18-03 失意と奮起
「──あの子の」
ぽつっ、と声が落ちる。首筋を叩く冷たさがぴたりと止んだ。
「ハルカ・シノサキの身体を、どうするんだ」
「それが本名だと知っているんだな」
「そうだ」
「なぜ知った?」
「人に聞いた。同級生だ」
「誰に」
「名前は知らない。髪がピンクとグレーの、少女ふたり」
「いつ知った」
「なあ、あの子の身体は」
「いつだ」
「ハルカは──どこへ」
「死体が持ち込まれる前か。後か」
「まだ十五歳なんだ」
「質問に答えろ」
十五歳。リツキが逝ってしまったのは五歳だった。生きていれば、ハルカと同い年になるはずだった。もしかしたら、どこかでリツキとすれ違うかもしれない子だった。
「ハルカはどこだ」
「言わせる気か。音声ログをどこへ送る」
「そんなもの取っていない」
「どこまで知っている」
「ハルカ──あと一日生きれば、十六歳に──」
白いもやが目の前を覆いかくす。息を吸っても吸っても苦しいような、酸素が入ってこないような、おかしな感覚。
急速に薄れかける意識の中、ちっ、と舌打ちの音がして、
「くそ、限界か。撤退準備。早くだ」
(ああ──まぶしい)
真っ白い視界の端が、ちかちか光っている。青と金の光がしきりにまたたいて、長い髪がなびいている、あらわになった白い額、意志の強い瞳がおれを見つめている、そんな幻視をおれは見る。とても遠くに冷えた声。
「処理はどうだ──ああ、ああわかった。面倒だが死体は捨てるな。まだ使える」
(……使える?)
「どうせあっちも持て余してる。高級商品の外箱と一緒だ。目立つし嵩張るし捨てづらいが、なにかに使えないこともない」
くら、と足元がとうとう、もつれた。よろめきながら振り返る。
真っ白い冷えたもやに包まれて、男は耳に手を当てていた。通話相手に言い放つ口元が、かすかに笑っている。
「わかってる。爆弾と一緒だ。脅しには使えるが、起爆させてはならない。近代兵器としてはご優秀だよ」
(なにを──言って)
言ってるんだ、と問いかけようとして、舌がからまる。がくん、と膝をついた。床のあたりに白いものがわだかまっている。それはますます濃くなって、部屋の四隅でとぐろを巻いていた。
うずまく白濁の向こう、棚の陰に隠れるように置かれた、霧の吹き出す黒い箱──
(──冷気じゃない)
すうっ、と頭の奥が冷えた。さっきまでの寒さとは違う、身が引き締まるような冷たさだった。
反射的に口元を覆って、そろりと男を見上げる。彼はおれに気付かぬまま、吐き捨てるように言った。
「いいか。すべて終わったら潰せ。役目を終えた道具は残すな」
なんのことを言っているのか、さすがにおれでもわかった。
わかって、愕然とした。
外箱。爆弾。近代兵器。道具。潰す。
(それが──誕生日の前日に死んだ、十五歳の子供を指す言葉か)
信じられなかった。
なにも思わないのか。だってまだ子供だ。ハルカ・シノサキは、未来だって希望だっていくらでも持っていてしかるべき、不自由なく愛されて健やかにあるべき女の子だ。それを。
(なにも、感じないのか……?)
終わったら潰す、ってなんだ。彼女をモノと勘違いしてないか。死体だけ消せば、それでなにかの片が付くとでも言うのか。うまく使えばなにかの役に立って、便利だとでも言うつもりか。
ハルカの死体は火葬場送りにされた。生前同意があったかすらわからない。リボンの左右は乱れており、襟のボタンさえ外れていた。彼女を偲ぶための『魂』すら放置されたまま、痩せた子供の身体はひそかに焼き捨てられようとしていた。
子供たちは誰もハルカの死を知らない。誰か醜い大人によって、ハルカの死は〝なかったこと〟にされようとしている。それどころか、そのなきがらを利用しようとまで──
「……どいつもこいつも、異常だ……」
かすれきった声がこぼれ落ちた。こんなことがあっていいなんて、どうしても信じられなかった。
(こいつらも、依頼人どもも……)
──どうして誰も、彼女を悼まないんだ。
勝手に漏れたつぶやきに、男がちらとおれを見下ろす。だが、おれがぴくりともしないからか、すぐまたどこかに指示を飛ばしはじめた。
くそ、くそ、くそっ、と腹の底で何度も繰り返す。握りしめた手が震えた。食いしばった奥歯が音を立てる。
わだかまる白いもや──おそらくは自白剤のたぐい──を吸わぬよう、おれは必死に呼吸を落とそうとした。だが、憤りのせいでうまくいかない。見上げた男の姿が、ひどい怒りでぼやけていた。
今、おれの目の前でまた、子供の死体が利用されようとしている。
ハルカ・シノサキ。十五歳。リツキと同じ年に生まれた子供。
もう大人の都合で、子供の死体を好きにされるのは嫌だった。おれは息子を二度失った。命と、そして身体を守ってやれなかった。
あの悔恨を、二度と繰り返したくはない。繰り返してはならない。
勝手に荒くなる呼吸、早くなる心音。おれは手の甲を指先で叩こうとして、しかし、やめた。激情を、落ち着ける必要など感じなかった。
いったん呼吸を止め、気付けがわりに口の内側を噛む。じわりとにじむ血の味。食いしばった歯の間から、ぎりぎり少量の息を吸う。
そして、鷹の目を睨んだまま、おれはゆっくりと立ち上がった。




