ネメシス
先頭に立つゴドー・バスティオンの勇猛な後ろ姿を、ヨルムドは慄然たる思いで見つめていた。
夜明けともに森の最奥へと歩を進め、メルトワ軍は今や敵の本拠地の目前に迫っている…ゴドーは騎乗したまま眼前の敵を見据え、宿命の相手と対峙しているのだった。
...あの男がファブルか?
ヨルムドは目を凝らした。
頑強な城壁の前に、武装したバラガンダ兵が待ち構えていた。山賊と呼ぶには不相応な武装に身を包み、槍兵、剣士、騎兵が城門を塞いでいる。
「観念しろ、ファブル。」
ゴドーが口火を切ると、静寂の森に低い声が響き渡った。
「アジトは殲滅し、捕虜は救出した。人質を取ろうにもその手は使えまい…お前は袋のネズミだ。」
「おのれ雑兵…よくも俺の私兵を!」
ゴドーの揺動に「ファブル」が反応した。
血の色を思わせる鎧で武装したファブル・バラガンが、鋭い視線でゴドーを睨む。
「ゴドー・バスティオン…貴様を八つ裂きにしてやる…手足を切り落とし、腹から内蔵を引き出し、その頭を「腰抜け王子」に叩きつけてくれる!」
「殿下の御前だぞ。口を慎め。」
ゴドーは呆れ返って嗜めた。
「侮辱罪は即刻斬首だ…お前の罪状は決まった。」
ゴドーは告げると、剣を持つ右手を高く挙げた。
両脇に並ぶギャドと兄のガイルが馬を前進させる...騎馬隊が緩やかに走り出し、バスティオンの傭兵、そしてメルトワの兵士が走り出した…
両軍が衝突し、戦いが始まった。
互いの敵が混じり合う。ゴドーは一直線にファブルへと向かい、ファブルもゴドーへと突き進んだ。騎乗した二人が長剣を振りかざし刃をぶつける…凄まじい撃ち合いに、見守るブラドルが思わず唸るほどだった。
…強い。
ヨルムドは心を鎮めてゴドーの言葉を振り返った。
「下手な援護は犠牲者を増やすだけだ。」
…確かに、言う通りかもしれないな。
「くたばれ、ゴドー!」
ファブルの強打が脇腹に当たり、ゴドーの鎧が破られた。
鎖帷子が皮膚の裂傷をかろうじて防いだが激痛が走る...
「どうだ!痛いだろう?」
ファブルは笑っていた。残忍で凶暴な男に恐怖という感情はない。父親から受け継いだ戦士の血が、戦いの享楽へと突き動かしている
のだ。
「若造が…」
ゴドーはすぐに体勢を立て直した。視界に二擊を狙うファブルが見える...もたもたしていると、今度こそ体が真っ二つになりかねない。
「抜かせ…くたばるのはお前の方だ!」
ゴドーはファブルの馬に体当たりを喰らわせ、右腕を掴んで捻り上げた。上背で優っているゴドーに敵わず、ファブルが痛みに悲鳴を上げる...関節から鈍い音が聞こえ、悶絶しながら馬から転げ落ちた。
「これであいこだ…」
ゴドーも馬を降り、長剣を持ち直した。ここで終われば幸運…だが、そうもいかない。
痛みに耐えながら、素早く起き上がったファブルが身構えた。
「殺してやる…」
互いに睨み合い、地上での激戦が始まった──
「援軍を送れ!」
激戦を目の当たりにして、ブラドルは命じた。
バスティオンの傭兵部隊は優れた集団だが、バラガンダの抵抗が激しく、負傷者が増えるばかりだと感じたからだ。
「彼らはゴドーの親族だ。傭兵とはいえ、犠牲を強いるのは忍びない。」
ヨルムドを飛び越え、パルシャの背後にいる黒髪の少女を見遣りなはがらブラドルは言った。
「妹が心配だとゴドーが愚痴をこぼしていた…だが、あの場所にいれば問題はなさそうだ。」
「「霧氷」は一流の騎士です。心配には及びません。」
ヨルムドは断言し、二人の様子を垣間見た。パルシャが屈強なのは真実だが、少女を死守しなければならない動機は他にある。
メルトワ軍が前進すると、バラガンダの勢いが一気に弱まった。
騎兵が次々に敵が数を減らしていく中、ゴドーと赤騎士の死闘は続いている…この戦いはゴドーの信念であり、立ち入ることは許されなかった。昨夜の彼の言葉が「遺言」にならないことを ヨルムド切に願った。
「ゴドーは必ず勝利する…」
ブラドルが告げた。
「ファブル・バラガンが倒れてしまえば、敵はなし崩しに敗退する。ついにその時が来たのだ。」
