9月8日(日)-1
スマホのアラーム音がし、私は目を覚ます。
ううーん、と大きく背伸びをし、アラームを消した。
現在、午前8時。圭と華嬢との約束は、午前10時。浄華本社で待っている、と言われている。
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昨日、桶田家のある丘を下りていくと、来た時と同じ場所に車が停まっていた。
片桐さんだ。
「おかえりなさいませ」
片桐さんはそう言いながら、後部座席のドアを開けてくれた。私は礼を言いながら乗り込む。
圭は欠伸をしながら、助手席へと座る。
「こっちじゃないのかい?」
「華も乗るんだから、俺はこっちにいく。そして、寝る」
きっぱりと圭はそう言うと、そのまま目を閉じてしまった。
疲れたのだろうな。
暫く待っていると、私が乗っている反対側のドアが開き、華嬢が乗り込んできた。
「お待たせしました」
「いいえ、とんでもない」
美しく笑う華嬢に、私は恐縮する。隣に華嬢が座っていると思うと、ちょっとだけ緊張してしまう。テンションも上がる。
「それでは、出発いたします」
片桐さんが声をかけ、静かに車が発進した。相変わらず、いつアクセルを踏まれたか分からない、滑らかさだ。
「また今回も、お世話になりました。いえ、今回は特に」
華嬢はそう言い、頭を下げた。
「とんでもない。貴重な体験ができましたし、なんといっても無事に終われたのだからよかったじゃないですか」
私がそう言うと、華嬢は嬉しそうに微笑んだ。ああ、やっぱり美しい。
「今回の報酬などにつきましては、明日、うちの会社に来て戴けますか? ご足労をかけてしまって、申し訳ないのですけれど」
「いえいえ。家にいても寝っ転がって一日を過ごして、終わりですから」
「まあ、そうなのですか。何かしらご予定があったのではないかと」
「それが、何もないんですよ。あえていうなら、まあ、録りためている番組を見るくらいですかね」
テレビの番組表を見て、面白そうだと思って予約をするのだが、それで満足してしまい、容量がパンパンになり、結局見ずに消すこともある。
何もない休日は、積極的にそういった録りためたものを観るようにしている。
逆に言えば、別に急がないし最悪消してもいい。
「それに比べたら、鈴駆さんとお話しするほうが、余程充実した休日を過ごすことができます」
「まあ」
華嬢はくすくすと笑う。冗談と思われているのだろうか。結構、本気なのだけれども。
「では、良ければ明日、昼食をご一緒しませんか? 近くにおいしい和食の店があるんですよ」
華嬢の言葉に、私は「ぜひ」と言って頷いた。
ぐうだらテレビ休日と、美人と昼食。天と地との差がある。
「俺も行きたい」
寝ていたと思っていた圭が、助手席から声を上げる。
華嬢は私をうかがうようにこちらを見る。私は苦笑しながら頷く。
ちょっぴり残念だけれど、華嬢にしても圭が一緒の方がいいかもしれない。
「いいけれど、食べ過ぎないで。行けなくなるわ」
「俺、適量しか食べないから大丈夫」
嘘だ。
圭の適量は、ほぼ大多数の適量とは違う。
大丈夫なんて、絶対嘘だ!
華嬢もそう思ったらしく、小さくため息をつきながら「頼むわよ」と応じる。
華嬢行きつけの和食屋で、ちょっとした話題をかっさらうことになるかもしれない。
そうこうしていると、ふわっとした眠気がやってくる。心地よい車の走りと、桶田家でのことが終わった安心感と、最初は緊張していた華嬢との会話に癒されたことと、すべてが混ざったことによる、眠気だ。
私が欠伸を噛むのを見て、華嬢は小さく笑う。
「どうぞ、眠ってください。お疲れでしょうから」
「いや、でも」
「私も実は、ちょっとだけ眠たくて。一緒に寝ちゃいませんか?」
おお、ちょっと目が覚めた。すごい台詞を聞いてしまった!
いやいや、さすがにここは落ち着かねば。男として、いや、一人の人間として!
私は少し深呼吸をしてから「では」と言って頷く。
「ちょっとだけ、寝ちゃいましょうか」
「はい」
華嬢はそう言うと、座席に身をゆだねて目を閉じた。まつげが長く、口紅を引いた唇はつややかだ。
すごい。眠る顔も美しい。
なんだっけ、絵本にあったような気がする。美人が眠ってて、それに惚れる王子様。
(まあ、いい。ずっと見ているのも失礼だ)
私は華嬢の顔を目に焼き付けてから、自らの目を閉じた。
華嬢の顔を反芻して眠れないと思っていたのだが、疲労は簡単に私を眠りへと誘った。
そうして、目が覚めたときには自宅の近くであった。
「では、明日」
華嬢はそう言うと、綺麗に微笑んだ。
私は「はい」と答え、片桐さんの方を見る。
「お世話になりました。快適なドライブで、すっかり寝てしまって」
そういうと、片桐さんは静かに微笑み「恐縮です」と頭をさげた。やはり、素敵な人だ。
「じゃあな、おっさん。今回もありがとう。また明日な」
助手席から圭がひらひらと手を振った。
もう目は、金色ではなかった。