アイリとパルシャ
メルトワ騎士団を率いたブラドルが到着し、全ての兵が集結を果たした。
敵の本拠地を探っていたゴドーとギャドがヨルムドの部隊と合流するとともに、王子を出迎える。
ブラドルは天幕に入ると間を置かず、現状説明をゴドーに求めた。
「この奥に奴らの城がある。砦と思しき強固な造りで、小国並みの武器と兵力を備えた盤石な構造だ。かつて見た時よりも予想以上に増強が進んでいた。守りが硬く、侮れない状況だ。」
ゴドーの語調は切迫感に満ちていた。ブラドルも鬼気迫る様子で聞き入っており、天幕の中にいる者も、皆、憮然として瞼を閉じている…
「包囲網は完全だ。」
ヨルムドは言った。
「散在していた拠点はすべて殲滅した。残るは本拠地の制圧のみ…敵は袋の鼠です。」
「奴らも異変を察知している。先陣を切るのは強者だが、勝たねば先には進めない。」
「敵の数は?」
「約600──」
「前衛を突破しても、城攻めは避けられないな...」
ブラドルの意見に、ゴドーは黙って頷いた。
「兵の数が勝敗につながる。メルトワ軍の力が試される時だ。弓兵を配備させよ。歩兵は前衛に。重騎士は我と共に。」
「仰せのままに!」
ブラドルが告げると、一同が恭順の意を示した。
「開戦にあたり、ボルドーへの協力をお願いした。国境には我が国の軍隊と勅使が遣わされる…今頃はボルドーの軍とともに、警戒を強めていることだろう。」
「痛み入ります、殿下。」
ヨルムドは感謝の意を述べた。
マティスの森はメルトワとボルドーとの国境にあり、山賊の問題は国交の妨げになって来た。この問題が一掃されれば、両国はより友好を深め、貿易の流通も以前の様に盛んになるはずだ。
「ボルドーの協力無くして掃討作戦は成し得ない…感謝するのは私の方だ、義弟よ。」
ブラドルが告げると、メルトワ騎士も首を垂れた。
謙虚な姿勢は尊敬に値する...いまや義兄となったブラドルを、ヨルムドは心から誇りに感じた。
「睡眠をとれ、開戦は明日、準備を整えよ。」
ヨルムドは告げた。
皆、夜襲で疲れており、.決戦に向けて体力を回復させておかねばならなかった。食事や睡眠はもとより、武具や武器の補修や補充も不可欠であって、メルトワ軍の鍛冶師や食事係がそれらの仕事をまかなう間、それぞれの時間を過ごすことが許された。
「..えっ」
シムトは信じられないものを目にして声を上げた。
師であるパルシャが少女の手を掴んで歩いて行く...ピタリと肩を寄せ合い、笑顔を浮かべながら...
少女は頬を赤く染めていた…潤んだ瞳で師を見上げる。二人は相思相愛で、その関係性は明らかだった。
「そんなに見るものじゃないよ、シムト。」
傍にいたヴァイデが思わず嗜めた。
「視線か露骨だ。」
「...たった一夜ですよ。」
シムトは呟いた。
「先生に...何が起きたんだ。」
…確かに。
ヴァイデも思う。
パルシャは少女を覗きこむように瞳を見つめていた。感情の抑制など忘却の彼方…微笑みさえ浮かべている。
…節操が無さすぎる。
気付いているのは当然、シムトだけではなかった。
少女…アイリの実兄であるガイルも目を丸くしていて、モラドと何かを囁きあっていた。バスティオン一族の者としては当然の反応だ。
「...目の毒です。」
シムトは顔を真っ赤にしながら言った。
「決戦前なのに...」
「...まったくだね。」
ヴァイデも苦笑した。
そもそも、パルシャは安直に異性を口説く人物ではない。荒々しい性分だし、他人にへりくだるのを何よりも嫌っていて、宮廷でも貴婦人から距離を置かれているほどだ。
「先生の様子…あの子はもう解放されないかもですよ、可哀想に...」
「可哀想かはともかく、パルシャはひと時も手離したくなさそうだ…」
不毛な戦いの渦中でも、明るい光は差すものなのだとヴァイデは感心した。パルシャは出会ってしまったのだ…運命の相手に。
「いいな...ヨルムドさんも先生も…羨ましいです。」
「君は若いんだから、これからいくらでも機会あるだろう?」
「僕には何の地位もありませんよ...」
「地位なんて要らないさ。大切なのは心だよ...シムト君。」
「本当ですか?」
「ああ。」
ヴァイデは白い歯を見せつつ、シムトの背を軽く叩いた。
「あの...パルシャ?」
アイリは戸惑いながら言った。
「なんだ。」
パルシャが答える。
「私、もう離れた方がいいのでは...」
「なぜだ。」
「だって...ここはあなたの天幕です...」
「それがどうした。」
「兄さまに叱られてしまいます...」
「叱られる?」
アイリは頷いた。
「今夜は兄さまの天幕で寝るように言われていて…」
「ガイル殿か?」
「ゴドー兄さまにもです...」
パルシャは寝そべりつつ、じっとアイリを見つめた。天幕と言っても簡素なもので、夜露を避けるのがせいぜいのお粗末な“囲い”に過ぎない。
「杞憂は察するに余りあるが、何ひとつ問題はないぞ。」
「なぜですか?」
「どう思われようと、俺は気にならない。」
「パルシャ...」
「俺といるのは嫌か?」
アイリは首を横に振った。
「ならばここにいろ。」
パルシャは自分の脇を指差し、横で寝るよう促した。戸惑いながらも素直に従うアイリの身体を自分の外套で覆う...
