47 工場地帯
夜の工場地帯、広大な化学プラント。
開いていた柵の隙間から中へ入ると、地面にぽつりと光るものが見えた。デバイスだった。おれのものではない。
無視して通り過ぎようとすると、そこから声が聞こえてきた。
『──シヅキ・J・ロウ。こいつを着けてもらおうか』
「……」
ちら、と地面のデバイスを一瞥する。
聞き覚えのある声だった。ケイジ・ニューマン。
『まったく。私は忙しい身でね。急な呼び出しは困るな』
呆れたような声音が、さあ、とおれを急かした。
『そいつを身に着けろ。でなければ、交渉には一切応じない』
「……わかった」
小型爆弾でも仕込まれていたら終わりだが、この短時間で、環資省にそんな芸当は不可能だ。
おれはデバイスを拾い上げると、手首に巻きつけた。小さな電子音。耳に手を当ててもいないのに、ケイジの声が頭に聞こえてくる。改造デバイスのようだ。
『さて。では、夜の逢瀬といこうか』
「どこにいる」
『指定通り、端末の隠し場所、とだけ言っておこう』
「例のスーツは、連れてきていないだろうな」
『もちろんだ』
「なら、いい」
歩き出す。工場地帯は複雑に入り組んでいた。骨組みや階段が何階層にも重なり、パイプや煙突が幾重にも組み合わさり、あちこちでライトが光っている。だが、目指す場所なら常に見えていた。
ひときわ高い頂上から、青い炎を吹き出しているフレアスタック。
ケイジは──そこだ。
おれは念のため、わざと回り道や引き返しを入り混ぜながらフレアスタックを目指した。デバイスでおれの位置などトレースされているだろうが、待ち伏せられたら厄介だ。スーツ連中を連れてきていないとは言われたものの、無人のトラップがないとは限らない。まっすぐ行く気にはなれなかった。
歩くうち、夜の中を雪が降りはじめた。はらはらと舞う白いものが工場地帯の明かりに照らされて、複雑なきらめきを見せている。入り組んだ巨大建造物の合間に降りしきり、ちらちら光る雪の結晶。こんな状況でなければ、立ち止まって見惚れていただろう。それほど幻想的で美しかった。
遠回りが功を奏してか、スタックの根本までは何事もなく辿り着くことができた。足を止め、高くそびえる塔を見上げる。
螺旋状に巻き付く階段が、いくつかの歩廊を挟み、頂上までずっと続いている。細い階段は点検用なのだろう、頼りなさげな手すりがついているだけで、むき出しだった。
耳の奥から、ケイジの声。
『どうやら下に着いたようだね』
「おまえは──上か」
あいかわらず悪趣味だな。おれの言葉に、ケイジが喉の奥で笑う。ゆっくりと近付き、階段に足をかけた。
途端──ぱん、と音がした。反射的に走っていた。階段を駆け上がる。背後から、荒々しい足音がいくつも重なって、おれを追ってくる。叫ぶ。
「嘘をついたな」
『とんでもない。私は誠実な正直者だよ』
「なに──」
破裂音。点検用の歩廊に逃げ込み、塔の裏に身を隠す。どうせすぐに回り込まれる。なんとかしなければ。
懐から、リディアの銃を抜いた。残弾は十五発。無駄遣いはできない。
わざとちらりと顔を出した。途端、金属の表面で弾がはじける硬い音。撃ち返す。二、三発の音が鳴り、すぐに止んだ。こちらを伺っているらしい。おれが銃を持っているとは思わなかったようだ。それはいい、だが。
(今、見えたのは──)
顔を出したとき、わかった。連中の、夜に溶け込む独特の服。いかめしい武器。整列された動き。
「軍隊……」
ケイジがくつくつと笑った。
『だから言ったろう。ここに私の部下は一人もいない。嘘は吐いていないよ』
「ふざけた真似を」
だが、どうして防衛省の連中がケイジを守るのだ。彼らは敵対していたのではないか?
