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【完結】さよなら火葬場  作者: Ru
── 第7章 ──

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45-01 放浪

 リビングのソファに座るリディアの手に、包帯を巻いていく。なりふり構わない格闘のため、彼女の指は切り傷まみれになっていた。もちろん、おれの指も。


 リディアは力なくうなだれ、下を向いたままだ。


「できた。しばらくは、力を入れないほうがいい」

「……」


 なにも言わない彼女を前に、おれは小さく息をつく。跪いていた姿勢から立ち上がり、ドアの方を見た。


「……じゃあ、行くよ」


 おれはここにいない方がいいだろう。もう二度と戻ることもあるまい。

 ちら、と部屋を見回す。なつかしい家だった。胸の底がかすかに痛んだ。そのとき。


「……映話機の下の引出し」


 ぽつり、とリディアの声がした。


「持っていって」


 言われるままに引出しを開ける。宝石付きのアクセサリや婚約指輪のケース、貴重な書類の数々に混じって、一丁の銃が入っていた。


 思わず振り返る。リディアはおれの方を全く見ないまま、小さくつぶやいた。


「防衛省の人に借りたの」


 ぼんやりとどこかを見つめ、彼女は言う。


「引出しの底板を上げてみて。メモが入ってるわ。手記のアドレスが書いてある」

「……わかった」


 ふーっ、と細く長いため息が聞こえた。真っ白い包帯も痛々しく、リディアが静かに顔を覆う。


「……これを使えなかった時点で。こうなることは決まっていたのかしらね」

「やっぱり、……きみは立派だよ」


 やめてよ、と返すリディアの声は涙まじりで、小刻みに震えている。おれはわずかに目を細めた。本心からの言葉だった。


 このひとは迷い、悩み、ためらっては傷付きながら、それでもいつだって正しいことをしようとする。だからこそ、おれは彼女を愛したのだ。


「……借りていくよ」


 ささやいて、引き出しの中身をコートにしまう。たん、とゆっくり閉めた。


「リディア」


 呼びかけに、彼女は返事をしない。ソファに浅く腰掛けて、うなだれたように下を向いたままだ。


 おれは小さく息をつくと、言った。


「さよなら」


 リディアはなにも言わなかった。最後だと思った。


 廊下を抜け、玄関に向かうと、かちり、と鍵が開く音がした。リディアがデバイス越しにキーを開けたのだろう。


 玄関扉の前、最後に一度だけ振り返る。長い廊下の向こうに、半開きになった子供部屋の扉。


「……」


 おれは静かに目を伏せると、かつての我が家を後にした。



 冬の路上で、ひとりになる。冷え切った風が正面から吹き付けて、ぴりっ、とあちこちの傷がしみるように痛んだ。


(これから、どこへ行こう……)


 ハルカのなきがらは奪われてしまった。『魂』もだ。手がかりはもう、なにも残っていない。あるといえばクラウドのアドレスだが、それだけあったところでどうにもならなかった。


 なつかしい家が視界に入るのが嫌で、どこへともなく歩き出す。両手の軽さが不自然で、なんだか妙な感じだ。コントラバスケースはもうない。守るべきものは、もう。


 歩みが、しだいにゆっくりになる。歯を食いしばって下を向いた。

(リディア……)

 一度は愛した女性を、あそこまで追い詰めたのはおれだ。


 罪悪感が胸を突き刺した。私なんて偽物だと、全部私のせいなんだと、泣いている緑の瞳が思い浮かんだ。


 彼女だけじゃない。ハルカも、ミックもだ。誰もが、この社会が謳い上げる愛に振り回されている。美しいものが手に入らず、苦しんでいる。なにが愛だ。あんなもの、多くの人を苦しめているだけじゃないか。


 じくじくと心臓の奥が痛む。歩みはますますのろくなる。せめて止まってしまいたくはなくて、懸命に足を動かした。


 行くあてなどない。帰る場所も、待つ人もいない。救うべき誰かも、もうどこにも存在しない。生きる理由さえも。


 リディアのすすり泣きが脳裏に響いた。


『ハルカを助けて』


 だが、おれになにができる。

 なにもかも失って、手がかりすらなくして、一人になって。

 おれは──どうすればいい。


 わからない。考えても考えても、どうしても、わからなかった。


 いつだってそうだ。わからないことをわからないままにして、すべてを無視して、強引にここまで進んできた。その結果がこれだ。いつまでも、わからないままではいられないのに。


 痛む胸をひきずって、強引に足を早めた。ぐしゃぐしゃと頭をかきむしる。冷えた髪の毛が指にからみつき、切り傷をひどく痛めつけた。


「……くそ……」


 こぼれた声はあまりにも頼りなく、耳を塞ぎたくなるほど情けない。どこへ行けばいいのか、なにをすればいいのか、おれにはもう、なにもわからなかった。


 だが、そのとき。


「コートニー、さん……?」


 控えめな呼びかけがあった。顔を上げる。

 そこには冬の陽光にきらめく紫の瞳が、驚いたようにおれを見つめていた。






 

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