「邪魔だ!」
ファブルは味方の骸を罵倒した。
甲冑の重さが体力を奪う…兜はもはや役立なかった。
「終わりだファブル...」
ゴドーも肩を揺らしながら言った。
「最後の選択肢を与える...メルトワの牢獄で屍になるか、この場で俺に殺されるか選べ。」
「ふざけるな…王子の犬め…」
顔面を鎧と同じ色に染めながら、ファブルは舌打ちした。
「貴様を殺して俺は生きる...それだけだ…」
「ならば仕方がない...」
ゴドーは折れ曲がった長剣を捨て、最後の武器である短剣を引き抜いた。逃れようとするファブルの腹部に一撃を加え、さらに項に致命傷を与えた。
力を失い、仰向けに倒れるファブル…瞼が静かに閉じる…凶暴な山賊は動かなくなった…血の海に塗れた、悪党らしい最期だった。
「地獄へ行け…」
ゴドーは呟き、短剣を捨てた。犠牲になった者達への無念に想いを寄せる…ようやく、報いることができたのだ…
「ゴドー…」
背後から声が聞こえた。いつの間にか、傍にガイルが立っていた。
「やあ、兄さん、無事で何より。」
ゴドーは明るく言った。
「酷い傷だぞ...」
ガイルは弟の鎧から滴る血を見つめた。
「出血が酷い…早く手当をしないと…」
「戦局は?」
「敵は全滅..生き残りはいない。」
「そうか...」
「身体を休めろ...死んでしまうぞ。」
ガイルは嗜めたが、ゴドーは首を横に振った。
「間も無く最後の戦いが始まる...城門の中には敵がわんさか待ち構えているんだ。」
「それはお前の責務ではない!」
「そうかもしれんが…」
「たまには兄の言うことを聞け。お前といいアイリといい、なぜ心配ばかりかけるのだ!」
「俺はアイリと同等かい?...酷いな。」
ゴドーが腰を下ろすと、周囲に人が集まって来た。ギャドが心配顔でかがみ込み、傷の様子を伺う...
「これは酷いぞ...」
渋面になり、すぐにゴドーの鎧を外し始めた。集団で取り掛かり、下着だけの姿になる…
「兄さま...」
眼前に大きな瞳が見えた。アイリが涙を浮かべていた。
「不甲斐ない…」
ゴドーはアイリの髪を撫でた。こんな無様な姿を妹に見せることになるとは...
「すぐに処置が必要だ…」
アイリの背後でパルシャが言った。
「手伝ってくれ…アイリ。」
「何でもします、パルシャ様…」
アイリが泣きながら頷く…二人の様子に安堵し、ゴドーは口角を上げた...
「我に続け!」
ブラドルは高らかに告げ、ついに進撃を開始した。メルトワ軍が城門を打ち壊し、城壁の内へと傾れ込む。バラガンダの弓兵が矢狭間から狙いを定めて矢を放つと、メルトワの弓兵も矢を射って反撃した。
ヨルムドとエルナドは騎乗したまま応戦した。矢の放射からブラドルを守り、オルデラとヴァイデが側面からの攻撃を防ぐ。オルデラは馬上から矢を放ち、確実に射手を貫いていた。
「私は騎兵の援護に回る,,,後は頼むぞ、ヨルムド!」
後方を守っていたブラストが離脱ながら言った。
「健闘を祈る!」
ヨルムドは応じ、二手に分かれた。
ブラドルが城門を駆け抜け、城の入り口に到着すると、士官が駆けつけ現状を伝えた。
「敵の一部は未だ抵抗...幹部と女子供が籠城を続けております。」
「無駄な足掻きを...」
ブラドルは低く言った。
「敵も必死だ…覚悟して参ろう。」
ヨルムドの答えを待たず、王子は歩き出した。携えた長剣を手に、エントランスへと向う。怒号と悲鳴...城内の光景は悲惨だった。
通路には屍が転がり、生きた賊徒は兵士によって捕縛されて行く...王子に道が開かれ、皆が敬意を表した。
「奴らは上階に。」
階段の下でメルトワの騎士が告げた。
「敵の数は?」
「ごく僅かですが…手強い相手です。」
「うむ、さもあろう。」
状況を把握し、階段を一気に駆け上る。時計回りの螺旋階段にも騎士達が詰めていたが、ブラドルは彼らを押し除けながら進んだ。
「お留まりを...この先は危険です。」
上階の騎士が手で制した、
王子の足が止まる。ヨルムドは危険を感じ、即座に立ち塞がった。
…騎士?
