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9月7日(土)-4

 再び桶田家に戻ると、圭は玄関の中に入らず、ぐるっと庭の方へと向かった。かこん、という音が聞こえてくる。


「やっぱり、水が気になる?」

「気になるっていうか、間違いなく水が関わってるというか」


 圭はずかずかと歩きながら答える。頭の中で情報を処理しているのだろうか、返事がふわっとしている。

 不思議そうな顔の三枝も、圭と私についてくる。そして、桶田家の中から、総司と空美も出てきた。


「いつの間に、お帰りになったんですか。それに、三枝さんまで」


 総司が言うと、空美が「本当に」と続ける。


「暑かったでしょう。中で、お茶でも出しますよ」


 ありがたい申し出なのだが、圭は何も答えず、ししおどしのある一番奥の方へと向かっていく。


「私にも、何が何だか」


 三枝がそう言いながら、ちらりと私を見る。

 大丈夫、私もよくわからない。水が関わっている、その水を確かめに行っている、ということは分かっているのだが、それ以上はさっぱりだ。

 圭はししおどしのところにつくと、まず流れてくる水に触れ、また口に含んだ。


「……違う」


 小さく呟き、今度はししおどしが溜めて音を鳴らした後の水に触れ、口に含む。

 にやり、と笑った。

 圭は濡れた手を、ぴっぴっと振って雫を払い、桶田家の窓に近づく。縁側になっているそこには大きな掃き出しの窓があり、今は網戸になって開かれている。


「あの部屋、人形がいる部屋だよな?」

「え? あ、はい。そうです」


 親指で家の中を指しながら圭が尋ねると、総司がうなずきながら答えた。


「じゃあ、あのししおどしとセットになってるんだな、あいつ」


 セット? セットって言った?

 私は頭の中で、某ハンバーガーショップの楽しいセットが浮かび上がってきた。おもちゃがついてくる、子供向けのあれだ。


「なんだか、お得な感じがするね」


 思わず口にしてしまうと、ぎろり、と圭に睨まれた。


「この村に流れる川には、あいつの匂いみたいなものがついていた。この家と離れていたから、うっすらとしか分からない匂いがしていたんだと思っていた。だけど、おっさんが言っていたけど、結構離れていた距離でも匂っていた。村全体を覆うように、異質な匂いが」

「うっすらと、と言っていたよね。離れているから、うっすらとしか分からないって」

「この家に近づくとどんどん匂いが強くなっていったから、距離的な問題だと思っていたけど、今思えば、近付いた割には強すぎない気がする。今更、なんだけど」


 歯痒そうに圭が言う。昨日気づきたかった、と言わんばかりだ。


「この村は、川の水によって、把握されている。この山水がししおどしに注がれ、音が鳴り、水を吐き出す。その一連の流れは、同時に人形の力が注がれ、水に溶け込まし、川へと放つ動作も行っていたんだ。ここが源流なんだろう? この村に流れる川の」

「そうですが……そんな、歌子さんの力が注がれるって……いったい」


 総司が動揺しながら答える。


「あの」


 しん、と静まり返った中、空美が声を上げる。一斉にそちらを見ると、空美は縁側の方を指しながら口を開く。


「良かったら、あちらで話しませんか? ここは日差しが照り付けますし、お茶もお出ししますから」


 空美の提案に、まず三枝が「助かります」と答え、縁側へと向かう。続けて圭も。

 私も続こうとすると、総司がぽつりと「歌子さんの力が」と呟きながら、じっとししおどしを見ていた。ししおどしはこちらの話を気にすることもなく、かこん、と動作を続けている。


「あの、行きませんか? まだ話の途中ですし、ここで倒れてもいけませんし」


 私が声をかけると、総司ははっとしたように振り返り、はい、と小さく答えた。

 彼の中で、そういう感情が渦巻いているかなど私に知る由もないが、ただ、驚いていることだろうことは分かった。

 何らかのものを封じているのは分かっていたし、村を守っていることも分かっていた。だが、具体的なことは何も「知らない」と言っていた。威圧して来ても、気にしないようにすればいい、とだけ言っていた。


 つまりは、人形の存在と村の守りが、本当に直結しているかどうかすら、総司は分かっていなかったのではないだろうか。

 よくある迷信だとか、村の言い伝えだとか、そういうふわっとした「とりあえず守っておこう」というものだと思っていたのではないか。威圧されても「そういうものだと聞いているから」とだけ、軽く考えて。


 ふらふらと総司は縁側に腰掛ける。どこか、疲れたような表情をしている。


「あの、失礼なんですけれど。総司さんのお父さんやお祖父さんからは、何も聞かされていないんですか?」


 私はふと気になり、尋ねる。

 古文書のようなものはないと言っていたのだから、口伝くらいはされているのでは、と思ったのだ。

 人形の存在が村を守っているのならば、村長としての引継ぎだけではなく、村の守りとしての引継ぎだってなされていいではないか、と。


「それが、父は殆ど何も聞けていなかったようなのです。だから、私も聞けていない。祖父は父が幼いころ、戦争に」

「くそ、徴兵制か」


 ちっ、と圭が舌打ちする。

 そういう時代だったのだ。そういう時代で終わらせていいのかどうか、私には分からないが、そう言うしかない。


「そりゃ、分からないわけだ。村長としての引継ぎはあくまでも村長がすべきこととしてのものしか残してない。人形の事とかは、後継ぎに口伝していくタイプだったんだろうな。文書一つ残ってないんなら」

