メルトワの事情
白鳥城に入ったブラドルは、誰の姿もない城内へと足を踏み入れると、奥の広間にヨルムドとゴドーを誘った。
ここは以前、シュナーベルと出会い夕食をともにした場所だが、ヨルムドの素性を知ったシュナーベルが口外していないため、あの日の出来事はブラドルさえも知らない事実だ。
「救ってくれた恩返しのつもりでした…」
誰の耳にも触れない研究棟の室内でシュナーベルは告げた。
「今思えば、とても軽率だったと思います...あなたに迷惑をかけないよう、このことは私だけの秘密にします。」
夢から覚めた様子で謝罪したシュナーベル…確かに、その事実だけで、一介の騎士の首など容易に刎ねられるに違いない。
ヨルムドは自らを嘲笑した。
己を戒めていたにも関わらず、シュナーベルの切ない顔に屈してしまったのだ。
…迂闊にも程がある。
それでも悔いを感じないのは、王女の優しさ故なのだろう。
「あなたは私に騙されただけ...何の罪もありません。それでも罪に問われるのなら、私が罰を受けて償います。」
頬を染めて必死に訴える彼女を愛おしいと感じた。身分の違いさえなければ、心を寄せる事もあっただろうと心から
思う...
「単刀直入に言おう。」
三人が席に着くと、ブラドルが言った。
「私は我が国とボルドーとの国境、即ちマティスの森に巣食う悪しき賊どもを一掃し、国交における進路の安全性と最適化を図る事にした。十二年前、十数人の郎党が森に根城を築いて以来、徐々に大集団となり、現在では組織化し森を支配しているのは知っての通りだ...ゴドーの導き無くしては旅人はおろか、屈強な騎士でさえも無事に通り抜けるのが難しくなって来ている...」
「実際には防げなかったことの方が多い...それが現状だ。」
ゴドーが吐露した。
「忠告を無視して根城に突っ込んだ奴はともかく、被害者、犠牲者の数は計り知れない…」
「その通り。そなた一人の尽力にいつまでも頼ってはいられない。長い時間を要してしまったが、メルトワはこの事態を打開し、今こそ道を切り拓かねばならないのだ。」
王子の決意にゴドーは頷いてみせた。その表情は固く、漆黒の瞳には憂いが滲む…
「仮はきっちり返す…必ずだ。」
ゴドーも低い声で言った。
…どういう意味だ。
ヨルムドは二人の様子に唯ならぬものを感じた。山賊どもの駆逐は、ボルドーとの国交のためであることは理解した。確かに、両国の間に立ちはだかるこの『難題』を一掃することは必然であるし、他に解決策はないだろう…
…だが、なぜそれが今なのだ?
疑問に答えるかのように、ブラドルが黙っているヨルムドに視線を移した。抑揚をいっさい見せない「月光の騎士」を見つめて口角を上げる。
「そなたの疑問はもっともだ、月光。今から経緯を説明する…覚悟して聞いてくれ。」
…覚悟?
「は。」
違和感を感じたものの、ヨルムドは短く応えた。憶測しても仕方がない。騎士は主君に従う。それだけだ...
「仰せのままに。」
昼下がり、自室の窓辺で外を覗いていたシュナーベルは、三頭の馬が列を成して駆けて来るのを認めて瞳を輝かせた。
先頭はブラドル、そして、その後ろにヨルムドがいる...
