32-02 ジェームズ・ライト
ジェームズは最初、怯え慌てふためいていたが、おれに敵意がないことがわかると次第に落ち着きを見せはじめた。彼はおれに椅子をすすめ、茶の用意をした。
「取り乱してしまい、すみませんでした。探偵さん」
一見落ち着いた苦笑いが言うが、飲み物を出すジェームズの手はまだ小刻みに震えている。完全に恐れを払拭したわけではないらしい。
おれはそれに気付かぬふりをして、笑みを浮かべた。
「皆、あなたを心配していますよ」
突然の失踪を心配した周囲の人に依頼され、ジェームズを探しに来た探偵。そう名乗ったおれを一応は信用することにしたらしい。ジェームズははい、と言うと自分のカップに砂糖を落とした。おれも同じようにする。
椅子の横にコントラバスケースを置いて、机を挟んで向かい合う。あまりじろじろ見るのも警戒を助長させると、おれは何気なくあたりを見回した。
外は薄い灰色の空が広がって、遠くから鳥の声がちらほら聞こえてくる。三階から見える景色はどうにも半端な高さで、窓の下端に枯れた木の枝が見え隠れしていた。
カップを取ろうと視線を戻す。そのとき、机の上、無造作に広げられたボードゲームの盤が目に留まった。二人から五人まで遊べる、駒を取り合うゲームだ。スピーディーなゲーム展開が人気で、古くから楽しまれている。
おれはカップを手に取ると、すう、と湯気を吸い込む。やわらかい香りが鼻先をくすぐった。害意がないことを示すため、わざとやわらかい表情を作る。ボードゲームに目をやった。
「トッカータですか」
かすかな警戒心を消しきれないまま、ジェームズがええ、と淡く笑う。
「弱いのですがね。単純なルールなので、子供たちと遊ぶのにいいのですよ」
「子供たちはよくここへ?」
「そうですよ。無邪気なものです」
「中学生、ですよね」
にこやかに続ける。おれに敵意がないことをやっと納得できたらしい。ジェームズはほうっと息をつき、カップの中身を一口すすった。
「そうです。近くの学校で、ボランティアを」
「ご立派です」
「そんな。助けられているのは私の方です。若い彼女らを見ていると、心が洗われる。私にも、あんな時代がありましたよ」
そう言って笑う男の目尻に、深いしわが刻まれる。初老の手がカップを置いた。ジェームズはぎしりと椅子を鳴らし、深く座り直す。完全に警戒を解いたようだ。ゆったりと、彼の手がおれのカップを示す。
「よい香りでしょう。生徒たちが持ってきてくれたのですよ」
「素晴らしいですね」
実際、その茶はたしかにうまかった。それなりにいい茶葉だ。この町におけるジェームズの扱いが察せられる。
「子供たちからボランティアのお礼、というわけですか」
「まあ、そうですね」
おれは静かに目を細めた。小さく息を吸い、何気ない様子で言う。
「あなたはここで、彼女らに愛を差し伸べていると」
「そうまっすぐ言われると、照れてしまいますがね」
ボランティアのことを言われたと思ったらしい。ジェームズは慈悲深い笑みを浮かべ、私なりの愛です、と言った。
「私には、医療しかできることがありません。未来ある子供たちに、捧げられるものはこれしか持ち合わせていないのですよ」
「なるほど。あなたの愛は与えることですか。医療やそして──〝慈悲〟を」
慈悲、その言葉の裏に違う行為をにじませて、しかしジェームズは気付かない。少し違いますね、と老いた声がささやき、微笑みがおれを見た。
「愛するとは、与えるのではなく祈ることです」
噛みしめるように言うと、ジェームズはカップを置く。そして机の上で指をからませた。祈るような仕草だった。
「数世紀前まで、心臓とは、胸を閉じてみるまで動くかどうかわからないものでした。今だってそう。〝絶対に〟成功する手術など存在しない」
「厳しい世界なのですね」
「ええ。医療では、どんな天文学的確率の、むごい偶然があるかわからないのです」
真剣な面持ちで目を伏せたジェームズは、私の仕事の半分は祈ることです、と静かに言った。
「命あれかし、幸あれかし。私にとって、愛は祈りに他ならない」
ささやいて目を細める表情は穏やかで、慈愛に満ちており、誰もが〝聖職者〟と呼ぶにふさわしいものだった。




