29-02 ふたつの敵
『はい、レーマー大学附属病院心臓外科です』
「どうも。カルネアデス製薬のトビー・ブラウンです。お忙しいところすみませんが、過去の手術事例についてお聞きしてもよろしいですか」
日付と執刀医を告げる。少々お待ち下さい、と返答。しばらくののち、息を呑む音が聞こえてくる。通話相手の声が固くなった。閲覧権限の関係で詳しいことは教えられない、との返答。予想通りだった。
「やはりですか。うちも一枚噛んでるんですが、ちょっと込み入った事例でして」
すらすらと言い放つ。通話相手の、いぶかしむような沈黙。おれは慎重に言葉を選んでいる、という風を装った。
「その──かなり厳重な制限でしょう。デリケートな案件なんです。とても」
『……そうなんでしょうね。僕も勤めて長いですが、こんなロックは初めて見ました』
「ですから、余計なことは話せなくて」
あなたのためにも、と続ける。おれの言葉を受け、彼はふうと息をついた。そういうことだったんですね、という小さな声。
「もしかして──なにか噂になっていますか。まずいな」
『ええ、まあ……』
「どんな噂です」
『噂というか。不自然極まりない手術だった、と』
やはりか。おれは耳を澄ませて彼の言葉を待った。
『そもそも、心臓なのに覚醒下での手術だったのがおかしかったんです』
(覚醒下……意識があるまま、心臓を開いたのか?)
『それにやけに助手の人数が少なかった。しかも途中で、ジェームズ先生以外はすべて外してくれ、なんて。わざわざ保った清潔を解いてまで、全員外に出されたとか』
「……そんなところまで漏れてますか。他には?」
『手術を受けたのは女の子なんですけど。ジェームズ先生と、個人的な知り合いだったと聞いています』
「ふむ。そっちは──知られても大丈夫なやつかな」
適当きわまりない相槌をうつ。さらに突っ込んでみたものの、彼の知っていることはそれくらいだった。
(もっと詳しく知っている人間がいればよかったが……)
ジェームズ以外の全員が外に出された、ということは、〝肝心のところ〟を知っているのはジェームズひとり、と思って間違いないだろう。そのジェームズは消えた。おそらくは殺された。
きな臭い気配に顔をしかめる。通話の向こうで、あのう、と怯えた声がした。
『この噂、鎮めた方がいいんですよね……』
「もちろん。妙なことを吹聴すればあなたの首が飛ぶ、とまではいかないでしょうが、それに近いこ」
「──すみませんが」
すぐ後ろから、低い声。はっ、とした。
弾かれるように振り返る。知らない男たちだ。濃色のスーツを身にまとい、囲むように陣取って、おれをじっと見据えている。ひどく怜悧な眼差し。
(──やばい)
身体がすくんだ。とっさにコントラバスケースの把手を握りしめる。男の一人が口を開く。
「シヅキ・J・ロウですね?」
「っ……!」
恐れが確信になった。すうっ、と血の気が引いた。
あたりを見回す。窓口の向こうで、職員がいぶかしむ目でおれたちを見ている。その瞳がみるみる不審者を見るものに変わっていくのを感じて、彼女の指先がなにかのボタンに触れて──おれは反射的に飛び出した。
正面のスーツに肩からぶつかる。ぐッ、と声を上げてバランスを崩す男。囲いが崩れた、その隙間を突破する。
「待て──」
誰が待つか。コントラバスケースを振り回し何人かをなぎ倒す。おれは全力で駆け出した。
足音がばたばたと入り交じる。はっ、はっ、と息が上がる。キャスターのタイヤが激しくきしむ音。コントラバスケースは重い。だが手放すわけにはいかない。
何度も角を曲がり、人の合間をすり抜け、おれは逃げた。男たちはさほど足は早くなかった。距離を離すだけなら、ケースを引いたおれでも容易だ。
しかし、彼らは本当にしつこくおれを追い回してきた。身を隠しても人混みに紛れても、いつまでも執拗にこちらを付け狙う。おれがへたばるのを待つつもりか。
ここは多少無理をしてでも撒かないと、体力がもたない。そう判断したおれは、ビルの隙間から飛び出した。男たちが追ってくる、反対へと走る。そのとき。
