14.火花の明かり
『ディストピア』開始三日目の朝。
僕はレベリング開始予定時刻の四時間前、六時に目が覚めてしまった。
目覚めの良いこの身体じゃ二度寝も許されず、僕は暇つぶしに商業区を回ることにした。
しかし早朝。開いている店は殆どなく、僕はライ麦パンを頬張りながら通りを歩く。
気の赴くまま、街並みを眺めながら無意識に歩き続ける。
そう。無意識に歩いていたら、着いてしまった。
「あー! ユッキーだ! おはよー!!」
「……おはようございます」
『はがね屋』。昨日の昼、僕とカズさんが寄った武具店であり――鍛冶師見習いの伊吹さんが働く店だ。
「珍しーね。こんな時間に、こんな場所で……あっ、わたしに会いたくてここまで!? そりゃ困るぜユッキィー!」
「……伊吹さんこそ、こんな時間から店開いてるんですか?」
「わたしに会いたくてここまで!? 好きすぎでしょユッキィー!」
「…………」
いま一番言われたくないことを言われてしまった。しかも二回。答えるまで擦り続ける気だ。
朝六時、どの店も開いていない商業区の一角で、何故か自分の職場の前にいる昨日の客。彼女目線で見れば確かに『会いに来た』と勘違いされてもおかしくない。
そう。おかしくないことを理解した上で、彼女があえてその勘違いをし続けているのも確かだ。
今だってほら、イタズラをする子供のようにニヤニヤ笑っている。
僕を本当にストーカー紛いの客だと思っているなら、こんな顔はしない筈だ。
「暇なので散歩してたらここに着きました。暇なので中に入れてください。暇なので」
「マジの暇人じゃん。いーよ、中に入れたげる!」
「いいんだ……」
猛烈な暇人アピールをしたら許された。
伊吹さんと店の裏口に回り、『はがね屋』の中に入った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「親方はねー、午前中は別のお仕事をしてるんだって。だから、朝はわたしが店番」
「へえ」
「で、『お前暇そうだし七時から開けろよ』って言われて、『じゃあ鍛冶の練習させろや』って言い返したら、させて貰えるようになったの」
「なるほど」
「なので、今からわたしは鍛冶場に籠もります。ユッキーは表で店番よろしく」
「なるほど……」
僕は今、伊吹さんの手で店のエプロンを着けられている。
裏口から入って早々「バンザイして」と言われ、彼女の話を聞き、気付いたらこうなっていた。昨日の縄といいエプロンの紐といい、他人を何かで縛るのが得意なのか。
まあ「暇を潰せるなら何でもいいや」と思い、全く抵抗しなかった僕のせいでもある。だって暇だから。別にエプロンを手ずから着せられて動揺してたとかじゃない。全ては暇を潰すためにある。
「でも僕、会計とか分かりませんよ」
買う方なら簡単だけど。実はマニルも手持ちにあるアイテム扱いなので、提示された分のお金を実体化して差し出せばいい。
しかし、怪物を倒したらマニルが増える原理は謎。金を直接落とすわけでもなく、画面で見れる残高の数値だけが増えている。
『画面』といい『表示』といい、所々でゲーム的な部分が残っているというか、らしくない。氷室の言っていた現実味とやらの基準は、未だ掴み切れない所がある。
「会計はねー、商品の値札を見て、お値段を伝える。そんで実体化したマニルを貰って、カウンター下の箱に入れとけばいーよ!」
「製造注文は?」
「午後また来てねってかんじ! まあプレイヤーなんてほとんど来ないけどね!」
それはいいのか、鍛冶師として。
だが確かに、フィールドに出ないプレイヤーは未だ多い。実際、昨日の『子鬼の森』でプレイヤーと出会う事は一度もなかった。つまり装備の売買をするこの店の需要は今、限りなく低い。
「……じゃあ、僕が店番する意味あります?」
「えー……でも暇でしょ?」
「鍛冶するところ、見てみたいです」
客が来ないなら僕の暇は続いてしまう。
それに、表に突っ立ってるくらいなら、ずっと街の中に居るであろう彼女の話を聞いてみたい。
あと純粋に鍛冶の現場を覗きたい。
「客が来たら表に戻りますから」
「ユッキーも好きだねぇ。働くわたしがそんなに見たいんだ?」
「見たいです」
見たいのは職人じゃなくて仕事の風景だけど。
「気になっちゃってんだ? もう止まんないんだ?」
「気になります」
街で働くプレイヤーの話が、だけど。
「……ま、別に見せたげてもイイけどさ。今日のユッキーなんか強いね、黒髪パワー?」
「暇人パワーです」
段々とこの人との距離感が掴めてきたのもある。たぶん、多少雑に喋っても大丈夫だ。とはいえ、いつもなら『慣れ慣れし過ぎたかな』と一歩下がる所だけど、今日の僕はひと味違う。
なぜなら今は、暇なのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「――それで、バイトで暇を潰しつつ、生活費を貯めつつって感じだねー。もう緊張感はほぼ無いかな、ご飯美味しいし」