ヨルムドは瞠目した。
大柄な体躯の武装兵...老齢ではあるが、その気迫と眼力は相手を圧倒するほどの迫力がある。
「こんな場所までお越しとは...王太子殿…」
男は軽く首を垂れつつ、皮肉めいた口調で告げた。
「お久しゅうございますな…随分とご立派になられた。」
「ネメシスはどこだ?」
ブラドルは問うた。
「私はあの者に会い、忌まわしき過去をすべて清算する…邪魔立てをするな。」
…ネメシス?
初めて聞く名に、ヨルムドは眉をひそめた。
「ネメシス殿は奥だ…」
男は答えた。
「よもやこの戦は我らの負け…倅も死に、生きる望みもなくなった。だが、我はネメシス殿に仕える家臣...最期まで闘わねばならぬ。」
「そなたは国王に背き、メルトワに恐怖と不利益をもたらした。極刑をもってしても許し難い大罪人だ。」
ブラドルが毅然と告げ、一歩を踏み出すと、大男の背後に数名の兵士が並ぶ。ほとんどが老いた者だったが、皆、武装をした戦士だった。
「この者の相手は我らが…」
エルナドが進み出て言った。
「お前は殿下をお連れしろ、ヨルムド。」
「父上...」
「気を引き締めよ…油断をするな。」
父の戒めに、ヨルムドは頷いた。
エルナドが男の前に立ち塞がり、突破口を開く...オルデラとヴァイデもその援護に回った。
対峙する最後の“バラガンダ”と「曙光の騎士」...
その闘いを尻目に、ヨルムドはブラドルを導き奥へと向かった。
…子供?
廊下の奥に子供の姿が見えた。
立ち塞がる様に身を寄せ合い、歩み寄るヨルムドとブラドルを不安げに見つめている...悲鳴をあげる事もなく、黙したまま、ただ恐怖に震えているのだった。
「僕はブラドル...メルトワの王子だ。」
ブラドルは優しい口調で尋ねた。
「そなたたちの親はどこにいる?」
幼い女児が無言で奥を指さした。よく見れば、わずかな先に母親たちの姿が見える…
「怖がることはない。」
王子は身を屈め、少女の髪を撫でた。
「そなたを傷つけるつもりはないのだ…そなたの父や兄は、我が軍に捕らわれるか、さもなくば闘死した…罪名は国王に対する大逆罪。僕は切願を果たし、バラガンダを滅ぼした。故に、この身は親の敵...さぞかし憎かろうが…」
「殿下...」
ヨルムドは眉を寄せたが、ブラドルは続けた。
「理解して欲しい。やむを得ない判断であったと…そしてこれ以上の争いは無意味…ならば契約を結ぼうではないか…その道を平和的に譲り、ネメシスの居場所を教えてくれるのであれば、ここにいる者の罪を問わぬと誓おう。」
「王太子様,,,」
赤児を抱いた母親が声を上げた。
「どうかご慈悲を...私どもの多くは、付近の村や森近くで拐かされた者です...この城に押し込まれ、結婚を強いられました。監禁されこそすれ、何の罪も犯してはおりません...」
「解っておる…そなた達は被害者…罪はない。」
一同が救われた様に顔を見合わせた。緊張が緩み、笑顔が溢れる...