おれの疑問に答えるように、ケイジが言った。
『ちょっとした取引だよ』
両サイドから足音。おれは走る。さっと左右に視線を走らせ、片方の足音に向かって正面から突っ込んだ。
囲まれれば銃を使われる可能性は減る。仮に愚か者が撃ったとして、相打ちの可能性が上がるだけだ。懐に飛び込みさえすれば──勝算はある。それに、どうせ階段を目指すなら、奴らを倒さなければならない。
乱闘のはじまる音。ケイジが楽しそうに笑う声。
『ハルカの『魂』はすでに確保した。防衛省と交渉する必要などもう、ない。だが、私は慈悲深いのでね……彼らがそうまでして金と資源が欲しいなら、少しだけくれてやろうと思ったのだよ』
一人に狙いを付け、胴体に飛びかかる。腹に抱きついて足払いをかけると、男はがくんと重心を崩した。振り下ろされるコンバットナイフらしき刃を避け、数人が飛びかかろうとするのを蹴り飛ばす。
『金も資源もやる。その代わり──一時間、小隊をひとつ貸してくれ。そういう取引だ』
抱えていた男を投げつける。何人かが、まとめて手すりを越えて転がり落ちた。軍の身体は特別製だ。この高さならまだ、怪我はあれど死ぬことはあるまい。
階段を踏みしめ、さらに駆け上がる。背後から追ってくる気配は減っていたが、上階にもおそらく敵がいるだろう。
「こんなことをして、おれがこいつらに秘密を暴露してもいいのか」
『ああ、君の言う〝交渉材料〟ね。ふむ』
階段は塔に沿うように巻き付いている。直線ではない。そのせいだろう、追手たちは容赦なく銃弾を浴びせてきた。スタックを傷付けて可燃性ガスが吹き出すのを恐れているのか、一発の威力が低いのだけが救いだ。
耳元で、低い笑い声が響いた。
『いま、余計なことを叫んでみろ。その瞬間、ハルカ・シノサキの死体はスクラップだ』
「く──っ」
正面からも追手。おれはためらい、だが引き金を引く。腿を撃ち抜かれた男は膝をつき、それでもおれに銃口を向けてきた。手首を蹴り上げる。夜に銃が舞う。
目の前の肩を踏んで、思い切り飛んだ。数人分の頭上を飛び越え、階段上に着地。接地の瞬間を狙って、銃声がはじけた。跳ねるように走り出す。
ケイジが挑発的に呼びかける。笑み混じりの声。
『さあ、無事に〝待ち合わせ場所〟まで来られたら──交渉を始めようじゃないか』
「ふざけた、ことを……っ」
『ちなみに。君の動きも発言も、こちらは全て把握している。ハルカが心配なら、早まった真似をしないように』
余裕ぶった口ぶりに、くそが、と激しく吐き捨てた。いっそデバイスをむしり取ってやろうかと思ったが、それをした瞬間にハルカの身体は損壊される。従うしかなかった。
襲いかかる身体を蹴り落とし、腕だの脚だのばかりを狙って発砲しながら、あまりに不利な状況に歯噛みする。
こっちの武器はシンプルな銃が一丁だけ。しかも残り弾数は着々と減っていく。その上、向こうはおれを殺す気で来ているが、おれは誰も殺したくない、と来たものだ。とんでもないハンデ戦だった。
銃を片手に、這うように階段を駆け上がる。二層目の歩廊に駆け込む。銃声。構わず走る。足を止めたら死ぬ。
階段の影から現れる複数の男に飛びかかる。側頭部を蹴りつけ、かしいだ身体を軸に身を翻す。
別の男を回し蹴りする。転げ飛んだ身体が、手すりを越えて落下しそうになる。とっさに掴み止め、歩廊の内側に放り投げようとしたとき──ずっ、と足が滑った。
(まずい)
金属の足場が、雪でしとどに濡れていた。体勢が一気に崩れる。
かろうじて男を内側に放り出し、膝をつく。一気に近付く足音。視界の端、工場光を反射した銃口が光る。覚悟とともにぎゅっと目を閉じて、
――衝撃と、高い発砲音があった。




