でっ……かいなぁ……」
スーツケースを引きずりながら訪れたのは、とある大手電子器機メーカーの所有する広大な敷地。そのど真ん中に聳える超巨大なタワーには、これまた二つの超巨大な球形ドームが添えられている。
ネットでは「どう見てもチ**にしか見えない」と騒がれているその施設こそ、僕が今回泊まる場所だ。
まあ僕もアレが日本最大級の建造物なのはどうかと思うが、間近でみると近未来的なデザインと規模で普通に感動する。
既に敷地入口で手続きを済ませた僕は列を成して施設内へ進む。前も後ろも凄い人数だ。入りの時間帯こそ分けているが、招待されたプレイヤーの総数はなんと三万。安全確保の為とはいえ、とんでもない人数を呼び込むものだ。
「すご~い! なんだか高級ホテルみたい!」
「ここがあの球の中か……なあ。俺たちってなんか、まるで精し」
「言うな馬鹿。女の子だっているんだぞ」
何やら下品な会話が聞こえる。まあ、応募条件の一つが『十八歳以上三十八歳以下の健康体』である訳だから、ああいった青く若く臭い会話も当然といえば当然……でもないか。
そう考える僕も一応青く若き十八歳児なのだけど、会話する相手すらおらず……いや、悲観する必要はない。なんせ今日は十二月二十四日、クリスマスイブ。つまり、今日の日時があらかじめ記載されていた以上、既にふるいにかけられていた訳で。
その上で今ここに居る人達は全て“同志”であるのだと、僕は信じている。
「女の人も意外といる……」
流石は今世紀最大の注目ゲーム。
僕が先行体験に選ばれたのは、史上初の完全没入型VRMMO『ディストピア』。制作会社は『ノア』。昨年、突如発表されたそのタイトルは新技術と共に注目を浴び、今年の四月にテストプレイを兼ねた三万人限定先行体験の募集を開始した。
完全没入とは、仮想空間への完全なる意識の移行。肉体への命令信号を遮断し、モニターもコントローラーも介さず、仮想世界の分身を脳から直接動かす。現実世界にも違わぬ、いやそれ以上の体験をもたらす仮想空間はまさしく『異世界』と言える……らしい。
ただその先行体験の形式は、従来のゲームのものとは大きく異なる。
「ゲームで遊ぶためだけに施設に泊まるんだもんなぁ……しかも、三泊四日食事付き」
開発されたばかりの完全没入装置……人間の脳に大きく干渉する技術の使用。それに関する安全性の云々はいくら証明しても足りない。
よって様々な企業協力のもと、万全に万全を期し、『できる限りのサポートを尽くした宿泊施設に三泊四日泊まり込みで、三万人の当選者をプレイさせる』に至った。
改めてみなくとも、一つの施設で宿泊させるにしてはとんでもない規模だ。
やはり家庭用ゲーム機として普及させるなら、フルダイブプレイの実例はいくらあっても足りないのかも知れない。逆に言えば、それだけ未知で新品ピカピカの技術を今から体験させてもらえるということだ。
「雨礼雪那です。当選番号は12965333――」
「雨礼様ですね。部屋番号は――」
受付のお姉さんに名前と番号を伝える。
普段は名乗った後「えっ男でこの名前なの?」とでも言いたげな表情を向けられるのだが、お姉さんが特に気にする様子は無かった。このお姉さんは素晴らしいお姉さんだ。
まあ、単純に捌く量が多すぎて反応する暇が無いだけなのだろうけど。
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「……病室?」
それが、案内された部屋に対する僕の感想だった。
白を基調としたシンプルな空間に、数メートル間隔で空の寝台が二つ。枕元にはコードを数本生やしたヘルメット状の機械――お目当てのフルダイブ装置だ――がそれぞれ置かれていて、寝台を跨ぐ机の上にはモニターがある。二つの寝台はカーテンで仕切る仕組みのようだ。
「うわっ、病室じゃん」
同室と思わしき男が後ろから続き、僕と全く同じ感想を上げる。思わず後ろを振り向けば、ラフな格好をしたお兄さんが立っていた。僕より少し年上に見える顔立ちにメガネをかけた、知的な印象の人だ。
「あ……こんにちは、たぶん同室の雨礼です」
「おっいいねー! オレは和葉、四日間よろしくな 」
目が合ったのでとりあえず挨拶……良かった、返してくれた。気の良さそうな人だ。
この三泊四日の間おそらくずっと同室で寝泊まりするので、ここで気まずくなるのは避けたかった。
「雨礼くん若いなー! もしかして高校生か?」
「そうですね、高三です。誕生日が四月だったので、ギリギリ応募にも間に合ったって感じで」
「十八歳以上が条件だからな、ここに集まった人間の中じゃ最年少ってわけだ。学校とか勉強は大丈夫なん?」
「学校はもうすぐ冬休みだし、大学は推薦で――」
「いいね、優秀だ! てか下の名前なに?」
「……雪那って言いま」
「オッケー! ユッキーね!!」
……驚いた。思った以上に突っ込んでくるというか、ぐいぐい来るというか、フランクな人だ。決して嫌いなタイプじゃないけど、最初に抱いた知的なイメージとは少し――
「オレやっぱさ、男が二人同じ部屋で寝る以上はさ、お互いの理解を深めるためのアレが必要だと思うのよ」
「ア、アレ?」
「そう、アレだよ。オレとユッキーが互いに気持ちよく寝るための条件ってヤツよ」
……なんだ、心当たりが全く無いぞ。
もしかしてアレってあれか? 痛い目見たくねえなら出すモンがあるだろ的な、一人孤独に頼れる人もいない男子高校生を狙ったアレ的なやつか――?
「ズバリ聞くけどさ」
「は、はい」
「ユッキー、胸と尻どっち派?」
「???????」
意味が分からない。今の流れで何故そんなアホな質問が出てくるのか。いや、そもそも流れ以前に初対面の人間に対して聞くことがそれでいいのか。それが許されるのか。
和葉さんは続ける。
「いいかユッキー、オレら男共の脳の99%はピンク色のロマンで溢れてる。つまりこの質問に答えることで、相手の個性人格の半分以上を知れるんだ。これが二十二年生きたオレの経験則なんだよ」
「……じ、人格を知って、どうするんです?」
「安心できる! 例えば夜眠るとき、隣に初対面のよく分からん奴が居てなんとなーく不安なときでも『そういえばコイツ尻派なんだよな』と思うことで緊張が和らぎ、安らかに眠ることが出来るのさ!」
「……」
なんとなく、分かった気がする。
この人はアホだ。男がみんな、自分と同じくピンク色のロマンとやらで頭いっぱいだと勘違いしている。知的そうな人とか思ってた自分が恥ずかしい。
「で、何派?」
「…………………………断然、尻ですね」
でも、嫌いじゃない。
僕が苦笑いを浮かべながらそう答えると、和葉さんもニヤッと笑った。
「奇遇だな、オレもだ」
これで和葉さんの個性人格の半分以上が知れたとはとても思えないが……少なくとも、友好の意思は感じ取れた。大げさかも知れないが、誰に好意を向けられたのは随分久し振りのことで、僕にはそれがとても嬉しかった。
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僕と尻好きの隣人はその後、全体アナウンスに従って健康診断ルームに移動したり、夕飯を頂いたりしてその日を終えた。
明日は十二月二十五日、クリスマス。
待ちに待った『ディストピア』のプレイ日だ。
消灯時間までは和葉さんと男の談義をしながら過ごした。