9月6日(金)-5
圭は人形の前に立ち、仁王立ちする。
「威嚇すんなよ。お前、おっさんには認知されてないんだから」
威嚇? 威嚇されているのか?
圭の言葉に、慌てて人形の方を確認する。やはり何か変わったようには分からない。空美の方も見るが、やはり人形を見て何かを感じ取っているようで、顔が真っ青だ。
「桶田さん、大丈夫ですか?」
「あ、あの……何も、感じないんですか?」
「感じる?」
「だから、ずっと威圧感があるじゃないですか。じりじりと、睨みつけられていますし」
威圧感と、睨みつけ。
そう言われてから見て見ると、そういうような気がする。
だが、人形ってそんなものじゃないだろうか。微笑んでいると思えば微笑んでいるように見えるし、怒っていると言われると怒ってるように見える。
同調は大事なことかもしれないが、実際に自分が感じることを手放すのは好きではない。夏はやっぱりビールでしょって言われても、冷酒が飲みたいときがあるし。いや、これは関係ない。
「おっさんは、それでいい。普段から嫌なものをスルーする能力があるから、厄付なのにそういう感じでいられるんだから」
多分、褒められている。そう思いたい。
「おっさんは人に言われても大丈夫そうだから言うけどさ、こいつ、さっきからずっと威嚇して来てる。こいつを雑に扱う俺に腹を立てているし、俺を連れてきた依頼人に苛立っている」
そうなのか。いや、そう言われると、どことなく怒っている、ような気がする。
私が人形を見ていると、圭がぷっと噴き出した。
「やっぱりお前、認知されてないじゃん」
圭はそう言うと、空美さんの方を振り返る。空美さんは真っ青な顔のまま、じり、と後ろに一歩下がっていた。
先程、圭に「苛立っている」と言われて、怖くなったのかもしれない。
「この中に入っているのは、人じゃない。動物でもない。魂とか、そういうんじゃない。この中に入っているのは、何かの集合体だ」
「何かって?」
「それは分からない。でも、元々意識を持っていたものではないし、こうして意識を持つようになったのは、長年の産物だ」
「付喪神みたいな」
確か、長く使えば物にも魂が宿るみたいな神様だったはず。
「それに近い。ただ、それは人形に宿っているから、というわけでもないと思う。なんかさ……変なんだよな」
圭はそう言い、またじろりと人形を見る。
「こいつは何も語らない。語るべき背景が存在しないからだ。ただ在るのは、その場に対する感情のようなものと、何かしらの目的だ」
「え、目的があるのかい?」
「多分。でも、その目的自体は分からない。大体、何なんだよ、こいつ。なんでこの家に、こういうのがいるわけ?」
「古い家だからじゃないのかい? よく、日本人形が飾られているイメージがあるんだけど」
「そりゃ、そういう意味ではそうだけど。なんていうか……豆腐屋にリンゴが置いてあるみたいな」
「え?」
「だから、その場にあっておかしくないものじゃなくて、その場にあるはずがないものがある、みたいな。豆腐屋に豆腐や油揚げがあってもおかしくないだろ? ぎりぎり豆腐で作ったドーナツやらケーキがあっても、まあ何とか分かる。でも、リンゴはないだろ? スーパーやコンビニじゃあるまいし」
ああ、なるほど。なんとなく、分かった。場所が違うのか。
この日本人形は、本来この家にはないものだ、と圭は言いたいのだ。もっと、別の居場所があるはずだ、と。
「なら、その本来の場所はどこなんだ?」
「それは、分からないけど。ただ、この家にあるのがおかしい、というのは分かる。だってこいつ、異質なんだもん」
「異質?」
「匂い、だよ。家には特有の匂いがあって、その家のものはもれなくその匂いをまとう。それなのに、こいつはこの家にいるのに、この家の匂いをまとっていない。それどころか、こいつ自体が違う匂いをまとっている。交じる気もない、主張している匂いが」
ああ、だから最初「匂い」と言っていたのか。この桶田家の方から、この人形の放つ匂いを感じ取って。……感じ取って?
「そんなに、匂うものなのかい? 結構離れていたよね、最初」
「だから、うっすらとしか分からなかった。日常じゃない匂いがしたんだ。何か、異質というか……違う匂い」
うーん、説明されても私にはわからない。
匂いのあたりはなんとなくわかるけれど。よそのお家にお邪魔したら、なんとなく違う感じがする、あれだ。匂いが違うのだ。だから、実家に帰って匂いを嗅ぐと「帰ってきた」気がするのだ。
そうか、あれは家自体が纏っていた匂いなのか。
感心していると、圭は「今、感心してる場合じゃねぇって」と突っ込みを入れてきた。
「とにかく、この人形について情報が足りない。この家になぜあるのかわからないし、そもそも本当にここにあったものなのか怪しいし、何よりその癖こいつがここから動きたがらないのが、意味が分からない」
圭は一気に言い、空美に向き直る。空美は口元に手を寄せ、しばし考えてから口を開く。
「主人なら、知っているかもしれません。ただでさえ、こうして私が浄華さんに頼ることを、嫌がってましたから」
ああ、事前にそう聞いていたっけ。
「答えてくれるのか?」
「私の問いには答えてくれませんでしたが、直接聞いていただけたら、もしかして」
空美はそう言って、言葉を濁す。
妻である彼女にも言わないことを、他人が聞いて答えるかもわからない。だが、情報といえばそこしかないような気もする。
圭は「分かった」と答え、頷く。
「ただ、この村に宿はないと聞いた。できれば、泊めてもらいたいんだけど。ついでに、ご飯も食べさせてくれたら助かる。その分、依頼料から引くから」
空美は「もちろんです」と答え、少しほっとした表情を見せた。こんなに怖い人形がいる家に、拝み屋である圭がいることが安心なのかもしれない。
「先に言っておくけど、俺はいっぱい食べる。それこそ、米を五合は食べる。だから、引くくらい作ってくれたら、助かる」
圭はそう言って、小さく笑った。空美は半信半疑で「はあ」と頷いた。圭の見た目からは想像もつかないのだろう。
依頼料は、相殺されてしまうかもしれない。