すこしだけお話いいですか?
手土産として思いつくものは、結局紅茶しかなかった。
おばあちゃん特製ブレンドの紅茶を水筒にいれて、もし生徒会室に給湯スペースがあるなら出来立てを飲んでもらいたいので茶葉も少し包むことにする。
今日の授業が終わってから夕刻を迎えるまでには1時間もない。
売店で売っていたパンを買ってきて、寮の自室で簡単にサンドイッチを作った。
紅茶だけで持っていくには物足りないけど、かといって売店にあるお菓子はスナックや飴がほとんどで、お茶請けになりそうなものはない。
考えた結果がサンドイッチ。
好みの具なんてしらないから、私の好みで勝手につくった。いっぱいのベリーがごろりとはいったジャムのものと、優しい味の卵サンドの2つ。
レヴァン=マーティンがもしどっちも食べなかったら、これは私の夜ご飯にしよう!
バスケットにいれて、制服のまま寮を出る。
ちょうど日が傾き始めて、空がうっすらと赤く染まり始めていた。
生徒会室は校舎の一番上にあるので、階段を急いで登る。
夕の刻逃さず!
今日の廊下は凍っていなかった。
透き通るような冷気をわずかに感じるが、気にしていなければわからないほどだ。
ここにレヴァン=マーティンが本当にいるかあやしくなってきた。
もし、いなかったらどうしよう。
てっきりここだと思ってきたけれど、今から探すことになったら夕刻を通り過ぎてしまいそう。
真っ赤に照らされた廊下に立って、階段であがった息を整える。
緊張してきた。
だめだめ、しっかりしなきゃ。
こん、こんと叩いた扉の音はとても小さい。
しかし、ちゃんと聞こえたのか扉に向かって歩いてくる気配がして私はごくりと唾を飲み込んだ。
かちゃり、と扉を開いてこちらを見下ろしていたのはレヴァン=マーティンだった。
濡れたカラスの羽根のように黒い髪の隙間から、ワイン色の瞳が私を捉えて一瞬驚いたように見える。
「あ、あの」
何度もイメージトレーニングしてきたセリフを言おうとしてつまづき、乾いた唇を舐める。
さしいれです、って言えばいい。
すこしだけお話いいですか、ってそれだけ。
「入れ」
まごつく私より先に、レヴァン=マーティンが促した。
肩に触れられて部屋の中へ誘われ、すくみかけた足がもつれて倒れそうになる。
やばい、バスケットをひっくり返してしまったら――……
しかし、思っていたような衝撃は襲ってこなかった。
バスケットを持つ手ごと包まれ、レヴァン=マーティンによって受け止められている。
抱き着いてしまったような格好になって、私は赤くなるより先に青くなった。
「す、すみません!」
「……いい匂いがする」
低い声が頭のすぐそばでしてぞくぞくと背筋が粟立つ。
放心状態の私を立たせると、レヴァン=マーティンはバスケットを浚って持ち上げた。
「これは?」
「あっ……さ、差し入れです!」
一瞬、自分の事をいい匂いだと言われたのかと思った自分が恥ずかしくなって、今度こそ私は顔を赤らめた。
そっか、いい匂いってサンドイッチのことか。
離れていたのに、よくわかったなぁ。
そのままの勢いで、考えていたセリフを今度こそ言う。
「その、お話がしたくて来ました。この間気に入ってくれた紅茶と、簡単なサンドイッチを作ってきたので、お仕事の休憩中にお時間もらえませんか?」
「作った?ミーコが?」
レヴァン=マーティンが私の名を読んだことにびっくりして肩が跳ねた。
私の名前、知ってたんだ。
家名じゃなくって、名前よび。
なんだかドキドキして心臓に悪い。
バスケットの中身がテーブルの上に出されて、マットの上にサンドイッチと水筒が広げられる。
レヴァン=マーティンはサンドイッチの中身を見比べると1つを手に取って自分の方へ引き寄せた。
水筒にはいった紅茶の匂いを楽しむように飲んで、食べ始める。
差し入れはどうやら受け入れてもらえたようだ。話すなら今がチャンス!
「あの……っ」
「座れ」
「あっはい」
言われて、向かい側ある椅子に座ろうと移動しようとした瞬間、その椅子が凍った。
次々にその場にある椅子が凍り、空いているのはレヴァン=マーティンの隣にある席だけになる。
あぁ、つまりそこに座れと言う事ね。
口で言えばいいのに。
隣の席は少し身じろぎすれば触れてしまいそうなほど近い。
うっかりがないよう慎重に座らさせて頂いた。
「その、どうして昨日、私の召喚に応じてくれたんですか……?」
「ミーコが呼んだから」
「よ、呼んだ?」
「呼ばれたら守護獣が行くのは当たり前だろう」
ううん? なんだか話が嚙み合っていない。
「その、聞きにくいんですけど、そもそも人間って守護獣になれるんですか?」
「さあ。何故俺に聞く」
何故ってそりゃあ、あなたが実際に召喚されたからですよ。
「久しぶりに呼ばれたから、ミーコに何かあったのかと思ったが、首輪をプレゼントしてくれたから驚いた。てっきり忘れていると思っていた」
えっ?今なんて?
似合わないハートの首輪を指で撫でながら、レヴァン=マーティンはほんの少しだけワイン色の瞳を揺らした。
ちょっと待って。
忘れているって何?
今ここで何のことか聞いたら……、と考えたところで、目がバチリとあった。
すっとワイン色の瞳が細められる。
「ミーコ、まさか……?」
レヴァン=マーティンの足元が凍り始めた。
わずかだった冷気が一気に緊張感を増して迫ってくる。天井からは氷柱がいくつも生え、吹雪が舞い始めた。
ひい……凍らされる……! かじかむ指を握りしめて、睫毛が凍り始めるのを感じながらとにかく謝ろうと思った。
「ご、ごめんなさいい!」
理由もわからずに謝るなんて一番いけないことだとはわかっているけど、でもどのみち凍らされそうなんだもん!!
震える私に限界まで近づいて、顎に手がかけられた。
氷像はいや、氷像はいや、おばあちゃあああん!
私の眼を至近距離で覗き込んだレヴァン=マーティンが、何かに気付いたようにピタリと動きを止める。
「……ああ、そうか」
呟くと、吹雪が私ではなく、目の前のレヴァン=マーティンを包み込んだ。
視界が真っ白になる。
凍えそうな……あれ、寒くない?
やがて吹雪がやんで、現れたのは、小さめの雪だるまだった。
頭には黒いダイヤ形の飾りをつけており、透き通ったワイン色の石が2つ、ぱちぱちと瞬きをしている。
首には見覚えのあるピンクのハートがついた首輪。
その姿には既視感があった。
「この姿ならわかるか?」
「ヴァ、ヴァンくん……」
小さい頃、冬になるとよく現れて、森で一緒に遊んでいた雪の妖精。
私が名前を呼ぶと、レヴァン=マーティン……ヴァンくんは、ワイン色の瞳をほんの少し和らげた。
凍っていたすべてが、少しずつ溶けていく。
「ミーコ」
人型の時と変わらぬ低い声が私の名前を呼んで、雪だるまはちょこちょこと私の膝の上にのってきた。
か、かわいい。
「この首輪センス悪いな」
やっぱりかわいくない。