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【完結】さよなら火葬場  作者: Ru
── 第5章 ──

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31 夜を越えて

 引きずられるようにドアを抜け、冷え切った路上に出る。びゅう、と夕方の風が耳を裂いた。今夜は特に冷え込みそうだ。おれが無事に夜を迎えられれば、の話だが。


(くそ。傷つけたくない、なんて言ってる場合じゃないのか)


 できることなら、ヒューイは無傷で済ませたかった。だが、もはやそういうわけにもいくまい。店の中で取り押さえられなかったのは幸運だ。屋外なら、逃げ道はゼロじゃない。


(タイミングを見計らって……必要ならヒューイを人質に)


「まったく……ぶっそうな顔してやがる」


 歩きながら、すっ、とヒューイが身を寄せてきた。そして、おれの耳元に小さな声が届いた。


「通信は切ってある」

「え?」


 さっきの動作は、通信を入れたのではなく、切った? だが、この状況でなぜ。

 混乱が顔に出ていたのだろう。ヒューイは困ったような笑みを浮かべた。


「包囲網に気付かれた。これ以上続けると、興奮したおまえが他者をまきこんで自殺する可能性がある。そう知らせたんだ。〝雪とオレンジ〟だよ」

「さっきの──」


 あれは符牒だったのか。ヒューイは続ける。


「いったん俺がなだめて、人気のない場所まで誘導する。そこで説得、確保。そういう作戦に切り替えた」


 そんなことを話していいのか。疑問を口にする前に、ヒューイが真摯な目でおれを見つめた。


「シヅキ。今のうちに逃げろ」


 信じられない一言に、目を見開く。呆然とした声が漏れた。


「なぜ……」

「おまえが犯人じゃないとわかったからさ」

「どういうことだ」


 皮肉げな笑みを浮かべ、ヒューイはおれの隣をゆっくりと歩く。少しずつ、あたりから人気がなくなっていく。


「ジェームズを殺していないと言ったな。そのとおりさ」


 どこかの店の裏を通る。ヒューイは何気ないしぐさで、折りたたんである椅子を拝借した。そのまま歩き続ける。


「ジェームズ医師は死んでいない。大量の血痕は、はじめから、彼のものじゃなかったのさ」

「な……っ」

「それどころか。無傷で家を出る彼の目撃情報すら残ってる」


 ヒューイがコートを脱ぐ。さみい、と小さくつぶやくと、彼は畳んだ椅子にコートをかぶせた。


「おまえ、昨日のアリバイがどうこう言ってたな」

「あ──ああ」


 にやり、と口の端を持ち上げると、旧友は喉の奥で笑った。


「面白いことを教えてやる。判明こそ今朝のことだが──彼が失踪したのはな、ひと月も前のことなんだ」

「なんだと……?」

「そんなことも知らず、必死の間抜け面でおれはやってない、なんて。本当に無実の人間じゃなきゃ、口にできないぜ」


 おれの手首が解放された。ふっ、と声を上げ、ヒューイは椅子の脚を折り曲げる。警察用の筋骨格、アートテックとまではいかないが上等なその力で、きしみを上げながら椅子はネジ曲がっていく。

 長いコートをかぶせられたそのシルエットは──まるで人のような形をしていた。ヒューイが椅子の〝肩〟を抱く。


「早く行け。これ以上時間稼ぎはできない」

「だが、あんたは──」


 いくらおれの無実を信じたからといって、こんな真似をしてヒューイが無事で済むとは思えない。おれの表情を見て、言いたいことを全て察したらしい。ヒューイは笑った。


「もっと身勝手に、頼ってくれればよかったんだ」

「な……」

「あのとき、なんだってしてやるつもりだった。でもおまえは俺を頼らなかった」


 いつのことを言っているのかすぐわかった。もぐった布団の中で何度もついた通知アイコン。真っ赤に点滅したヒューイからの通話を、おれは一度も取らなかった。十年間。


「十年前の分だ。それ以上はしてやるつもりはないからな」

「だが、これはいくらなんでも」


 今おれが巻き込まれている事態は尋常じゃない。おれを逃がせば、ヒューイもなにか被害を被るかもしれない。それなのに。

 人の形を装った椅子を抱き、ヒューイが笑う。


「あとは──そう、パフェの分だ」


 なにせいちごが絶品だからな。最後にそうささやくと、ヒューイは裏路地のさびれたビル、そこの扉を開けた。背中を突き飛ばされ、コントラバスケースと転がるように中に倒れ込む。ドアが閉まる。


