09-01 純粋な視線
「もしかして……シヅキ・J・ロウですか?」
「っ……!」
びくっ、とはっきり肩が跳ねた。心臓が冷えた。おれはことさらにゆっくりと振り返る。
そこには小柄な少年が、じっとおれを見上げていた。
成長待ちらしい、制服はまだ丈が長くてぶかぶかだ。少女たちとは色の違う校章をつけている。おそらくは中等部だろう。
誰、という顔をする少女たちに、おれは慌てて手を振った。
「ありがと、もういいよ。スカウトの件はちゃんと上にあげておくからね」
ぎりぎりのごまかしだったが、少女たちはわかりましたとうなずいた。表情にいぶかしみを見せつつも立ち去る二人を見送り、おれはふうと息をつく。
少年の方に振り向くも、表情が自然と苦くなる。それを見た彼は慌ててぺこりと頭を下げた。
「すみません。もしかして僕、余計なこと言っちゃいましたか」
「いや。そんなことはないよ」
本当はその通り、まさに余計な発言だった。
おれはせいぜい人の良さそうな笑みを作り、相手の表情を観察する。
前科者の危険人物として通報でもされるかと思ったが、見たところ、敵意や害意はなさそうだ。むしろその瞳には憧憬の色すら浮かんでいる。少しだけ安心した。
だが興奮して騒がれるとやっかいだ。おれは肩の力を抜いてみせ、手招きをすると道の端に寄る。少年は大人しくついてきた。
壁にもたれかかると、眼鏡を持ち上げて小さく笑ってみせる。我ながら、格好つけた仕草だった。
「……よく気付いたね?」
おそらくは望み通りの態度で話しかける。とたん、少年の目が輝いた。
ちなみに、よく気付いたなというのは本心だ。服装も目と髪の色も、声のトーンや口調、歩き方や仕草さえ変えていた。
そのおかげで、ここに至るまで変装は問題なく機能していた。しかし、彼は真後ろから近付いて、迷いなく声をかけてきたのだ。
少年はちらりとおれを見上げる。赤らんだ頬を照れくさそうにかいて、消え入りそうな声でつぶやいた。
「その……ファンなんです」
「そうかい、ありがとう」
──そんなもの、とっくに絶滅したかと思ってたよ。
言い放ちそうになるのをかろうじてこらえる。おれはわざとらしく肩をすくめた。
「珍しいね、きみみたいな年の子が」
「お母さんがすごいファンで。小さい頃から映像を見せてもらってるうちに、僕も」
「親子二代か。いやあ、ますますありがたいな」
正直、全くありがたくなかった。こんなところで素性がバレれば面倒以外の何物でもない。できれば、静かなうちにさっさとどこかへ行ってほしいくらいだった。
しかし彼は頬を赤くしながら、あの、と前のめりになった。
「僕、『あなたを』シリーズ全部持ってます! 特に『白いあなたを忘れない』が良くて……! あと、『満つる杯』と『隔離された虚像』に──あっそうだ! 『ハニー・タイフーン』は母が千秋楽に連れて行ってくれたんです!」
覚えのあるタイトルの数々に、苦い気持ちを押し隠す。
「『ハニー』を? ずいぶん遠かったろうに。というか、きみその頃は」
「三歳です!」
「……よく劇場に入れたね」
というか、もう少し声を小さくしてほしい。おれは黙って、くちびるに指を押し当てた。少年はあっ、と言うと頬を染める。そして声のトーンを落とすと、あのう、ともじもじ指を動かした。
「三歳でも覚えてます。本当に、……本当にすごかったです」
「演出が良かったんだ。おれなんてたいしたものじゃない」
「そ、そんなことないです! ……あっ」
また声が大きくなっている。人差し指をそっと立てると、少年は慌てて口をつぐんだ。そんなことないです、と小声で繰り返す。
「自然体で、力みがなくて、人物が本当に生きてそこにいる、って感じがして……」
「そうかい。ありがとう」
それっぽい笑みを作って言葉を乗せる。
もうちょっと心を込めて礼を言うべきだと思ったのだが、言えなかった。




