戦の渦中で
…この方は...何て強い騎士なの。
アイリは目の前で展開される戦いに目を奪われていた。黒い武装の傭兵達の戦いぶりも去ることながら、向かって来る敵を一撃で倒す「霧氷の騎士」の姿が、あまりにも衝撃的だったからだ。
…お医者様と聞いていたから、もっと穏やかな人だと思っていたわ...
“拠点潰し”を静かに遂行するものと思っていたのに、彼は圧倒的な数での奇襲を選んだ。傭兵達に対して直接的な武力行使を支持し、今まさに、それを実行しているのだった。
「回りくどいやり方は性に合わない。要するに敵の戦力を削げば結果は同じ事だ。躊躇わず、迅速に駆除しろ。」
長剣を手にしたパルシャが容赦なく山賊を斬り倒す中、アイリは常にその背中に付いて敵と応戦した。少しでも離れれば「離れるな!」と手を掴まれ引き寄せられる...彼の背中を守れと命じられているが、実際はどちらが守られている側なのか判らない状態だった。
「むうっ」
闇の中に金属音が鳴り、閃光が走る。
アイリの足下で呻き声が聞こえたが、それが何であるかを確認する前に、パルシャの腕に抱えられた。身体が浮き、宙ぶらりんになる...
「目を汚すな。さっさと行くぞ!」
パルシャは告げ、足早にその場を離れた。無抵抗なアイリを離れた場所まで連れて行き、地に下ろして周囲を窺う...
「...制圧したな。」
呟くように言うと、アイリに視線を移した。アイリは粛然としながらパルシャを見上げている...後ろで束ねた黒い髪が乱れ、呼吸も早い様子だった。
「怪我はないか?」
パルシャは尋ねた。
「あるなら報告しろ。」
「...手の指の皮が少し...大したことはありません。」
「剥けたのか?」
「...はい。」
恥と思っているのか、アイリは小声で答えた。暗闇で表情はよく見えないが、自分の不甲斐なさに気落ちしているのだろう..,
「そこに座れ、傷を診る。」
「...ですがまだ...」
「敵はもういない。いいから座れ。」
アイリが素直にその場に座ると、パルシャも地面に膝を着き、小さな鋳物の容器に火を灯した。一瞬で周囲が明るくなり、驚く少女の顔が照らされる...
「指を見せろ...」
細い指をそっと掴んで見つめた。確かに指の皮膚が裂け、血が滲んでいる。自称剣士と名乗ってはいるが、慣れない事をしている何よりの証拠だ...
「薬を塗ろう…少し沁みるぞ。」
ベルトのポケットから軟膏を取り出し、指の傷口に薄く擦り込む...アイリは一瞬ピクリとしたものの、声は出さずに痛みに耐えた。長いまつ毛が震えていて、その顔が何ともあどけなく愛らしい...
「任務が終わるまで包帯は外すな。外れたらすぐに俺に言うんだ。」
指の一本一本に細く裂いた布を巻きつけながらパルシャは言った。
「侮ると指を失うぞ。」
彼の口調はいつも高圧的に思えるが、本当は深い慈愛に満ちているとアイリは認識していた。すでに何度もその事を実感していたし、たった今もそうだった。
「ありがとうございます。パルシャ様...」
アイリは笑顔を浮かべて言った。
「凄いです...もう痛みを感じません。」
「あくまで応急処置だ。剣を握れば再発する...まあ、俺の背中に張り付いていれば、無駄に剣を振り回す必要もなかろうが...」
「...え?」
「お前が俺の背中を守ると同時に、俺がお前の身を守る...ということだ。」
「...?」
アイリは首を傾げた。
「…それでは本末転倒なのではありませんか?」
「そうか?」
「私はパルシャ様の護衛です…ですから...」
「…アイリ。」
「はい。」
「その様づけは止めろ。」
「...え?」
「呼び捨てでいい。いちいち面倒だ。」
「呼び捨て.…」
「返事は?」
「はい...気をつけます。」
「よし。」
パルシャはアイリの頭を撫でた。素直な少女が愛おしくて堪らない...黒い大きな瞳に見つめられる度に、心が疼いて止めようがなかった。
「行くぞ。」
パルシャは立ち上がり、アイリに手を差し出した。
その手を握ると、大きな手の温もりに包まれる...絶対の安心感に、アイリの頬が熱くなった。
「結果は上々...」
キロプスは地面に転がって“もがいて”いる山賊達を見下ろしなが言った。
周辺ではバスティオンの兵たちがうごめいており、天幕の中を探っている...