「この廊下をまっすぐ反対に抜ければ出られる。……下手を打つなよ、シヅキ」

「ヒューイ!」


 返答はもうなかった。友人の足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。おれはくちびるを噛み締めた。


 このドアを開けて彼を追ったところで、何にもならない。厚意を無駄にするだけだ。身を起こし、あたりを見回す。うらさびれた通路には誰もいない。急がなければ。


(すまない、ヒューイ)


 ケースを引いて走り出す。旧友の、ごめんなさいよりありがとうだろ、という声が聞こえた気がした。気のせいだ。


 歯を食いしばって廊下を走り、反対側の扉を開ける。人もまばらな街の向こうに、暮れかけた日がゆっくりと落ちていくところだった。




 冷え切った夜が来た。真冬の闇の中、おれはコントラバスケースとともに、真っ暗な路地裏に座り込んでいた。


 尻からじいん、とした冷えが伝わってくる。整地された地面は氷のように冷たい。コートの調温機能だけではとても凌ぎきれない。なにか敷くものがほしかった。


 ぶおお、と生ぬるい風が頬を撫でる。せめて暖を取ろうとエアコンの室外機の前に陣取って、だが焼け石に水というか、流氷に一滴のお湯というか。正直、ほとんど意味はなかった。身体は芯まで冷えている。


 どんなに寒くても、いや、寒いからこそ、眠気はやってくる。ぶる、と背を震わせ、二の腕を抱きしめて、押し寄せてくる弱気に耐えた。


 いま眠ったら、もう二度と目覚めることができないかもしれない。情けない恐怖を振り払い、自分を奮い立たせる。かたかたと震える指先で、手の甲を何度も叩いた。


(考えろ。考えるんだ)

 手がかりはもう、いくらも残っていない。ジェームズの情報を、なんとかたぐりよせるしかなかった。


 風呂場に多量の血の痕跡。ジェームズ本人のものではない。家の中に争った形跡はない。玄関にはきちんと鍵がかかっている。デバイスはテーブルに置かれたまま。新しい花壇の用意が途中だった。


 性嗜好は第二次性徴期の少女。制服にこだわりがある。児童買春に関わっている可能性。ハルカとは〝個人的な〟知り合いだった。


 震える手を開く。かさ、と一枚のメモが音を立てた。

 あの、突き飛ばされた一瞬。ヒューイはおれの手のひらに、このメモを握らせた。ジェームズの事件について、ヒューイが知る限りの全てが書いてあった。


 ジェームズの家に残されたものと消えたものを思い浮かべながら、おれはひたすら彼の心理を推察する。


 ジェームズはきちんと家を掃除し、鍵をかけた一方で、作りかけの花壇を放置し、買春の事実を隠すこともせず失踪した。彼になにがあった? その心境は? おれがジェームズ・ライトならどうする。


(いつもと同じだ。観察しろ、考えろ、そして演じろ)


 おれなら、おれが、ジェームズだったなら。この状況で家を出て、なにを思った。どう行動する。どこへ行く。考えるんだ。


 情報があまりにも少ない中、シミュレートと思考を延々と繰り返す。震える指で手の甲を叩きながら、ぶつぶつとつぶやきが漏れ続ける。


 美しく整備された理想都市に、星の光はほとんど届かなかった。白い息がまっすぐ夜へとのぼっていく。おれはコントラバスケースと、その中のハルカの死体と寄り添いながら、ジェームズの思考をずっとなぞっていた。




 

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