「体を冷やすな…」
「はい、ありがとうございます…」
自分を見つめるアイリが愛おしい…
…この時間を無駄にしたくない。
パルシャが手を伸ばすと、アイリがわずかに身を寄せた。
…武装で手も足も出せんのは明白だ…だから呼びにすら来んのだろう。
アイリの抵抗は羞恥心であって、それは当然の体裁だった。実際、隠れている手はしっかりと繋がれたままで、何より視線が真実を語っているのだ。
.「明日も俺から絶対に離れるんじゃないぞ。」
パルシャは命じた。
「分かっています。」
「俺の背後を死守するのがお前の使命だ。」
「パルシャ様をお守りします…」
「よし!」
髪を撫でると、アイリは愛らしく微笑んでみせた。
またしても心が疼く...本当に罪深い少女だ。
「また様付けか...」
パルシャは嗜め、アイリに顔を近づけた。
唇が重なり、アイリが瞼を閉じる──
パルシャは思った。
…まったく、邪魔な甲冑だ!
「少し良いか?」
ヨルムドの天幕にゴドーが顔を見せたのは、夜更けになってからのことだった。
隣の天幕にはブラドルが寝ており、ゴドーが小声で声をかける。
「外で話そう」
ヨルムドは天幕を離れた。
暗闇の中、周囲の地面に兵士達が横たわっている。騎士には天幕が用意されるが、兵士は外套に身を包んで眠る。そのほとんどがメルトワ兵で、バスティオンは持参の天幕を使用し、野戦に対する備えを整えていた。
「ここでいいだろう。」
ゴドーは椅子を集めてヨルムドの足下に置いた。炊事場が近く、火が焚かれている…食事係も眠っていて、今は誰もいなかった。
「最後の夜になるかもしれん。あんたとゆっくり話すべきだと思ってな...」
手に持っていた小ぶりの銀杯に、皮袋に入った葡萄酒を注いで手渡した。
「大事の前の飲酒は厳禁だが、少量なら構わないだろう?」
「最後とは穏やかじゃない...」
ヨルムドは銀杯を受け取りながら言った。
「覚悟を決めるほど、相手は強敵か?」
その問いに、ゴドーは薄く口角を上げた。
「前にも言ったが、賊の頭は凶悪な奴だ...倒すにしても、一筋縄ではいかない。」
「どんな男だ?」
「名はファブル。野蛮と凶暴さは父親譲りで、“バラガンダ”を牛耳っている若造だ。」
「バラガンダ?」
「バラガンダはマティスの山賊の一族名だが、かつては西メルトワに存在した傭兵部隊の名だった。」
「傭兵部隊?」
「ああ。」
「傭兵の名が山賊に?」
「名称だけじゃない…奴らはもともと傭兵だ。十年以上前の話だがな。」
「...初耳だな。」
「メルトワでも知っている者は極わずかしかいない事実だ。」
「なるほど…」
「今じゃ世代交代が進んで老兵ばかりになった...外にいる連中はほとんどが傭兵経験のない盗賊で取るに足らない罪人集団だ。かつてのバラガンダは屈強だった...先代の長、ぺデル・バラガンは歴戦を生き抜いてきた戦士だし、部隊にいた仲間も猛者が揃う、一流の傭兵部隊だったんだがな。」
「山賊に身を落としたのは何故だ?」
「そうだな…疑問はもっともだ、月光の騎士。」
ゴドーは物憂げに答えた。
「…だが、その理由は話せない。ちょっとばかり諸事情があってな...」
「事情?」
反問したものの、それ以上の追及はしなかった。詮索しても始まらない。秘事であるなら、それこそが時間の無駄だ。
「部隊を解体したぺデルは身を潜めたが、一部の部下を従え、この森に拠点を構えた…マティスが“魔窟”と呼ばれるようになったのもその頃…奴らは森を支配した。旅人を襲い、騎士を殺し、女子供を拐かして人々を恐怖に陥れた...当時、メルトワの村々で起こった数多くの誘拐事件も奴らの仕業だと考えられている...何故だか察しがつくだろう?」
「...一族を増やすためか?」
「その通り。」
「なんという下劣な真似を...」
「生まれた子どもは兵士としての教育を受けて育った。現在ファブルの率いる部隊は、殆どがその子らで構成されている。真実を何も知らされないまま、犯罪に手を染め続けている。」
…マティスの守人を続けていた理由はそれか?
