15-02 回り道
「──すみませんが」
声掛けに、看護師たちがぎょっとした目を向けた。本当に気付いていなかったらしい。すみません、すぐ、とストレッチャーを端に避けようとする。
その動作を遮って、おれはいえ、と声を上げた。
「摘出が間に合わないのですか」
戸惑いがちな視線がいくつも揃って、無言のままこちらを見る。おれはためらい、迷って、しかし言ってしまった。
「よろしければ、プレエンバーミングの紹介をいたしましょうか」
「エンバーミング? でも……」
「いえ、プレエンバーミングは、再利用に影響の出ない範囲で防腐処理を施す行為です。最低限の処置なので、長期の保存は難しいですが、摘出医が見つかるまでの短期間なら、なんとかなるのではないかと」
流れるように言葉が出てくる。彼らは顔を見合わせ、困ったように視線をさまよわせた。おれのことを信用していいか決めあぐねているらしい。
だが、他にどうすることもできないのだろう。一人が思い切ったように顔を上げた。
「本当に……間に合うんですか」
「ええ。差し支えなければ、端末をお貸しいただけますか」
自分が愚かなことをしているとわかっていた。なんとなく祖父に似ている。ただそれだけの老人を、どうして放っておくことができないのか。
おれはストレッチャーからボード式の端末を借りると、取引先のエンバーマーにメッセージを書いた。自分のデバイスがないので手書きのサインを加え、シヅキ・J・ロウの名で手配をする。
「一時間以内に来るそうです。湯灌室で待機をお願いします。それから、知り合いの心臓外科医にもあたってくれると」
「あ……ありがとうございます!」
いちおうログは消去したが、完全な削除などプロでも難しい。これでこの病院に、おれの痕跡が残ったことになる。
一分一秒を争うというのに、手書きで書類を用意して、手配して。本当に、馬鹿げたことをしてしまった。つまらない感傷のせいだ。
看護師たちがしきりに礼を述べる。彼らのためにしたことでもないのに、なんだか変な感じがした。
「本当にありがとうございます。あとで福祉課に連絡を」
点数を付与するつもりらしい。おれは慌てて辞退した。押し問答になりかけるも、時間があるのでと会話を打ち切る。
追いすがる彼らから、逃げるように歩き去った。ちらと見たデバイスの時計は、それなりの時間経過を示していた。
やっと辿り着いた霊安室、そのドアを引き開ける。低温を保つためだろう。窓はやや小さく、部屋が薄暗い。
おれは左右を確認し、ゆっくりと霊安室に入った。自動的にライトがつき、背後で静かにドアが閉まる。
なんとなく様子がおかしい。妙に部屋が散らかっていた。器具置きがずれていたり、細々したものが床に散らばっていたり、全体的に慌ただしい感じだ。
嫌な予感が胸をよぎる。左の壁に、冷蔵室の扉が見えた。おれは足音を殺して歩み寄る。そろりと扉を引き開けた。ばくん、と小さな音と共に、どっと冷気が足元になだれこむ。
冷蔵室の中は──空っぽだった。
いくつか遺体台があるものの、使われているものは一つもない。規則的に並んだ台座のうち、ひとつ不自然な空白があった。どうやらストレッチャーごと運び出したらしい。
(……間に合わなかったか)
雑然とした部屋の様子からして、なんらかの事情で慌てて運び出した、というところか。
ため息を押し殺す。そっと冷蔵室のドアを閉めた。冷たさが、まだ足元にわだかまっている。ぶる、と背が震えた。
(これから、どうする)
せめて少しでも手がかりを探さなければ。部屋に視線を走らせた。
ふと、一枚の紙が目に留まる。見覚えのあるテンプレート。
火葬許可証だった。故人の名前はハルカ・シノサキとある。おれは困惑し、思わず紙を手にとった。
生年月日も、逝去日もさっき見た数字のままだ。裏返すと写真が一枚留めてある。モノクロだが間違いない。サトウ・タナカと呼ばれていた少女だった。
(どういうことだ──?)
わざわざ火葬直前に盗み出した遺体を、また焼く意味とはいったい──
そのとき。
「遅かったな」
おれの背に、ごり、と硬いものが突きつけられた。




