28-03 マヒナとハルカ
「ハルカ、たまに短い相槌をぽつぽつ返すだけで、黙って私の話を聞いてるんです。私の、普通の家族の話を」
「……」
「一通り、私の話を聞いて。ハルカはすごく静かな声で、こう言いました」
『わたしを支援してるのって、誰なんだろうね。いつまで、こんな暮らしが続くのかな。
……ごめん。マヒナに聞いたって、わかるわけないのに』
「──支援者が誰かすら、わからない?」
うなずきが返ってくる。きな臭い気配。自然、眉根が寄っていた。マヒナが淡々と、ハルカはこうも言いました、と続ける。
『わたし、すごい人になりたい。
こんな世界は間違ってる。そこらじゅうをうろついてる馬鹿みたいな大人たち、みんなぶん殴ってやりたい』
「そんな言葉、誰かに聞かれたら福祉点数に響くよって言ったら、ハルカは──笑った」
『福祉点数なんて馬鹿な大人が作った妄想だよ。
ねえ、愛は本当じゃなきゃいけないの。本当の、心からの、尊くて美しいものじゃなきゃ駄目なの。きっとみんな、それを持ってるのに、気付いてないだけなの。絶対にそう。
でないとわたし、わたしは──』
「それからハルカは黙ってしまって──通話を切りました」
マヒナがつぶやく。しばらく連絡がないけど、元気かな、とささやき声。友人を案じる無垢な声、そしてハルカの境遇に、おれの胸は痛んだ。
他者の支援によって暮らしていたハルカ。支援者が誰なのか、それがいつまで続くのか、ハルカ自身はなにも知らなかった。
ハルカは子供だ。準成年ですらない。ひとりの力で生きることなど許されず、金銭を得る手段はない。それなのに、誰からかも知らされず、いつ途切れるかもわからない、細い糸にすがって生きざるを得なかった。それはきっと──さぞ不安だったろう。
なにを言うこともできないおれに、マヒナはさみしげに笑って、ベンチにコーヒーを置く。そしてわざとらしく明るい声を出した。
「そうだ。この瞳ですけど」
「ああ──きれいな目だね」
暗い話題をそらされて、おれはあえてそれに乗る。マヒナは目元を指差すと、ゆっくりとまばたきした。
「ハルカの目、すごくきれいなんです。金色と青色の、透き通ったグラデーション」
「動画を見たよ。きれいだった」
「ええ。私はそれに見とれてばかりだった。そしたら、ハルカは誕生日に、この瞳をプレゼントしてくれたんです」
だから目を褒められるのは好き、と彼女は言う。心底、嬉しそうな声だった。溢れそうな敬慕がそこにはあった。
(……マヒナ)
ちら、と彼女から視線を逸らす。ベンチに立て掛けたコントラバスケースの存在が、おれに重たくのしかかる。
無垢な心で友を慕う少女。その、大切な親友のなきがらは、今ここにある。彼女はなにも知らない。
マヒナには伝えるべきだと思っていた。だが、ハルカがただの、守られるべき子供ではなかったとしたら。かつてのガラサだったとしたら。余計なことを教えることはできない。知ってしまえば、マヒナも危ない。
おれは黙るしかなかった。罪悪感が静かに胸を刺した。
「ハルカが言ってました。外見とは武装であり、意思表明なんだよ、って」
「じゃあ、彼女はパーツ交換をよく行っていた?」
内心を押し殺し質問を続けるおれに、くすりと笑って首を振るマヒナ。彼女は遺伝子に愛されていましたから、と言う。
「瞳以外はしていなかったと思います──あ、でも」
「でも、なんだい」
「二ヶ月くらい前かな。心臓の手術をしたって聞きました。わざわざレーマーの付属病院まで行ったって。驚いて、スポーツでもはじめたのって聞いたけど、違うよって笑って。病気でもないみたいだし……あれ、なんだったんだろう」
(不自然な心臓手術──それもレーマー大学病院で? なにかの手がかりか?)
心の中に情報を刻み込む。すみません、話がそれましたね、とマヒナは笑った。
「とはいっても、これ以上あまり話せることはないんですけど」
「そうか──ああ、彼女、SNSとかは?」
「前はやってましたけど」
「前? 今はもう」
「私の知る限りでは、してないですよ」
ほら、と彼女がデバイスを見せてくる。SNSの画面だった。名前はただのアンダーバー。青を基調とした背景、同色のシンプルなアイコン。おれはさっと視線を走らせ、アカウントのIDを記憶した。
「もう、ただの跡地です」
「そうみたいだね」
一年半前に投稿がすべて削除された、という記録のみ。書き込みはひとつもなく、残っているのは自己紹介の短い文言だけだ。だが。
『わたしは愛を信じたい
あなたの底に眠る、美しいものを信じたい
心からの、本当のことを話したい
それ以外、いまは何もいらない』
炎のように真摯な言葉。与えられた情報と、彼女の過去。その全てが胸の中で形を成して──おれの底で、静かな確信がささやいた。
今のガラサから失われたものを、この子は持っている。きっと、ハルカこそがガラサだったのだ。
(そうか……きみが)
「コートニーさん? どうしましたか」
「ああ……いや、なんでもない。そうだ、きみのアドレスを聞いてもいいかい。取材の連絡用にね」
マヒナと連絡先を交換する。おれが提示したアドレスはさっき図書館で作ったばかりの、どこからでも確認できるフリーアドレスだった。
万一デバイスが使えなくなったときのため、マヒナを示す文字列を記憶に刻む。顔を上げ、そうだ、と彼女に呼びかけた。
「最後にひとつ聞いていいかい」
「なんですか?」
「ハルカ・シノサキの──誕生日は」
「え? ああ、それならつい先日ですよ。たしか──」
「……そうかい」
告げられた日付に、おれは目を伏せる。
それはたしかに、彼女の逝去日の翌日だった。
彼女はやはり、あと一日で十六歳──準成年になれたのに、自らそれを手放したのだ。命を絶つことによって。
(ハルカ。きみは一体、なにを思っていた? どうして死んだ。大人になる前に)
別れたマヒナの後ろ姿が、ゆっくりと遠ざかっていく。三つ編みの後ろ姿を見つめ、コントラバスケースにそっと手を乗せた。ベンチに置かれたマヒナのコーヒーはまだ、少しだけ残っている。おれは静かに目を伏せて、若き革命家であったハルカを想った。