「ヨルムド…」
シュナーベルはすぐに踵を返して歩き出した。いつもながら動かない足…気持ちは急いているのに、少しも前に進まない…
「もっと動いて…」
足に文句を言いながら部屋を出る。更なる難関、階段を慎重に降りる。するとエントランスに銀髪の騎士が現れ、足早に駆け上がって来るのが見えた。
「そちらに参ります。その場にお留まりを。」
ヨルムドは声を上げるとシュナーベルに近寄った。両手を差し伸べて体を支える…彼の腕が背に周され、体がふわりと浮き上がった。
「ありがとう…」
シュナーベルはヨルムドを見上げて言った。
「…でも、周囲の目が…」
「ご懸念はもっとも…私もどうかと思うのですが…」
低い声で答えるヨルムドに、シュナーベルは瞼を瞬かせた。ヨルムドらしくない言葉…研究棟内ならいざ知らず、多くの目があるというのに、大胆な行動だ。
なぜなのか問おうとしている間に地面に足が着き、ブラドルの前に立っていた。兄は優しい微笑みを浮かべていて、如何にも満足げだ。
「よく眠れたか?」
ブラドルは言った。
「初めての夜明かしだ…さすがに起きられなかったのだろう?」
「はい、恥ずかしいことに…」
「たまには良いさ。エレナはしょっちゅうだ。」
「もう二度としないわ…」
シュナーベルは断言し、チラとヨルムドに視線を向けた。
…これ以上、ヨルムドに情けない姿を見せたくないもの。
「ヨルムド…これを。」
薄衣の肩掛けで包んでおいたマントを差し出してシュナーベルは言った。
「返し忘れてごめんなさい…今朝は寒くありませんでしたか?」
「問題ありません。…それより、姫君の肩掛けで包むなど、過分な扱いです。」
ヨルムドはすぐに包みを解いてマントを取り出し、薄布の肩掛けをシュナーベルの肩に掛けた。
「適当なものが見つからなくて…」
微笑むシュナーベルに対して、ヨルムドがほんのわずか目を細めるのをブラドルは見逃さなかった。生真面目で戒律に厳しい「月光の騎士」も、シュナーベルの前では「人の子」であるようだ…
「ところでシュノー、あの者が誰か判るか?」
「…え?」
ブラドルの問いに、シュナーベルが視線を巡らせた。
「エントランスのすぐ脇だ…」
アーチを描いたエントランスの入り口…そのすぐ前の薄暗い壁に人影が見えた。石壁に寄りかかり、腕を組んだ姿勢でこちらを見ている…
「ゴドー…」
目を見開き、シュナーベルは口を開いた。
大柄な体躯…漆黒の髪と同色の瞳…懐かしい姿がそこにある…
「ゴドー…」
再びその名を口にすると、シュナーベルは足を一歩前に出した。
咄嗟に、ヨルムドが体を支える…
「ゴドー、これへ!」
ブラドルの命令に応じ、ゴドーが歩き出した。長身の騎士は大股でシュナーベルの前まで来ると、穏やかな口調で微笑んだ。
「久しぶりだな…姫さん。」
ゴドーの背の高さに合わせてシュナーベルが顔を上げる。
「ええ、最後にいつ会ったのか…もう忘れてしまいました。」
「そいつは酷いな。俺はちゃんと憶えっているっていうのに。」
「私はまだ子供だったのだから仕方がありません。」
「最後の時は十ニ歳だったぞ…」
「そ、それでも…まだ子供です。」
「そうか?…まあ確かに、あの時に比べれば成長はしているが…」
ゴドーは手のひらをシュナーベルの頭の上で止める仕草をした。身長が伸びたのは事実だが、それでも肩にも届いていない…乙女になったとは言え、シュナーベルの澄んだ瞳は変わらないままだった。
「揶揄ってばかりなのは変わらないのですね。」
「揶揄っているつもりはないんだが…」
「無意識なら、なおさら悪いと思います。」
語調は穏やかでも、シュナーベルは遠慮なくゴドーに応酬している。
事情の見えないヨルムドの目にも、二人がよほど親しい関係だったことが判った。
「挨拶は終わりだ…二人とも。」
ブラドルが笑いながら遮った。
「僕とゴドーはこれから陛下のところへ参る。「月光」はシュノーと研究棟へ行くといい。」
「ゴドー、晩餐までここに?」
シュナーベルは尋ねた。
「いや、拝謁が済んだらすぐに発つ。ルポワドに行くつもりだ。」
「ルポワド…そんなに遠くへ?」
「一度、バスティオン家に戻るだけだ…長くは留まらない。」
「そうですか…ハープの音色を聞いて欲しかったけれど、無理ですね。」
「ルポワドから戻ったら、ゆっくり聞かせてもらうさ。」
ゴドーはさらりと告げ、ブラドルとともにその場から歩み去った。
ヨルムドは二人の姿が見えなくなるまで見送った後、シュナーベルを見やった。
「ゴドーはいつもそうなのです…突然現れて、すぐに行ってしまう…ハープの演奏を聞いてくれると約束してしているのに、一度も果たしたことがないの…」
「一度も?」
「ええ、一度も。」
ヨルムドは疑問を感じた。
…では何故、ポントワの湖でハープの音色が聞けると言ったのだ?
