49-01 ケイジとハルカ
耳鳴りがひどい。身体中が痛い。
おれは、最上部の歩廊にぐったりと倒れ伏していた。
頬に当たる濡れた金属の床は冷え切って、体温をみるみる奪っていく。あとからあとから落ちてくる雪が、おれの上へと降り注いだ。
遠くから、聞き覚えのある声がする。
「──そうだ。引け。今すぐ、全員だ」
(ケイジ・ニューマン……)
「報酬は明日、朝一で届けさせる。……もちろんだ。私は、約束は守る」
通話の声が途切れ、ふ、とケイジが息を吐く気配。足音が、カツン、カツン、と近寄ってくる。忌々しげな鼻息。
「やっと死んだか」
すぐそばで嘲るような声が、しかしぴたりと止む。はっと息を呑む音。おれはケイジの足首を掴んだ。
発砲音。
飛び退いたおれの手前、さっきまで横たわっていたところに、銃痕がひとつ空いている。淡い煙が夜の中に立ち上る、その向こう側で。
「……本当にしぶといな、君は」
銃を手にしたケイジが、顔をしかめて毒突いた。おまえもな、とささやき、立ち上がる。ケイジの視線が、すっと地を滑って、ある一点を見た。おれが投げ捨てておいたデバイスだった。
ふう、とため息をつき、ケイジがおれに向き直る。おれもケイジを見つめ返した。
夜光きらめく化学プラントの中央、青白いフレアが吹き出すスタックの最上部。夜の空気はフレアの輻射熱で、かすかに熱を帯びていた。吹き付ける風にまじって、雪がしきりに頬を叩く。
対峙したおれたちは、しばらく黙っていた。おれもケイジも、互いから目を逸らさない。穏やかじみたくちびるが動いて、ようやくケイジが呆れたような声を出した。
「まったく。私が来ないと思わなかったのかね」
「実際、来ただろう」
薄く目を細めるケイジ。おれは言った。
「まあ、あんたは来るつもりこそあれど、おれと会うつもりはなかったようだな」
「ほう。どういうことかな」
白々しくもケイジが言う。ちら、と視線を投げて、床に落ちたデバイスを見やった。
「あいつで、おれの生体データを観測していたんだ。爆発の直後、おれはわざとあいつを投げ捨てた。データは途切れ、おまえはおれが死んだと思った。だからあんたは、こうしてのこのこ姿を現した」
ケイジは答えない。ただ薄い笑みを浮かべて、表面上だけは優しげな顔を保っている。
「あんたは臆病で、用心深い。その上、他人をいっさい信用していない。だからこそ──絶対に、自分の目でおれの死を確認しに来ると思っていた。万が一、おれがひそかに救助されないよう、兵隊を全員引かせた上でな」
「ずいぶんと、知ったような物言いをする」
「観察と推測は、昔から得意なんでね」
おれの挑発に、ケイジは気を取り直したように肩をすくめた。さて、と彼は言う。
「SNSのメッセージで、君はこう書いていたね。『ハルカ・シノサキにまつわる、おまえの秘密を知っている。ハルカを連れてここまで来い』……と」
うなずく。辺りを見ても、ハルカがいる様子はない。おれは眉をひそめ、尋ねた。
「ハルカはどこだ」
「まあ、そう慌てるな。それよりも、君がなにを知っているか、私はそいつに興味がある」
さあ、話してもらおうか。
そうささやくと、ケイジは空に手をかざした。いつも手にしている白いハンカチがはらりと夜に舞って、暗闇にゆっくり溶けていった。
目の前の男は、口の端をかすかに吊り上げておれを見つめている。穏やかに下がった目尻、優しげな頬。こんな状況だというのに、この男の仮面は完璧だ。
「まさかとは思うが、ハルカ・シノサキの正体のことじゃないだろうね。あんなもの、暴露されたところでどうとでもできる。ただの思春期の妄想、私は痛くも痒くもない」
「そう早合点するなよ」
挑発的に笑ってみせる。ケイジがぴくりと頬を動かした。おれは肩をすくめた。
「図書館ってのは実に便利だな。無人管理だからおれみたいな不審者でも入れるし、端末はフリーアクセスだ。おかげで色々と捗ったよ。ついこんな時間まで〝調べ物〟に追われてしまった」
「それで、なにかわかったかな」
「ああ。面白いこと──いや、不快極まりないこと、かな」
ケイジの銃口がおれをまっすぐに狙っている。おれはまだ銃を構えてもいない。下手な動きはできなかった。口を開く。
「おれが言いたいのは、五年前のことさ」
途端、ケイジの指先がぴくっ、と動いた。すうっ、と薄っぺらい笑みが引いていく。強い手応えを感じ、おれは静かに口を開いた。
「ニューマン夫妻は、その睦まじさで有名だった。学生結婚だった妻は長らく夫を支え続け、しかし、五年前──交通事故で命を落とした」
「……そうだ」
「ここでひとつ、気になる事実がある。
おまえの妻が死んだのが五年前。そして、ハルカの母が死んだのも、同じ五年前だ。ふたつの死の間隔は、数日しか空いていない。さらに不思議なことに、ふたりが死んだのは──ほぼ同一地点だったらしいな」
「なにが言いたい」
わかっているんだろう、と言いたげな笑みを作る。ケイジは完全に無表情になり、おれをじっと見つめていた。




