32-01 ジェームズ・ライト
ドアの隙間から、初老の男の顔が覗く。その目には警戒心と怯えがありありと滲んでいた。
「ジェームズ・ライトだな?」
告げた瞬間、目の前の顔からさっと血の気が落ちる。すごい勢いでドアが引かれ、おれは即座に爪先を隙間にねじ込んだ。ひっ、と引きつった悲鳴。何度もドアを引っ張られる。
抵抗にまったく頓着せず、力任せにドアを開けた。白髪の頭を抱えて、這うように逃げるジェームズ。悠々と追いかけ、大股で部屋に踏み入る。
ジェームズは窓際で腰を抜かしていた。近寄ったおれの影が上体にさしかかり、かすれた悲鳴が聞こえてくる。追い詰められた男を見下ろして、おれは淡々と言った。
「ずいぶん探したよ。……こんなところにいたとはな」
郊外の、のどかな町だった。整備前の古い町並みがまだ残っている。その風景が売りらしい、観光地としての知名度はしかし、さほど高くはない。他に目立った特色もない。どちらかと言えば地味な区画だった。
土産物屋を一階に構えたホテルがちらほらと並ぶ通り。そのごくありふれたホテルの一室で、ジェームズ・ライトは青ざめておれを見上げていた。
あの冷え切った夜が明けて、おれはすぐに行動を開始した。それでも、ここまで来るのにかなりの苦労を必要とした。
夜の間中、考えていたことがある。ジェームズの家はすみずみまで掃除されていた。もし誰かに脅されて家を出たのなら、そんなことはしなかったはず。つまりジェームズは、自らの意志で失踪したと考えていい。
いっぽうで、彼はデバイスをわざと置いていっている。GPSを抜かれる可能性を考えていたのだ。
後ろ暗いことがある。それも軍や警察、あるいは──おれを付け回す連中が、出張ってくるようなこと。彼は追手を恐れ、家を捨て、デバイスを置いて、ひとり逃げた。
移動だけなら、デバイス経由で購入しておいた物理チケットが使えないこともない。今どきだれも使わない化石のような方法だが、合法なので乗車はできる。
公共交通機関が動き出す時間を待って、おれはジェームズ宅近辺の駅をいくつか回り、窓口で聞き込みをした。案の定、最近ひとりだけ物理チケットを使った客がいた。聞き出せたのはそれだけだが、乗車駅がわかれば十分だった。
ジェームズが乗車した駅は小規模だった。行き先の候補は、相当ざっくりとした範囲ではあるものの、絞りこめないこともない。ただ、デバイスを失ったおれに、現地に行って一箇所ずつ探すのはもはや不可能だった。
考えるしかなかった。公共交通機関で移動したあと、ジェームズはどうするか。
一晩ならともかく、ジェームズの失踪から一ヶ月だ。今は真冬、おれのように路上で過ごしたというのは考えづらい。どこか屋根と壁のある場所で過ごしているはず。
基本的に、宿泊には身元の確認が必要だ。デバイスを持たない人間は、本来ならどこにも泊まることはできない。しかし、なんとかする方法はゼロではなかった。
誰かの厚意で、〝友人〟として滞在させてもらう。それならば、個人宅だろうが宿泊施設だろうが滞在し放題だ。
自ら姿を消した以上、知り合いのもとへ身を寄せたとは考えがたい。彼が安全に身を隠すためには、新しい〝友人〟──要するに協力者を作る必要がある。
協力者を得るために必要なのは信用だ。そして現代において信用とは、福祉点数の高さと同義である。ただ彼はデバイスを捨て、身元を隠して行動している。点数を見せることはできない。だったら〝福祉点数の高そうな行い〟をして、信用を勝ち取るしかない。
ジェームズはもともと〝聖職者〟と呼ばれたほど外面のいい人物だった。追い詰められ、逃走した彼はきっと、いつもと同じ、安心の、慣れたやり方を選ぶはずだ。そう、たとえば──思春期の生徒が集まる学校の、医療技術提供のボランティアとか。
そこまでわかれば、あとは行き先候補にある学校に片っ端から探りを入れるだけだった。随分減ってしまったリアルマネーを突っ込んで、錆びついた公衆通信機であちこちに通話を飛ばす。
案の定、ある中学校でボランティアをしている素性不明の初老男性の情報が手に入った。地元民たちは彼を隠してやりたいようだったが、なんとか口車に乗せて聞き出すことができたのだ。
おれは髪型を変え、服を着崩し、できる範囲で若作りした。コントラバスケースを引いて、何台か車を捕まえた。ジャズ奏者の夢を追うヒッチハイカーとして長距離を乗り継ぎ、さびれた観光地にたどり着いた。
そうして〝事情があってデバイスを置いて身を隠した父を探す息子〟と偽り聞き込みを続け、今に至る。