「感謝します…ネメシスは奥の間です。」
母親が言った。
「私たちはこの先に入ることが許されていませんでした…ですから、何処に居られるのかまではわからないのです。」
「よくぞ申した。」
王子は頷き、口角を上げて立ち上がった。
「じきに兵が訪れる…ここで救済を待つがよい。」
「ヨルムド──」
「は。」
「疑問は尽きぬだろうが、今は黙って僕について来てくれ。」
「…御意に。」
子供達に見送られ、二人は先を急いだ。
周囲を伺いながらネメシスの姿を探すも、構造が複雑であり、ネメシスは見つからない…
「どこにいる、ネメシス!」
ブラドルは叫んだ。
「姿を見せよ!」
静寂に包まれた城内に人の気配はない。
…本当にいるのだろうか。
彼らの証言に疑いを持ち始める…その時だった。
…薬草の匂い?
「お留まりを...」
扉を開けたブラドルを止めようと、ヨルムドは手で制した。異臭は生成した薬物のもの…確実に毒性の強い薬物に違いない。
「...ネメシス。」
室内を覗いたブラドルがその名を呼んだ。
陽の差し込む明るい室内…男は床に倒れていた。仰向けになり、虚な瞳で天を見つめている。
「伯父上...」
呆然となりながら、ブラドルはネメシスに歩み寄った。
「自死を選んだのか...極刑をもって裁かれるべき大罪人...シュノーの受けた苦痛をその身に受けねばならぬ貴方が…」
亡骸を前に膝を着き、ブラドルは嘆いた。喪失感からか、力無く項垂れ、肩を落としている…
部屋には異臭が充満していた。耐性のあるヨルムドには効果がないが、常人にはひとたまりもない。
「...これ以上は危険です。ご退避を。」
ヨルムドはブラドルの腕を掴み、ネメシスの亡骸から引き離した。生成した薬物は毒素が強く、吸い込めば重篤な症状が顕れる…
「月光...!」
背後で声が聞こえた。
直後にブラストが現れ、ブラドルの退避に手を貸し、廊下へと連れ出した。
「顔色がお悪い...中毒を起こしかけている。」
ブラストの言葉に、扉を閉ざしたヨルムドも歩み寄り、眉を寄せる。
「吸い込んだのは短時間…重篤化は防げたと思うのだが…」
「…影響は避けられない… しばらく休養が必要だ。」
かろうじて立っていたブラドルが、体勢を維持できず、その場に膝を落とした。二人は王子を横たえさせ、被っていた兜の留め具を外して頭から取り去った。
「もうすぐ援軍が来る。それよりも───」
ブラストがヨルムドの背後に視線を移した。気配もなく立っていた騎士がヨルムドに頭を下げる…オクトは前置きなく告げた。
「ご報告です。ポントワ城に異変が生じ...奥方様が消息を絶たれました。」
「...なに?」
「一緒にいた侍女の姿もなく、何者かによる拐かしであると思われます。」
驚きのあまり、ヨルムドの視界が暗闇になった。
…シュノーが拐かされた?
「国王陛下が捜索をお命じになられたものの、糸口が掴めず…」
「いったい…誰がそんな真似を…」
「これは独自の調査ですが…シュナーベル様を連れ去ったのはバラガンダの残党である可能性があります。」
「残党?」
「ネメシスには嫡子がいました。名はグレイ・ブリュトー...この森には居留せず、ずっと王都に潜み暮らしていた…マンチェス・ウィザード侯爵として…」
「…ウィザード⁉︎」
ヨルムドは声を上げた。
エレネーゼ王女が親しくしていた侯爵──舞踏会の夜に会った、あの男だ。
「ウィザードには薬物生成の疑いがあります。国外への不法な薬草の輸出、それに、バラガンダへの資金の提供が噂されていました。」
…あり得る事だ。
ヨルムドは拳を強く握った。
マンチェスの中に感じた闇....館で嗅いだ臭いといい、彼がさまざまな薬草を所持していたに違いない。
…だが、何故、シュナーベルを狙った?
「シュナーベルはどこにいる?」
ヨルムドは尋ねた。
「確証はありませんが、おそらくはウィザードの館に居られるのではないかと。」
オクトの答えに、ヨルムドは頷いた。
「私は救出に向かう…殿下を頼めるかブラスト?」
「大丈夫だ。急げ、ヨルムド。」
ブラストはヨルムドを促した。ヨルムドの心情は察するに余りある…冷静さを保っているが、心には怒りと不安が渦巻いているに違いない。
「…頼む。」
ヨルムドは踵を返した。
…ヨルン
脳裏に浮かぶ屈託のない笑顔....
「妻に手出しをするなら容赦はしない。」
決然と言い、疾風の如く走り出した───
つづく
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