「口が利けない様ですね...」
アッシュ・バスティオンが怪訝そうに首を傾げながら尋ねた。
「神経毒だからね...体の麻痺は全身に及ぶ。本来なら病人の治療のために微量に調整して使用するものだが、今回は彼らに検体になって貰うことにした。これだけ屈強な男でも泡を吹くのだから効き目は絶大。これからの医術に大いに役立つだろう。」
「はぁ...」
毒薬を使ってアジトの殲滅を図っておきながら、この騎士は治療の未来の話を嬉々として語っている...柔和な人柄だし、頭脳は明晰だが、アッシュには今ひとつ掴みきれない人物だった。
「苦しいだろう?次の機会が訪れるかどうかはわからないが、今後は改心することだ...」
独り言の様に言うと、キロプスはアッシュに向き直った。
「アッシュ君、味方に誤って負傷した者がいないか確認してくれ。微量であっても解毒しないといけない。私が処置をしよう。」
「はい。」
アッシュはすぐにその場を離れ、兵たちに伝令を伝えた。キロプスは各兵の武器に前もって痺れ薬を塗り込ませており、やむを得ない場合を除いて、殺害を避ける様に指示を出していたのだった。
「少なくとも、一日程度は痺れて口も利けない...まあ、夜が空ければメルトワ兵が来てくれるさ...その後はどうなるかわからないけどね。」
ベルトに付いている収納箱を開け、血清を取り出した。「毒には毒を以て制す」というが、予め解毒の研究を考えておくのも、薬学者の役目ではあるのだ。
キロプスはバスティオン兵一人一人に治療を施した。彼らには夜明けまでにもう一度仕事をして貰わねばならない...侵攻すればするほど、戦いが激化するのは明白だった。
「進捗が気になりますね。」
アッシュは治療の手伝いをしながら言った。
「夜明けに間に合うでしょうか...」
「大丈夫だよ、森が静けさに包まれている...他も上手くやっている証拠さ。」
「言われてみれば...」
周囲は異常なほどの静寂に包まれていた。月明かりさえ無い暗闇に、キロプスが燈す小さな篝火だけが浮かんでいる。彼は淡々と治療を施していたが、柔和で明るい性格は、抑揚を抑えてさえ隠しようのないものだった。
「...よし、君が最後だね。」
傭兵に処置を施すと、キロプスは顔を上げて告げた。
「では、最後の拠点に移動しよう。」
「はい。サー・ストラトス。」
アッシュは頷き、口角を上げながら立ち上がった。
…貴方への尊敬は増すばかり…こんなに楽しいと感じる戦は初めてだ。
任務は命懸けでも、この騎士のおかげで切迫感が薄れ、余裕さえ感じられる…決戦に向かう恐怖も、いつの間にやらどこかに消えてしまっていた。
…人の前に立つならば、彼のような人間であらねば…
愛馬に跨るキロプスの勇姿を眺めつつ、アッシュは思った。戦を終えルポワドに帰れば、再び本業の「役者」に戻る。自分に必要なのは、観客を楽しませる演技力と、人を惹きつけて止まない絶対的な魅力なのだ...
「君の芝居を見てみたいが、ルポワドは遠いなぁ...」
心を見透かす様に、キロプスが言った。
「君はどんな役を演じるんだい?」
「いろいろやりますが、女役が好評ですね。」
「女役?」
「はい、男ばかりの劇団なので、私が女役を演じているのです。」
「なんと...それは興味深いね。」
「ありがとうございます。」
「だから君は所作の動きが綺麗に見えるんだな...納得だ。」
「そう見えますか?」
「見えるよ、演技が加われば、きっと素晴らしい役者なのだろうと想像できる。」
「キロプス殿...」
アッシュは顔が熱くなった。この騎士はどうしてこうも包容力に長けているのだろう....
「お言葉、励みになります。」
アッシュは言い、笑顔を浮かべた。ゴドーの誘いに応じて決めた参戦だったが、この騎士との出会いは、最良の思い出となるに違いなかった。
「オクト・バスティオンと申します。」
男はヨルムドから距離を置き、漆黒の外套に全身を包んだままの姿で言った。
「ご報告します。34拠点のうち、すでに31拠点を制圧。残数は3となり、作戦は順調に遂行しております。」
淡々とした口調...青みを帯びた黒い瞳 の光は乏しく、抑揚も感じさせない...「影」のような気配はキサヤも同様だが、オクトは更に“闇が濃い”と感じた。
「包囲網は完成しつつあるのだな?」
「各隊それぞれ距離を置き、順次待機しております。」
「残りの隊は?」
「モラド首長の隊はすぐ間近に...ガイルの隊は残りの2拠点を奇襲中でしたが、既に制圧は完了しているものと思われます。」
「ゴドー殿は?」
「本拠地付近に潜んでおられる様ですが、動きまでは掴めません。おそらくはギャドと行動をともにしておられるのではないかと...」
「傭兵の部隊長か?」
「...如何にも。」
ヨルムドは納得し、オクトへと伝令を告げた。
「我が隊はこれより中心部へと進む。時を置かず、ゴドー殿と合流できるだろう。早急にブラドル殿下へとご報告申し上げてくれ。」
「...御意に。」
オクトは頭を下げると、すぐさま踵を返した。その姿が一瞬で闇に溶ける。.まるで存在そのものが無かったかのように...
