13 愚鈍な青年
最短距離でレーマー大学病院に入る。別棟にある駐車場の二階に車を駐めた。
今は診療時間中だ。患者として正面切って入ればいい。そう思って入口を目指したのだが、ふとあるものが目に留まった。正確にはもの、というより人だ。
病棟の脇、植え込みのふちに座り込んで、ひとりの青年がうなだれている。身内に不幸でもあったのかと思ったが、青年の前には駐めっぱなしの車があった。
ボディに書かれた社名は製薬会社のものだ。どうやら彼は社員らしい。
頭を垂れた青年のとなりに、ぽつんと外したデバイスが置かれている。画面は起動しっぱなしのようだ。これは──使えるかもしれない。
おれはさりげなく近付いて、どうかされましたか、と声をかけた。可能な限りやさしい声を作ったせいだろう、青年はそろりと顔を上げる。落ち込みきった表情だった。
憔悴の眼差しが、そっとおれを見上げてくる。やわらかく眉を下げ、笑いかけた。
「とても困っておられるようでしたので」
静かに語りかける。青年は口を開きかけ、だがためらったように閉じた。力ない視線があたりをさまよう。おれはてのひらで彼の隣を示した。
「座っても?」
警戒する余裕もないらしい。青年はゆっくりと視線を落とす。そしてのろのろとうなずいた。
同じように植え込みに腰を下ろす。デバイスのある方に座ったのはわざとだ。青年はなにも気付かず、黙ってうなだれていた。
ざわざわと、冬の風が木々を揺らす。冷え切った空気が耳のあたりを通り抜ける。こういうとき、無理に語りかけても効果はない。おれはしばらく黙っていた。たっぷり二分ほど待って、口を開く。
「……冷えますね」
青年の方を見ないまま、それだけささやいた。返事はない。だが、視界の隅で彼が背中を丸めるのがわかった。押し殺したようなため息。
「あの……聞いて、もらえますか」
「ええ」
そして彼は、ぽつりぽつりと話をはじめた。
青年の失意の内容はこうだった。
彼はやはり製薬会社の社員だった。それも入社して一年も経たない新入社員だ。だがとんでもない失態を犯してしまったのだという。
なんでも、誰にも見せてはならない、存在すら一部の人しか知らないという社外秘の新薬サンプルを、うっかり病院の担当者に見せて、しかも渡してしまったのだという。
担当者が他の人に見せたり、薬のことを口外する前に、サンプルを探して回収しなければならない。それも、渡してしまった事実を誰にも知られないうちに。
「な……なんとかしなくちゃ。でないと、僕は終わりです」
震える声でつぶやく青年に、おれは内心でため息をついた。
なんとかもなにも、急にもらったはずのサンプルがなくなったら、担当者だって不審がるだろう。
仮に事情を話して口止めするにしたって、相手が大人しく黙っているかはわからない。そもそもそんな行きあたりばったりの対処、いずれどこかでバレるだろう。
つっこみどころは非常に多かった。だが、よくよく考えるとおれの状況も似たりよったりだ。致命的な失態をごまかすため、場当たり的行動を続けている。
おれはなにも言わず微笑んでおいた。身体の陰で、自分のデバイスをするりと外す。青年は膝先を見下ろしたまま、かすれた声を絞り出した。
「……バレたらクビです。あんな、ふざけた瓶ひとつで。極秘って書いてあるんですよ。ピンクのマジックで。ばかみたいですよね」
それだけ目立つ字で〝極秘〟と書かれていながら、なぜ渡してしまったのか。そちらの方がよほど驚きだが、黙っておく。
「とろくさい僕が、やっと……やっと就職できたのに。両親はなんて言うだろう」
ため息の最後は震えていた。両手がそろそろと顔を覆う。
(今だ)
おれはさっと手を伸ばし、さりげなくデバイスをすり替えた。青年はまったく気付かない。それをいいことに、素早く手首に巻き付けた。
起動したまま外していたためだろう、エラー音は出なかった。認証画面が出る前に、さっと視界の同期を切る。これで青年の目には、なにも映らないはずだ。
「ここは寒いですよ」
言うと、腰を上げる。もうここに用はなかった。
「温かい飲み物を買ってきます。まずは気持ちを落ち着けましょう」
あ、はい、と涙じみた顔を上げる青年。おれは微笑み、その場を後にする。
青年が、ごく普通におれのデバイスを巻きつける仕草。なにも知らない彼がふたたび顔を覆う動作に戻るのを見届け、おれは小さく笑った。
デバイスを自分の視界に繋ぎ、警告通知をすべてオフにする。そしておれは関係者入口を目指し、悠々と歩いていった。