「行きましょうヨルムド…今日は何を学べるのですか?」
シュナーベルは嬉々として尋ね、ヨルムドに寄り添って歩き始めた。
ヨルムドの便りと、メルトワからの『親書』
目を通すエルナドの表情は、少しの変化も見られなかった。
淡々と読み進め、やがて顔を上げる…
怪訝そうに立っているパルシャを振り返り、二通の手紙を手渡すと再びリザエナに向き直った。
「ヨルムドの要望は理解できました。シュナーベル王女に必要と思われる治療方については調べてみましょう。」
冷静に応えるエルナドに少しばかり苛立ちを感じたものの、リザエナはその背後にいるパルシャの表情が驚きに満ちるのを見て当然だと感じた。
…この事態に微動だにしないなど、エドはどうかしている!
「なんだ…これは。」
パルシャが声を上げた。
「ヨルムドが結婚だと⁉︎」
あまりの衝撃に感情の抑制を怠り、パルシャはエルナド
の一瞥に遭った。『曙光』の眼には迫力があり、一瞬で
我に立ち返る。
「真実でしょうか…叔母上。」
パルシャは静かに尋ねた。
「にわかに信じられない事実です。」
「私とて寝耳に水だ…メルトワがヨルムドの派遣を指名してきた時、確かに疑問は湧いた…さしたる理由も語られておらず、ただ『月光の騎士』に興味があると国王の『親書』には書かれていただけだったのだ。」
「…それについては呼ばれたヨルムドも同じ…便りから察するに、与えられた責務を全うしているように感じます。」
「…そうだとすれば、王女本人、もしくは、国王の意思によるものということになろうな...しかも、もう一つの件といえばマティスの森の制圧…王女を安全に我が国へと向かわせるために、山賊どもを駆逐しようというのだから、親馬鹿にも程がある。」
「ヨルムドは納得しているのでしょうか?」
「解らぬ…だが、シュナーベル王女は生まれつき足が不自由とのこと...面倒見の良いヨルムドの心を動かす可能性はあるぞ...」
…あり得る。
パルシャは思った。
…あの生真面目は、何事にも没頭しすぎるきらいがある…我が身を滅ぼそうと責務を貫き全うする…かつてのアイシャのように。
「陛下。」
エルナドは言った。
「ヨルムドの意思は記されている通りに技術供与と王女の治療…その件は早急に対応します…可能であれば、我ら『曙光』騎士団をメルトワへ派遣して頂きたく存じます。」
「『曙光』の騎士を?そなたもか?」
「お許し頂けるのであれば。」
リザエナは唸った。
通常ならエルナドまでもが行くことはないと告げるだろう…だが、このとんでもない話に対して、父親であるエルナドが何も感じない訳がない…
遠い日にアイシャが残した、たった一人の遺児…エルナドはヨルムドを心から愛している...この世の誰よりも。
「…わかった。『曙光』及び、その配下の騎士のメルトワへの派遣を命じる...シュナーベル王女の治療に力を尽くせ。」
リザエナは静かに告げた。
「…必ず。」
リザエナが頷き微笑むと、エルナドもわずかに口角を上げた。
二人の間に、『意思』の共有が生まれる…
…エドが居らぬとつまらないが、まあ、仕方がない。
エルナドが不在の間は近衞の騎士が身辺を警護することになる。退屈ではあるが、埋め合わせはヴァルダーにでもさせればいい…とリザエナは思った。
「さっそく準備に入ります。」
エルナドは踵を返した。
