30-02 旧友との再会
「そういや、知ってるか。医者がひとり行方不明なんだが」
「……っ」
びく、と肩が動いた。ヒューイは何気ない様子でパフェを食べ続けている。完全に世間話の口調で彼は続けた。
「ジェームズ・ライトとか言ったな。心臓外科医だ」
「あ、ああ……」
「おかげで今朝から大騒ぎさ。捜査だの検問だの、重要参考人の手配だの」
参考人の手配。肩が跳ねそうになるのを耐える。ヒューイはスプーンを口から引き抜き、いちごをすくい上げた。ぶっきらぼうな声が言う。
「休暇が明けてもちっとも出勤してこないってんで、同僚が家に行ったらしい。そこで事件が発覚した」
「そう──なのか」
口の中が乾く。喉の奥で言葉が詰まる。おれの様子に気付いていてもおかしくないのに、ヒューイは変わらず淡々と続ける。
「自宅に大量の血の痕跡を残して消えた。血が流れたのは風呂場だ。ただ、あくまでも〝痕跡〟でな。血液はすべて洗い流されていた」
「……」
「家の中は荒れてなかった。ジェームズ・ライトのデバイスは、キッチンテーブルの上にきちんと置いてあった」
すらすらと言葉を重ねながらも、順調にパフェを減らしていくヒューイ。隠しようもなく頬がひきつる。おれは口を開きかけ、だが何を言うこともできず、そのままだった。
「ガーデニングが趣味なのかね。庭には改装したばかりの新しい花壇があった。花壇は土を返されて、今すぐにでも花を植えられる準備ができていた。だが、家から種や球根は見つかっていない。そうそう、家の鍵はかかっていた」
「ヒューイ」
「これだけ見りゃあ、『花の種を買いに出た先で事件に巻き込まれ、それ以来戻っていない』とも見えるが。だったら風呂場に残された大量の血痕は、どういうことなんだろうな」
あまりにもなめらかな言葉。不自然なほど大量に浴びせられる警察の情報。おれはひりつくほど乾いてしまったくちびるを軽くしめらせて、こくりと喉を鳴らす。
「なぜ──そんなことを教える」
ひたすらパフェに取り組んでいたヒューイが、スプーンを置く。うっすらと、旧友の目がおれを見上げた。
「なぜだと思う?」
「……っ」
がたっ、とおれの椅子が鳴る。その瞬間、店内の人間が一斉に動きを止めた。囲まれている。さあっと背筋が冷たくなった。
「おまえとは長い付き合いだ。……残念だよ」
「な、ちが、おれは──」
「ああ、下手な動きをするなよ。腕を吹っ飛ばされたくなかったらな」
「ヒューイ!」
正面に座る男は、古い友人ではなく、完全に刑事の目をしていた。あたりを見回し、おれは必死に言い募る。
「違う。違うんだ。おれじゃない。わかってくれ」
「おれじゃない、だと?」
「ジェームズを殺したのはおれじゃない。本当だ。昨日のアリバイだってある。そうだ、リディアに聞いてくれ」
「……」
リディアの名を出されて、ヒューイは呆れたように眉を寄せた。おれは首を振って、なあ、と呼びかけた。
「彼女はもうおれの身内じゃない! それどころか──」
「ずいぶんよく喋るじゃねえか」
おれの必死の懇願にも、ヒューイは眉を軽く持ち上げるだけだ。くそ、と腰を浮かせようとした瞬間──ぐっ、とものすごい力で手首を掴まれた。逃げられない。
「なあシヅキ。ちょいと世間話でもするかい」
「く……っ」
手首はがっちり固定されている。アートテックの筋骨格を使えば、力で振りほどけないことはない。しかし、それをすれば、ヒューイは無傷ではすまない。
彼はおれを害するつもりはない。信念のもと、己の仕事をしているだけだ。本当なら、あの路上でおれを組み伏せることだってできた。それをわざわざ連れてきて、おれと話をしようとした。そんな友人を傷付けることはできない。
ヒューイはぎりぎりとおれの手首を握ったまま、ぐいと顔を近付けてきた。急に数段トーンを落としたささやきが、静かに聞こえてくる。
「……ジェームズは由緒正しい家柄の、品行方正な初老の紳士だ。近隣の評判もよく、外科医としての腕もかなりのもだった。ボランティアとしてしょっちゅう金銭や技術を提供しててな、周囲の学校では定期的に無償で検診までしていたんだと。福祉点数はうなぎのぼり。周りからは冗談交じりに言われてた。〝聖職者〟ってな」
今日の天気でも話すような表情で、ヒューイは淡々と事件の仔細を語った。おれはただ彼の言葉を繰り返す。
「聖職者──高点数の、理想市民……」
「ああ。理想市民だ。みんなそう思ってた。……家に捜査官が入るまではな」
ひく、と眉が動いた。ヒューイはまだおれを取り押さえる気配がない。おそるおそる尋ねた。
「なにか、見つかったのか」
「〝とても個人的な〟情報が、ちらほらと」
暗にセクシャルなものを匂わされ、おれは顔をしかめる。
「めずらしい性癖が?」
「いちおう、性嗜好は異性なんだが……制服の年頃の少女が、たいへんお好きだそうで」
「……趣味嗜好は自由だからな」
苦い気持ちでそう言うと、ヒューイが鼻を鳴らした。
「趣味嗜好ね。そこで終わっていれば良かったんだがな」
「まさか──」
児童買春。不快極まりない単語が思い浮かんだ。ヒューイはおれの手首を拘束したまま、しかしそれ以上のこともせず、淡々と言葉を続けている。
「〝コレクション〟を見る限り。とりわけ中学生がお好みだったようだぜ」
「っ──」
中学生の少女。児童買春。ハルカ・シノサキとジェームズは──個人的な知り合いだったという。嫌悪感──いや、むしろ憎悪にすら近い、すさまじく嫌な予感が押し寄せる。
くちびるを噛みしめるおれに、ヒューイは薄く目を細めた。
そして、
「ちっ、雪になりそうだ。こりゃ良くない。いちごより、オレンジの方がマシだったかもしれねえな」
「は──?」
まったく唐突に、そんなことを言った。声のトーンが戻っていた。おれを捕まえているのと反対の手が動いて、ヒューイは首のあたりをとん、と叩く。その場所には覚えがあった。役作りのため警察に入り込んだときに知った場所。
(警察用の、通信回路──)
仲間に通信を入れた? 今さら? ずっと繋いでいなかったのか? どういうことだ。
混乱するおれの手首が引っ張られる。ヒューイがゆっくりと立ち上がった。静かな笑みがおれを見る。
「さあ、行こうか。なに、悪いところじゃねえ」
ちょっとメシはまずいかもしれねえがな、というつぶやき。これまでか。
せめてハルカも共に、とコントラバスケースを掴む。ヒューイはちらとケースを見たが、咎めることはしなかった。