「総司さんのお祖母さんは、ご存じなかったのですか?」

「そうですね。歌子さんは村を守っているのだから、大事にしてほしいとしか、祖母も聞かされてなかったようです」

「もう、俺、やだ。考えたくなくなってきた」


 圭はそう言うと、縁側にごろりと寝転がる。


「すまないが。私は全然話が見えないんですけれど」


 空美の入れてくれた麦茶を飲み、三枝が言う。そうだ、そういえば、まず根本的なことを知らされていない。

 圭はため息を一つついて体を起こし、三枝に向き直る。


「この桶田家には、村を守っている人形がいる。概念だとか、そういうものじゃない。言葉通り、守っている。だから、洪水や山崩れといった、災害が怒っていない。ここにいる人形が、守っているからだ」

「え?」


 呆然とする三枝だが、圭は言葉を続ける。


「人形は守るべき村を、川を使って確認している。川が村全体に流れているだろう? その川の水に己の力を混ぜ、村のどこに人間が住んでおり、田畑があり、平穏かどうかを確認している。雨が降ったり水をまいたりしていないのに、水が濡れていたり水路に水が通っていたりしていたのは、ここにいる人形が川の水を使って把握するためだ」

「あの、その……人形が、ですか?」

「正しくは、人形に封じられている何者か、だな。分かりやすく言えば、土地神とかそういうのに近い。だからこそ、村に人が増えればお目通りをしなければならないし、こまめに報告しなければならない。お前たちの村は、人形によって『守られて』いるのだから」


「ちょっと、ちょっと待ってくれ。人形が、土地神? そんな話、聞いたことも」


 三枝が慌てたように言う。寝耳に水と言わんばかりだ。

 だが、そんな三枝に対し、圭は冷めたような目を向ける。


「引継ぎ、したんだろう? そこに書いてなかったのか? 桶田家に挨拶にいけ、と。桶田家は村の重心となっているから、必ず新たに人が増えた際には、挨拶に行け、と」

「重心……重鎮、ではなく」

「重心だな。別に有力者だから挨拶に行けと言っているわけじゃない。この村の中心となり、そこに重きを置くべき存在があるからこそ、挨拶に行けと言っていたはずだ」

「書き間違えか、言い間違え、かと」


 小さく三枝が震えている。少し前まで、彼は高を括っていたはずだ。何しろ、古い風習だ、と言っていたのだから。


「別に人形に直接挨拶しに行く必要はないんだ。あの人形は、この家を自分の祠みたいなもんだと思っているから、この家に挨拶に来るだけでよかった。それだけで人形自身は満足するはずだ。だが、それを怠ったから、満足するはずもない。守ってやっている村に、挨拶もしないような存在が、勝手に住み着いているんだからな」


 圭が言うと、三枝は「それでも」と口を開く。


「言い伝え、でしょう? 迷信だ、そんなのは。村を守っているなんて、そんなの」

「あんただって、言ってたじゃないか。川が多いから水害を恐れる人もいるけれど、幸いなことに水害に遭ったことがないって。不思議だと、一度でも思ったことはないのか? どれだけ大雨が降ったとしても、川がどれだけ増水しても、決して洪水が起こらないことを。川の水があふれ出そうになっても、実際に村が浸かったことがない事を」


 圭の言葉に、三枝は息を呑む。覚えがあるのだ。

 ここ近年では、ゲリラ豪雨や大雨など、異常気象も起こっている。今迄、自然災害が起こったことが無いような地域でも、災害が発生している。

 それなのに、この村は何も起こっていない。何度か「危ない」と思うことはあったかもしれないが、結果としては何も起こってない。

 それは「人形が守っていた」からなのだと、三枝は理解してしまったのだろう。


「先に言っておくけど、もう遅いからな。数か月前から、人形は威圧を始めている。挨拶がないとか、好き勝手しているとか、敬いが足りないとか、そういうことを主張し始めている。今から新しく来た人全員を人形に挨拶させたとしても、人形の威圧が収まるとは思えない。何しろ、人形とこの村が培っていた約束事、契約と言ってもいいか。それを、破ってしまったんだからな」


 三枝は「じゃあ」と口を開く。


「じゃあ、どうすればいいんですか。その話が本当ならば、人形はもうこの村を守らないようになるんでしょう? だとすれば、水害が起こる。そうすれば、この村に住んでいる人は」

「そこ、なんだよなぁ」


 再び、圭はごろんと横になった。

 取引先との契約が一方的に破られた場合、またその取引先と取引したいのならば、頭を下げて菓子折りを持って行く。場合によっては慰謝料を払う。相手に有利な話を出す。ここら辺だろうか。

 ならば、人形相手ならどうだろうか。菓子折りや慰謝料といったものが何に当たるかは分からないし、有利な話と言っても。


 私が考えていると、桶田家のチャイムが鳴り響いた。空美は「ちょっとすいません」と私たちに伝え、玄関の方へと向かった。


「なあ、圭君。いっそ、君が人形を喰っちゃうとか」


 私がぼそっと圭にいうが、圭はものすごくい嫌そうな顔をした。


「おっさん、俺だって、何でも喰えるわけじゃないから」

「いや、でも、そこら辺の厄とか、食べてるから」

「……おっさん、好きな食べ物は?」

「え、豆腐かな?」


 なんだ、いきなり。


「じゃあ、豆腐好きなら大豆を生で食べられる? にがりとかも飲める?」


 私はぶんぶんと首を振る。


「そういうこと。どれだけ俺が厄を喰らえるっていっても、性質の違うものを喰うのは無理」


 ああ、なるほど。なんでもかんでも喰らうわけじゃないのか。

 私が納得していると、空美が「あの、すいません」と言いながら戻ってきた。


「行き詰っている? 桂木」


 空美の後ろから、聞こえ覚えのある声が響く。

 そこには、華嬢が美しく微笑みながら立っているのだった。

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