「なるほど……他の人はどうなんですか? 早く家に帰りたい、とか」
「それは皆言ってる。警察はまだか、国は何をしてるんだーって。でもそうやって怒れる内は、まだ耐えられそうな気がするよ」
パチパチと燃える煉瓦の炉。そこに燃料をくべて温度の上昇を待つ伊吹さんに、僕は街での生活に関する話を聞いていた。
彼女曰く、非戦闘的なプレイヤー達は街の酒場や道具屋、大工などの手伝いでマニルを稼ぎつつ、退屈を凌いでいるらしい。ただの日雇いでもやれることは多く、飲食店シミュレーションゲームのようなやりがいがあるとか。
外部の救援を待ち続けるにしても、やはり暇という名の苦行には抗えないようだ。ちょうど、今朝の僕のように。
「伊吹さんは、その……平気なんですか? 今の状況」
街の惨状を話す彼女はどこか人ごとのようで、態度は変わらず明るい。
そう、明るいのだ。昨日の酒場だったり、通りですれ違うプレイヤー達の表情は、決して前向きなものではなかった。
無論、陽気なのは良いことだ。僕にだって、命を懸けて戦うことの怖さや最悪の展開を想像して、一人震えそうになることは少なくない。そんな状況下で、彼女の明るさに救われた部分は確かにあるのだ。
だから少し不躾な質問ではあるが、何が彼女の光を保っているのか気になってしまった。
「平気……ってほどじゃないけど、無理もしてないよ。わたし決めてるんだ。この先、どんな運命が待ち受けていても、丸ごとぜんぶ楽しんでみせるって」
「……強いですね。伊吹さんは」
「でしょー! わたしは強い女なのだよ!」
理由はとても単純なものだった。この世界を受け入れることで前向きになること。でも、それは決して諦めの類いではなく、もっと強かな感情だ。
「元の世界にも帰りたいけどさ。わたし、この世界のバトルがマジで苦手なの。今フィールドに出たら絶対に死んじゃう。だから鍛冶を頑張って、前線で攻略してくれる人達を――ユッキー達を、わたしは全力で支えます!」
「! なんでそれを……」
「昨日うちで買い物したじゃん。装備を新調するってことは、狩りに行ってるってことでしょー?」
それは……その通りだな。「プレイヤーなんてほとんど来ない」と言っていたし、彼女からすれば僕らの目的なんて丸分かりだ。
しかし、これで伊吹さんが鍛冶師見習いをしていた理由もはっきりした。この世界での戦闘は、従来のモニター越しのそれとは大きく異なる。たとえ最先端MMOの先行体験に応募するほどのゲーム好きだとしても、キーボードと同じ感覚で身体を動かせる訳ではなく。球技が全く出来ない人と同じ原理で、無理な人は本当に無理らしい。
「だから凄いよ、ユッキーは」
「……僕からすれば、伊吹さんの明るさも十分凄いと思います。あなたの前向きな顔は、きっと多くの人の救いになる」
「そうかなぁ。みんな真剣な顔で悩んでるのに、わたしだけふざけて見えるんじゃない? まあ昔からそんな感じだし、慣れて――」
「そんな事はないです、絶対に」
「お、おぅ……ありがと…………?」
少し語気が強くなってしまった。
だが、もし本当に彼女を悪く言う者が居るのなら許せない。明るい空気が嫌ならば、僕の陰気たっぷりの小言で罵ってやる。
伊吹さんは顔を背け、炉の調整に戻る。もう狙いの温度には達したらしく、火に入れていた鋼を取り出した。そのまま、熱で赤くなったそれを金床に置く。
「……じゃあ、わたしそろそろ作業に入るから。見てても良いけど、音がうるさくて多分お話はできないよ?」
「見ていいなら見ます」
「さいですか……」
まだ集合時間まで一時間ほどある。三十分前に出れば余裕で間に合うだろう。
それに、彼女の姿を見るに鍛冶はここからが本番だ。ゴーグルと厚手の手袋、黒革のエプロンを付け、ハンマーを握った伊吹さんは完全に職人モード。
「――」
熱した鋼を型に置き、金槌を振る。さして広くない鍛冶場に金属を打つ音が響き渡る。
カーン、カーンと、一定のリズムで響音は続く。これぞ鍛冶師って感じの光景だ。
時間になるまで、僕は金槌を振る彼女を眺めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「――じゃ、今日も狩り頑張ってね!」
「はい、行ってきます」
『はがね屋』の裏口。集合場所に向かう僕を、伊吹さんはわざわざ見送ってくれるらしい。
「行ってきます」か……自然に出たが、随分久しぶりに発した言葉だ。
「また来てもいいんだぜ、わたしのファン第一号くん」
ファンと呼ぶのは、僕が熱心に鍛冶現場を眺めていたからだろうか。
またを付けたのは、生きて帰って、顔を見せろってことなのだろうか。
もしそうだったら、本当にファンになっても悪い気分じゃないな。
「……ええ、また来ます。ファンとして」
今日も笑って手を振り、『はがね屋』を後にした。