ヨルムドはゴドーを瞠目した。
高潔な精神が彼を突き動かしていると結論づけてよいものか…その動機が今ひとつ判然としない。
「...俺はファブルと決着をつける…奴を倒さない事には埒が明かんのだ。」
ゴドーは顔を上げて言った。
「森の風通しを良くすれば、姫さんの念願が叶う。そうだろう?」
「...は?」
「俺と姫さんの関係が気になってるんだろうから打ち明けるが、俺は以前、姫さんから「求婚」されたことがあってな。」
「...なに?」
「俺もそのつもりだったんだ...その時は…」
「な…」
ヨルムドは驚きのあまり、手に持っていた銀杯を落としそうになった。
「.それは..真実か?」
「真実だ。嘘はつかん。」
ゴドーは口角を上げると、臆面もなく告げた。
「その頃の姫さんは周囲の目から逃れて別荘で暮らしていた。俺はまだメルトワに来たばかりの軽輩で、無一文の騎士だったが、幸運にも別荘の雑用の職にありつくことができた。薪割りだの火おこしだのの雑務から、足の不自由な幼い姫の警護を兼ねた世話係までだ。」
「シュノーの世話をしていたのか?」
「...三年ほどな。」
「...それで...どうなった。」
「姫が十二歳になった時、愛の告白を受けた...結婚して欲しいと言われた。」
「まさか、受けたのか?」
「受けた、可愛かったからな...」
「軽々な...」
ヨルムドは呆れて言った。
「世間知らずな姫君の言葉ではないか!」
「分かっていたが、それでも、連れて逃げようかと考える程度には真剣だったぞ。」
「馬鹿を言うな!」
「そんなに誹るなよ...」
ゴドーは笑い出した。ヨルムドが段々に不機嫌になってくるのが可笑しくて堪らなかった。
「まあ、その後、俺はシュナーベルから距離を置いた...ブラドル殿下の依頼もあって、姫の身辺警護は怠らなかったが、接触は極力避ける様に心がけたんだ。」
「それで、シュノーが愚痴っていたのだな。」
「あんたに愚痴を?」
「竪琴を聴いて貰えないと言っていた。」
「竪琴...ああ、そうか...」
ゴドーは頭を掻きながら天を仰いだ。
「そいつは失念していたな…」
「この戦が終わったら、我が家に聴きに来るといい、きっと妻が喜ぶだろう。」
…妻か。
ゴドーは眉を跳ね上げた。
あえて「妻」と強調したヨルムドの抑揚が垣間見える...表情は平静に戻っているが、よほど衝撃的だったに違いない。
「なあ月光。」
「なんだ。」
「絶対に死ぬなよ。」
「言われるまでもない…あんたこそだろう。」
「はは...違いない!」
ゴドーは一笑するとゆっくり立ち上がった。右手を差し出し、
穏やかな笑顔を浮かべた。
「いい時間になった。話せて良かったぞ…月光の騎士。」
「私もだ。幸運を祈る、“マティスの守人”」
ヨルムドはゴドーの手を握った。
懐かしい面影が脳裏に浮かぶ...立派な武人であった“彼”と同じく、ゴドー・バスティオンの顔にも「覇気」が満ち溢れていた…
ポントワ湖の辺り──
シュナーベルは竪琴を弾いていた。
遠く離れた戦場に想いを馳せて...
湖の水面は穏やかで、涼しい風が頬を撫でている。
昼間を避け、夕暮れに竪琴を奏でるのが毎日の日課になった。
「奥さま...」
侍女が歩み寄り、声をかける。
「...どうしたの?」
シュナーベルは弦から手を離して尋ねた。侍女の表情が曇っていて、何故か怯えた目をしていたからだ。
「お客様がお見えに...」
「お客様?」
シュナーベルは不思議に思った。
こんな時刻に訪問者とはいったい誰なのだろう...
「お名前は?」
「グレイ・ブリュトー様と...」
「知らない方だわ...」
シュナーベルは注意しながら、ゆっくり立ち上がった。迎えるにしても、エントランスまではとても遠い...辿り着くには時間がかかる。
「あなたは先に行って、控え室でお待ち下さるよう伝えて。」
「ですが...」
「何か不都合でも?」
シュナーベルが一歩を踏み出すと、侍女が口を歪めて後ずさった。
「メイサ...?」
声をかけようとした時だった。
背後からの羽交い締めに遭ったシュナーベルは、なす術もなく口を塞がれ、抵抗するまもなく意識を失った。
「連れて行け。」
夕暮れを背に男が告げる…
シュナーベルの姿が消え、その場に竪琴だけが残された...
つづく




