9月7日(土)-2
圭は「よし」と強めに言ったのち、歩き始める。
「とりあえず、村長とか言う人のところに行くか」
「家、知ってるのかい?」
「それくらいなら、調査書に載ってたから」
圭はそう言うと、ずかずかと歩き始める。迷い一つない。
私だったら、今一度村長の家の住所を確認したり、地図で検索したりするだろう。頭の中に全てを叩きこむことは、難しい。
年齢のせいではなく、元々そういう性質だったのだから、仕方ない。
決して年齢のせいではなくて。
「村長は、今年から就任した三枝さん、だそうだ。今まで、重鎮と言われてきた家で回してきたが、皆年齢が上がったため、就任することになったらしい。まあ、世代交代ってやつだな」
圭がそう言いながら、一軒の家を指でさす。なるほど、古すぎず、新しすぎずといった家だ。
チャイムを押すと、中からすぐに「はい」と返事がある。
「この村の事について、聞きたいことがあるのですけれど」
圭がインタフォンに向かって言うと、中から訝しげな声で「どちら様ですか」と返事がある。
「調査会社の者です。この村の土地について、尋ねたいことがあるのですが、村長さんはいらっしゃいますか」
すらすらと丁寧な口調で圭が言う。丁寧な言い方もできるのか、と感心してみていると、圭がちょっとむっとしたようにこちらを見てきた。
「俺だって、多少はこういう風に喋れるんだよ」
それは、悪かった。
暫くすると、中からガチャリという鍵を開ける音共に、中年男性が出てきた。
彼が、村長なのだろう。
「どうも、初めまして。私が今、村長をしている三枝と申します」
中へ、と誘われる。「ちょっと、散らかっていますけれど」
「玄関で構いません。ただ、ここで話すと周りに聞こえるかもしれませんから、玄関まで入れてもらえると、助かります」
圭が言うと、ちょっとだけほっとしたように、三枝は玄関内に入れてくれた。私には特に散らかっているようには見えなかったが、そういう言い回しなのだろう。
「それで、何をお聞きになりたいのですか?」
単刀直入に、三枝が聞く。さっさと終わらせたい、という態度が見られる。
「今年から村長をやられているとか」
「そうです。今まで、年寄りたちが中心に回していたのですが、さすがに年齢には勝てないそうで」
「何かしらの引継ぎはされたと思うのですけれど、その引き継ぎ書みたいなものはありませんか?」
「引き継ぎ書、ですか。あまり、村外の方にお見せするものでは」
三枝が渋る。まあ、無理もないだろう。
「では、内容の確認を口頭でさせてもらえませんか?」
三枝はしばらく考えたのち、一応頷いた。
「村に新たに入ってきた人、または赤ちゃんが生まれた時など、人が増えたときは挨拶すべきものがある、という項目はありませんでしたか?」
圭の言葉に、ぴくり、と三枝は体を震わせた。身に覚えがあるのだろう。
「それは、確かに……あったような気がするが」
「きちんとされていますか?」
「いや、それは古い風習だから。現代においては、非常識じゃないかね? わざわざ、村長でもない家に挨拶に行かなければならないだなんて。しかも、新しく入った人全員、だなんて」
三枝は言い訳するように言葉を並べる。
「していないんですね?」
圭の念押しに、ぐっと三枝は黙る。肯定の意味だ。
「必ずしなければならない、と念を押されませんでしたか?」
「……しかし、おかしいじゃないか。どれだけ昔、力を持っている家だったからと言って、わざわざ挨拶に行くなんて。悪しき慣習といってもおかしくない。だからこそ、私の代で断ち切るべきなんだ。新しい家も増えたし、理由を聞かれても昔からだから、としか答えられない。それならばいっそ、無くしてしまった方がいい。そう思わんかね?」
必死な口調で、同意を求められる。圭は一つため息をつき、三枝に向き直る。
「理由を、知らないんですか?」
「先代の村長に尋ねたが、昔からの決まり事だから、としか」
「まあ……そうなるよな。もう口伝えでしかやってなくて、それももう徐々に薄れているだろうから」
圭の口調が砕けてきた。もう、丁寧な対応はしなくていい、ということだろうか。
「昔から続けて行われることっていうのは、一見意味がなさそうで、根本にはもっと違うものが埋め込まれているものなんだ。もちろん中には、悪しき慣習と呼ばれるものもある。だけど、今回のは……」
「なんだというのかね? 私の判断が、間違っていたとも?」
三枝が責めるような口調で圭にいう。先代の村長から言われていたことを破ったという罪悪感が、そうさせているのかもしれない。
おそらく自分が正しい事をやっている、と思っていたに違いない。だからこそ、今、圭によってそれが違うと指摘されるのが怖いのだ。
「正解か不正解かって言われたら、不正解だな」
「なっ……」
「かといって、多分もう、今から挨拶しても遅い。遅いし、挨拶していない人たちはもう無理な気がする」
「無理って、何が」
圭はしばし考えたのち「じゃあ」と言って提案する。
「これから桶田家に行って話をするから、あんたもくればいい。もっとも、何も知らずにいたい、というのならば、別に来なくていい」
ああ、もう丁寧な口調はどこにもない。
しかし、その事を指摘する余裕もなく、三枝はすぐに「行く」と答えた。
「じゃあ、行くか」
圭はそう言い、三枝家の玄関から出る。
ギラリと差し込む日の光が、目に痛かった。