「伝令役を担うからには一晩中で森を駆け回らねばならない。罠や伏兵を阻止し危険に身を晒して突き進む...難儀ではあるが、彼はそれを熟せるだけの実力者であるということだな。」
ヨルムドは背後にいるキサヤに言った。
「裏葉の騎士...一族でも彼を知る者はほとんどいません。幼い頃に父親と王都へ行き、正騎士になったと聞いていますが、その後の動向も今ひとつ判然としないのです。」
「ルポワドの正騎士?」
「そのようです。」
…やはり、特務か。
脳裏に「ペリエの黒騎士」の姿が浮かんだ。単独行動に特化した特別部隊に所属している騎士なら、この程度の任務など造作もないに違いない。
…黒騎士はルポワドの公爵だ...あるいは、奴の配下の者なのかも知れないな。
「前進する。」
ヨルムドは再び歩き出した。木々の隙間に星空が見える。夜明けまではあとわずか...決戦の時が刻々と近づいていた。
…もうすぐだ。シュノー
シュナーベルの脳裏に浮かぶ...
納得させずに置いて来てしまったことを今は悔いていた。たとえ主君の命であったとしても、妻を信頼し、理解を得るべきであったのかも知れない。
..,私を恨んでいるだろうか?
その思いが心を苛む...不器用な自分を罵った。シュナーベルの愛を失えば、何もかもが“虚無”と化してしまうというのに...
…殿下がなぜシュノーへの口外を頑なに禁じたのか...なぜ作戦の指揮を自分に任せ様と考えたのかは解らない...何か深い事情があるのは間違いなさそうだが、それも単なる憶測だ...
…関連があるとすれば、やはりシュノーの存在...ゴドーも含みのある発言をしていた...いったい何がある?
疑念は湧くものの、今は雑念を捨てるべき時だと思い直した。戦が終われば全て明らかになるはず...それより一刻も早くシュナーベルを安心させ、失った信頼を取り戻さねばならない。
…君を愛さなければ受ける必要のない任務だった。戦の理由はどうあれ、私は森を解放し、君をボルドーへ連れて行く....約束通りに。
風が鳴り、木々が騒めいた。
敵の気配を感じる...
ゴドーが居るのは敵の本拠地..更に深くい最も危険な「魔窟」だ。
「「凶悪」と云われる山賊の首領とは如何なる男か...」
ヨルムドは自嘲した。
治療の痛みに悲鳴をあげるシュナーベルを目にするより、凶悪な敵に立ち向かうほうがよほど心の負担が軽い...
…この弱点を克服するのは不可能に等しい。
空に輝く青い星が、今夜は何故か潤んで見えた。涙に濡れる瞳の様に、それは幾度も幾度も瞬くのだった。
「泣かないでくれ…」
ヨルムドは言い、シュナーベルに心を馳せた。
夜明けを迎え、ブラドル率いるメルトワ軍が進軍を始めた。
大群が森へと分け入り、無力化した郎党の「後始末」を開始する。道筋が確保された中での任務は容易く、囚われ拘束されていた捕虜が救出され、賊徒は次々に捕らえられた。
「処断は後日だ。一人残らず引きずり出し、刑場へと送れ!」
ブラドルは冷徹に命じた。その形相は険しく、慈悲の心は感じられない。
…まるで別人のようだ。
傍に立ち、ブラストは眉をひそめていた。
溢れ出る感情は、憎悪と凄まじい怒り...
…理由は何なのだ?
甲冑に身を包んだブラドルが馬上から空を睨んでいる...地平が白み始め、暗闇に包まれていた森も、互いの姿が目視できる明るさになりつつあった。
「...斜陽の騎士よ。」
ブラドルが口を開いた。
「この戦を始めた事で、僕は妹達の信用を失ったようだ...」
「信用...でありますか?」
「うむ、エレナはそなたを巻き込むなと言って僕を責め、シュノーは泣き崩れて悲観に暮れている...さもあろう、僕は結婚したばかりの「月光」を戦に連れ出し、無関係なそなたらを危険に晒している。我が国の、強いては僕自身の過去の遺恨を果たすために。」
「...遺恨?」
「そうだ、これは過去の清算...復讐のための戦だ。」
突然の告白に、ブラストは目を見開いた。どう応じて良いか解らず、王子の顔を瞠目する...
「月光に告げてはおらぬ...真実を知れば暗澹たる気持ちになるに違いない。シュナーベルの為にも、事実を伏しておくべきと判断した。」
…では、何故私に?
ブラストは無言で問うた。
「そなたに吐露するのは、エレナに真実を伝えて欲しいからだ。無慈悲な兄の言葉より、素直に耳を傾けるであろうからな。」
「そのような...」
「僕のことは気にするな。初めから覚悟していた。」
ブラドルはヘルムの奥で目を細めた。
「これから真実を話す...聞いてくれ。」
そう告げると、ブラドルは淡々と語り始めた。
過去に起きた悲劇...封印された“メルトワの惨劇”の真実を───
つづく




