21-01 検問ふたたび
車を走らせていると、遠い路上に見覚えのある投影が見えた。検問だ。行方不明の心臓外科医の件だろう。わかっていても検問は検問だ、心臓がかすかにぎくりとしてしまった。
おれはさりげなくハンドルを回して、検問への道をそれる。困ったことになった。死亡手続きの済んでいないハルカを抱えて、どこまで行けるか。
今度は、おれが死体を隠す側に回ったわけだ。隣を見やって、小さくつぶやく。
「本当に、手のかかる子供だな……」
口調こそ愚痴めいていたが、口元がやわらぐのは避けられなかった。やっと戻ってきた十五の子供に、安堵じみた、あたたかいなにかで胸が満ちる。目を細め、眠ったように死んでいるハルカをそっと見つめた。
ハルカはシートにくたりとしなだれかかり、目を閉じている。伏せられた長いまつげ、その下には美しい青と金の瞳があったのだろう。動画データを思い出す。目元のはっきりした、意志の強そうな少女だった。
この子はどんな子だったのだろう。はっとするほど美しい少女。独特の、目が吸い寄せられるような存在感。頭の回転が早く、聡明だったという。ただの大人には手に負えないと言われるほど苛烈な性格。思春期らしい自意識をこじらせて、革命に心を捧げていた青い若さ。激しい人という言葉。
もしこの子が、大きくなったリツキと知り合っていたら、どんな友人になっただろうか。想像もつかない。仮に家に連れてきたとして、おれなんて、口うるさい大人のひとりとしてやり込められてしまったかもしれない。益体もない思考は、おれをかすかに現実から逃避させた。
自動運転に切り替えようかと思って、ためらう。セッティングの癖もわからない他人の車だ。それに、どうせすぐに手動運転が必要な事態が来るだろう。
ナビを見る。そこらじゅうに検問の赤い印が点滅していた。ため息。包囲網と呼ぶにふさわしい点の量だ。どうしたものか。
ハルカの方に視線を滑らせる。安らかに整えられた、美しい死に顔。雑ではあるもののエンバーミングもされている。こうして隣に座らせていても、死んでいるとは思えないほどだ。
(……ふむ)
おれは顎に手を当て、かすかに考え込む。そして、一瞬だけ自動運転に切り替えると、着ていたコートを脱ぎ、華奢な身体にそっと着せかけた。
自動的に、運転席の窓が開く。覗き込んだ警官が、おれを見て会釈した。身分証とともに挨拶を述べようとする彼をさえぎり、くちびるに指を押し当てる。しー、と吐息を漏らし、ちらと助手席を指さした。
「すみません。娘がすごく疲れているみたいなので……寝かせてやっててもいいですか」
苦笑まじりに言えば、警官がちらと助手席を覗き込む。男物のコートを、毛布のようにかけた少女を見て、彼は微笑ましそうに頷いた。制帽に手を当て、じゃあ静かにしますね、と声のトーンを落とす。警察にしては珍しく愛想のいい男だ。ひそひそ声が、おれにそっと問いかけてきた。
「娘さん、おいくつですか」
「十五です」
「じゃあ娘さんの認証は結構です。お父さんだけ、ご提示お願いします」
おれは迷うことなくトビー青年のIDを提示した。IDには年齢も性別も顔写真もない。なんでも大昔、〝差別を避けるため〟廃止されたらしい。よくわからない話だが、こういう時には役に立つ。
後部座席を調べている警官を、ミラー越しに眺める。何気ない風を装って話しかけた。
「取引先に書類を届ける途中なんです」
「ああ、製薬会社の……ってことは、病院ですか」
「ええ。大事なデータで、有線で渡さないと駄目なんです。おかげで休日出勤ですよ。で、これだけ届けたら直帰できるので、途中で娘を拾ったんです。くたくたでもう帰れない、なんて言うもんですから。困ったものですよね」
かわいい娘に頼られて、まんざらでもない父親。そんな顔で笑って見せる。警官がくすりと微笑んだ。
「うちにも同じくらいの子供がいます。でも、息子なものですから。可愛げがなくて大変です」
口調とは裏腹に、その目はやわらかく細められ、声音はどこか嬉しそうでさえあった。羨望に、かすかに胸が痛んだ。話題を逸らす。
「そういえば、なんの検問ですか」
「ああ、ニュースにはまだなっていないんですけど。医師失踪事件はご存じですか? その参考人を探しているんですよ」
どうやら、事件が進展したらしい。へえ、と声をあげ、しかしおれは、続く言葉に耳を疑った。
「知ってますか、シヅキ・J・ロウ」
ぎくん、と心臓が固まる。なぜそこでおれの名が出る。引きつった笑みでなんとか答える。
「え、ええ──とてもよく」
「でしょうね。十年も前とはいえ、ものすごい大炎上でしたし」
さらりと言う警官は、トビー青年の鞄をチェックし終わると、さて、と腰を伸ばした。
「その彼がどうも、この事件に関わっているらしいんです」
そんな馬鹿な。言い出しそうになるのをぐっと堪えた。硬直しかかった頬を動かし、そんなこと喋っていいんですか、と問いかける。
「機密ではないので。もう正式に手配が出てて、じき報道にも載ると思いますよ」
「そう──なんですか」
「ええ。あ、もう行っていいですよ。娘さんとどうぞ、良い一日を」
ひらりと手を振られ、おれは簡単に挨拶を述べる。警官はにこにこ笑って、おれとハルカに会釈した。そのまま、ゆっくりと車を発進させる。検問の赤い投影が、じわじわと遠くなっていった。
車の動作が安定したのを見届けて、自動運転に切り替える。他人の車がどうだのと言っている余裕は、すっかりなくなっていた。どさりとシートにもたれこむ。眼鏡を持ち上げ、目元を揉んだ。深い、深いため息。
(とんでもないことになった……)
この言葉を使うのは何度目だろうか。まったくろくでもない事態だった。
しかし、おれを手配したのはどちらの勢力なのだろう。なにか巨大な存在である〝依頼人〟たちか? しかし彼らはまだ、おれの失態を知らないと思われる。だったら強奪者たちか? あの謎の霧を吐き出す箱、あんなものを用意できる彼らもまた、大きな存在だということか。
どちらにせよ、警察がおれの味方にならないことは確定してしまった。本当に、ひどい状況だ。
(おれの〝敵〟は、何者なのだろう)
ハルカの痕跡を、全て残さず焼き消したい依頼人。
彼女を奪い去り、〝役目を終えたら潰す〟と語った強奪者。
ハルカ・シノサキは彼らにとって、非常に大きな存在であるようだ。




