41-01 喪失
『だが、我々も暇ではないのだよ。人工人格の運用には、手間も時間も人員も必要だ。あれほどの数の〝コピー〟を、私がわざわざ用意したと? 法案はとっくに通過したのに?』
「それは──」
そこまで考えて、もしや、と嫌な可能性が脳裏をよぎる。
最初のガラサ、ハルカ・シノサキは生きた人間だった。人工人格などではない。だが、彼女は環資省のいいように動かされていた。
そして、例のコピーたちもまた、人工人格ではないのだと言う。だが、彼らもガラサも人間だとすれば、あれだけの数の人が、恐ろしいほど統率の取れた思想を持たされていることになる。環資省にとって都合のいい思想のみを。
(まさか──)
「洗脳……」
自然とこぼれた言葉に、ケイジがぴくりと反応する。スクリーンの目の奥に、なにか暗いものがじわりとにじむ。それで確信した。
「ハルカ・シノサキと、それに続く若者たちを……洗脳したんだな」
ケイジが乾いた笑みを浮かべる。手を広げ、肩をすくめる仕草。
『人聞きが悪いな。教育的指導だよ。彼らは自分の意志で、我々の思想に同調したのだ』
「馬鹿な。未熟な精神と不安定な自我に翻弄される子供たちを誘導して、若い思想を捻じ曲げて、どこが彼らの意志なんだ」
『我々は、一度たりとも強要などしていない。強い言葉すら、一度も使っていない』
「それが洗脳だと言うんだ!」
ゆるく首を振り、ケイジがやれやれ、というような顔をする。
『私はただ、彼らの見えるところに、星を置いただけだ』
「星……?」
『真の愛という星だよ』
うっすらと暖かな笑みを浮かべ、ケイジは言う。
『それさえ見えていれば、人は自然とそこへ向かって歩き出す。愛というのは手に取れない星と同じだ。永遠に届かないその境地を目指し、邁進し続けることこそが、真実へ至る唯一の道なのだよ』
聞き覚えのある論調だった。星、道、到達不能な真の愛。
おれは思い切り奴を睨みつける。
「やはり……今のガラサの言葉はすべて、おまえのものだったんだな」
なにも言わずに笑うケイジ。歯噛みする。
「おまえのやっていることは愛でもなんでもない。ただのまやかし、悪趣味な洗脳行為だ」
『おや。君にも共感してもらえると思ったのだがね』
眉を持ち上げ、心底意外そうに彼は言う。むかむかと嫌悪がこみ上げ、憤りが腹の底を焼いた。ケイジは陶酔したように語る。
『美しいものは、真の愛は、たしかにあるのかもしれない。だがそれは決して到達不可能な至高の一点であり、目指すべき不動星であり、美しい虚構の理想でしかない。だからこそ、人はその星へと続く道を、永遠に歩み続けるべきなのだ。辿り着けない高みを目指し、研鑽を続ける。その過程にこそ、人間の価値がある。愛という虚構こそが人を高め、その魂を救うのだと──君もまた、それを信じてきたのではないかね?』
「ふざけるな……」
歯を食いしばる。ぎりっ、と握りしめたペンが震えた。きっと顔を上げ、おれは叫ぶ。
「子供を死なせてなにが愛だ!」
その途端、ケイジの瞳がそっと瞑目した。ゆっくりとまぶたが開いて、
『……ハルカ・シノサキのことは残念だった』
つうっ、とその目尻から、慈悲じみた涙が伝う。あまりにも不釣り合いな美しい涙に、ぞっとした、そのとき。パシュッ、と軽い音。
「──っ、ぐう……っ!?」
ものすごい激痛。あまりの痛みにうめき声をあげ、床に崩れ落ちる。コントラバスケースが放り出される大きな音。視界がさまよい、胸元に刺さった電極が目に入った。
(くそ、油断した……)
銃口から伸びた電線をたどるように、スーツがひとり歩み寄ってくる。
うめきながら悶えるおれの傍にしゃがみこみ、彼はごそごそコートをあさりはじめた。抵抗しようにも、痛みのあまり動くことができない。
男はポケットからなにかを取り出すと、ケイジに見えるように空にかざした。入れっぱなしで忘れていた、エルビンのケースだった。
スクリーンのケイジが、喉の奥で満足そうに笑う。
『予想通りだ。紛失したと聞いていたが、やはり君が持っていたか』
「な、に……」
這いつくばり、うめきながら、眼球だけでスクリーンを睨む。ケイジが実に楽しそうに笑った。
『おや、これがなにか知らなかったようだね。君は最後まで〝品物〟がなにか、誤解したままだったというわけだ』
エルビンのケースが他の男の手に渡り、大ぶりのアタッシェケースの中へと厳重に収められる。ケイジが言った。
『『魂』だよ。ハルカ・シノサキの』
やはり彼女の『魂』には、なにか秘密があったのか。
大写しになったケイジが、皮肉げな笑みを浮かべる。
『大人しくこいつを焼いてくれれば良かったものを。君がとろとろしている間に『魂』は防衛省に横取りされ、彼らはそれをネタに交渉を持ちかけてきた。まったく無能だね、君は』
「ぐ……っ」
身のうちを駆け回る電流はまだ止まない。ひどい痛みで落ちかける意識をかろうじて繋ぎとめ、おれは歯を食いしばってケイジを見上げた。
『我々は、なんとか落とし所を見つけようとした。しかしイレギュラーが発生した。君だよ、シヅキ・J・ロウ』