「あ──ッ」
「貴様……!」
見覚えのある、鋭い眼光。正面の角から飛び出してきた大柄の男──ミック・リーだ。まずい。
はっと振り返る。背後からはスーツの男たちが迫ってくる。正面にはミックと、もうひとり部下の男。脚を潰された男は脱落したらしい、だが二人でも十分厄介だ。
どちらを、と迷った時間は短かった。ミックとスーツの男たちなら、スーツのほうがまだ突破の目はある。おれは身を翻した。待て、とミックの声が飛ぶ。
視界の隅でミックが銃を抜いた。走る。スーツの男たちが迫ってくる。数人まとめて殴り飛ばそうとケースをふりかざしたとき、バシュッ、と発砲音がした。
「ッ……!?」
「ぐっ」
撃たれたのはおれではなかった。おれに襲いかからんとしていたスーツのひとり、その肩が真っ赤に染まっている。
(どういう──ことだ)
だが、悠長にいぶかしんでいる暇はない。おれは宙に浮いたままのケースを勢いよく振り回す。くずおれた男の頭上をケースが通り過ぎ、他の男を殴り飛ばした。走る。
背後で怒鳴り声。人がもみあう気配、激しい争いの音。角を曲がるときに見えたのは、スーツの男たちとミックがつかみあっているところだった。
(あのスーツ、〝迎え〟か……!)
火葬依頼人がよこした人間だろう。ということは、彼らはミックという強奪者とは敵に当たる。争うのも当然だ。
迎えの連中は体格こそ良くないが、頭数が多い。一方のミックたちは鍛え抜かれているが、二人しかいない。ちらりと見えた感じでは、ミックの方があきらかに劣勢だった。
だが最後まで見届ける義理などない。おれは曲がった先の道をまっすぐに駆け抜けた。
心臓がばくん、ばくん、と激しく脈動を鳴らし、顎が持ち上がる、息が上がる。がらがらとやかましい音を立てるコントラバスケースを、引きずりながら逃げ惑った。
せめて息を整えようと、建物の隙間に身を隠す。肩を上下させ、こくりと唾を飲み込んで、はたと気付いた。
(待て──〝迎え〟が来た、だと?)
依頼人との通話を思い出す。彼はたしかに迎えをよこすと言った。だが、おれの居場所や合流場所について、奴はなにも言わなかった。それは、つまり。
(GPSが抜かれている……)
反射的に手首を見下ろす。背のあたりが冷たくなった。ばたばたと、足音が近付いてくる気配。その音は迷うことなく、まっすぐにおれの方を目指してくる。
「くそっ」
ちらと顔を出す。覗き見た追跡者の格好はスーツだった。どうやらミックたちはやられてしまったらしい。おれは激しく舌打ちすると、デバイスをむしり取った。路上に放置し、音がしないようケースを持ち上げると走り出す。
そのまましばらく走った。今度は──誰も追ってこなかった。やはり探知されていたのはおれのデバイスか。
ちくしょう、と悪態が漏れる。トビー青年のデバイスを置いてきてしまったことが悔やまれた。今更、取りには戻れない。これで、公共交通機関は完全に使えなくなった。
(依頼人、強奪者──奴らは何者だ?)
GPSを抜いたのがどちらの勢力かはわからない。両方かもしれない。なんにせよ、彼らが強大な力を持っていることは、もはや疑いようもなかった。
足早に路地を抜け、大通りに出る。人混みにまぎれる。おれはどくどくと鳴る心臓とは裏腹に冷たくなった手を、きつく握りしめた。
これから、どうする。デバイスを失い、GPSすら抜き取れるような連中を相手に、ハルカを連れて、どこまで行ける。そのハルカは、おれの忌むべきガラサだというのに。どうしてこんなことになった。おれは一体、どうすれば。
ぐるぐると回り続ける思考。そのせいで、少し先に立っている人影、その正体に気付くのに遅れた。はっとする。
「──よお、シヅキ。元気そうじゃねえか」
ひらり、と大きな手がひるがえる。掠れた声、がっちりした体躯、斜に構えた立ち姿。十年前より色あせた髪。
「……ヒューイ」
「ここで会ったが百年目だ。約束を──果たしてもらおうか」
そう言って、かつての旧友は皮肉げな笑みを浮かべた。




