9月6日(金):浄華にて
鈴駆 華は、美しく整頓されたデスクで、一つため息をついた。
桂木に行かせた水越村の情報が、殆ど得られていないことが気になって仕方がない。
いつもならば、人口や村長といった表向きの情報から、住人がどの店で何かを買った、といった細かすぎる情報まで得られるというのに、今回に限ってそれができていない。
ただ得られたのは「特に問題を起こしたことがない」「これからも特に問題があるとは思えない」という、あまりにも嘘くさい情報だけだった。
「どうなっているのかしら」
ギイ、と椅子の背もたれに体をゆだねる。情報収集がこんなに難航したのは、過去なかったことはないが、かなり珍しい。
それも、この「特に問題がない」という、謎の判断情報が阻害しているとしか思えなかった。
「こういうところは、確実に何かがあるのよね」
鈴駆は呟く。勘というより、経験からの感想に近い。
ただ、それを裏付ける情報が足りない。
「あんまり頼りたくないけれど」
はあ、と鈴駆は今一度ため息をつき、電話を手に取る。素早く番号を押し、応答を待った。
「もしもし。鈴駆ですけれど」
「華か。久しぶりだ」
応答したのは、落ち着いた壮年男性の声だった。鈴駆は小さく微笑み、身を正す。
「お忙しいところを恐縮です」
「とんでもない。こうして電話をしてもらえるのが、嬉しいよ」
相手の答えに、鈴駆は苦笑する。どこまでが本心かは分からない。毎回こういうやり取りはするものの、腹内は見せてこない。
それが、取引というものだから。
「突然ですけれど、水越村をご存じないですか」
「水越村か。どこかで聞いた覚えがある」
電話の相手はそう言うと、カタカタとキイを叩いたようだった。電話の向こうで、検索しているのだろう。
「ちょっと厄介な場所のようだ」
「そうですか、やはり」
「何かあったのかね?」
「依頼がありまして。そちらの管轄で、何かしらかかわりがある場所ではないかと思いまして、連絡した次第です」
「なるほど、相変わらずの観察眼だ」
「恐縮です」
「君がどういう依頼を受けているかは、聞いても?」
「いえ、さすがに今はまだ。厄介、と仰られたので、その内容によるとは思います」
「なるほど」
電話の相手はそう言うと、静かに話し出す。
「電話では、言えない」
「……なるほど。では、こちらも電話では難しいでしょう」
「となる。つまりは、表向きは何も問題がない、となる」
「ふふ、よくご存じで」
鈴駆の言葉に、相手は笑った。もう何度かやり取りしたことがある流れなのだろう。
「うちのを行かせる。この村の担当者だ」
「担当者がいらっしゃいましたか。それは助かります」
「明日でも大丈夫か」
「今からですと、さすがに難しいでしょう」
「君のためならば、多少の無茶はさせるが」
「ご冗談を」
しかも、無茶をされるのはその担当者だ。
「それでは明日、私どもがお迎えに上がります。できれば、その担当者の方も一緒に行っていただきたいので」
「出張か。ふむ、そのようにしておこう」
電話の向こうで、再びキイを叩く音が聞こえる。すぐに手配をしているのだろう。
「では明日」
時間も何も言わない。それでいい。むしろ、そうしなければならない。
どこで、何が、どう、聞かれるかなど、分からないのだから。
「近いうち、食事でもどうだね?」
揶揄うような言い方に、鈴駆は小さく笑い「ご冗談を」と返す。
電話は、そこで切れた。