パルシャも一礼し、エルナドに付いて退室した。
「ロッドバルド先生…」
パルシャが医務室に戻るや、弟子のシムトが慌てた様子で駆け寄り、青ざめた顔で訴えた。
「急患が現れました。すぐに処置室へおいで下さい。」
「急患…誰だ?」
「マーシャル・エソナール男爵です。左側の腕が腫れ、太さが通常の倍になっています。」
「倍だと?」
「激しい痛みを訴えており、痛みをすぐに止めて欲しいと。」
「原因は?」
「六日前に裂傷を負い、侍医が手当を施したそうですが、なかなか癒ず、昨日になって激しく痛み出したということです。」
「六日も経っているのか。」
パルシャは舌打ちをした。どれほどの怪我をしたのかは解らないが、処置が傷の程度に合っていなかったため悪化したに違いない…
「ブラストとキロプスを処置室に呼べ...猿ぐつわと足枷、それに小刀の用意だ。」
「分かりました。」
「患者に薬湯を飲ませる。配合は「ダツラ」を2、酒が6だ。」
「はい。」
シムトは頷くと、すぐに踵を返して歩み去った。
パルシャは団服の上着を脱ぎ、代わりに漆黒のチュニックに袖を通した。袖口をきつく締め、手袋を持って部屋を出る。
別棟をつなぐ渡り廊下のあたりで男の喚き声が聞こえた。マーシャルが痛みと不平を訴えているのは明らかで、周囲に怒りをぶちまけているようだった。
「地位があるからと奢るなかれ。」
パルシャは眉根を寄せて呟いた。
「すぐに大人しくさせてやる。」
室内に入ると、案の定、男爵が暴挙に及んでいた。
今まさに、シムトの襟首を片腕で掴んで凄んでいる...男爵に殴られたのか、シムトの唇が切れて血が滲んでいた。
「その手を離せ。」
パルシャは無表情で言った。
「指示に従わないのなら追い出すぞ。」
パルシャを見ると、マーシャルはシムトから手を離した。熱で汗が吹き出した顔を向け、睨みを効かせる。
「誰に向かって言っている...」
マーシャルは言った。
「私は男爵だぞ...」
「関係ない。治療を受けたいのかそうでないのかハッキリしろ。」
「この腕が見えないのか…ヤブ医者め。」
「...ヤブ医者?」
パルシャが反問する。
その語調に、室内の空気が凍りついた。男爵の脇に立つブラストとキプロスが微かに目を眇める...シムトも思わず目を見開いた。
「その腕...放っておけば腐るぞ。」
パルシャは抑揚なく告げた。
「切開して膿を出さねば、いずれ腕ごと切り落とすしかなくなる...俺の見立てを信じないのは勝手だが、苦しむのは自分だ。」
「...切開⁉︎」
「ああ。」
「切るのか...?」
「それしかない。」
マーシャルの顔が恐怖に歪んで青ざめた。さっきまでの勢いが消え、絶望の表情に変わった。
「今なら切開部分はわずかな範囲で済む…腕を切るより痛みはマシだと思うが。」
パルシャは淡々と語った。
マーシャルは何も応えず、ただ震えるのみだった。
…どのみち治療はせねばならん...相手が誰であろうとも。
「ブラスト、体を抑えろ。キロプスは猿轡と足枷の装着だ。」
二人に指示を出すと、パルシャは持っていた手袋を着けた。シムトが用意した「薬酒」の入ったゴブレットを受け取り、それをマーシャルへと手渡す。大人しくなったマーシャルがそれを素直に飲み干すのを冷静に見定めると、小刀に手を伸ばして決然と告げた。
「...始めるぞ。」
つづく