58 青い炎
静かだった。呼吸の音すら聞こえなかった。
ミックとヒューイは、食い入るように画面を見つめ、言葉を失っている。ぐず、と鼻をすする音がして、ミックがぎょっとしてヒューイを見た。
「ちくしょう。俺は、こういうのは駄目だ」
まだ子供じゃねえか、と涙じみた声。ミックが戸惑う気配。そういえば、ヒューイには長く望み、遅くに産まれた娘がいた。その子と重ね合わせたのかも知れない。
「子供でも──彼女は立派に闘った」
噛みしめるようにささやくミック。それを尊重しよう、と言う声に、ヒューイが黙ってうなずく。
「シヅキ。すべきことは終わったか」
「……ああ」
返す声はひどく小さく、掠れきっていた。それを受けて、ヒューイが素早くデバイスを叩く。救急車を呼ぶ声。
再生を終えて真っ暗になった動画ファイル、その画面を見ながら、おれは充足にも似た確信を感じていた。
──ハルカ・シノサキ。
きみはやっぱり、おれの思った通りのひとだった。
心細さに立ち向かい、世間に傷付けられ、恐怖に震え、それでも現実に立ち向かった。美しいものを最期まで信じていた。きみは確かに、ただの未熟な子供だったけれど、それでも、果敢なヒーローでもあったのだ。
ふーっ、と長い息を吐く。震える手から端末が落ちる。ミックがそれを受け止めて、おれの肩をぐっと支えた。
「おい。しっかりしろ!」
「ああ……」
わかってる。返そうとして、言えなかった。意識がだんだん朦朧としてくる。ヒューイがおれの名を呼んだ。
「シヅキ。ほら、見ろ」
ヒューイのデバイスが視界に同期される。ぱっ、と広がったのはさまざまなSNSの画面だった。さっきばら撒いたハルカの種火は、次々と反響と拡散を繰り返し、アンダーは大騒ぎになっていた。炎上の炎が次々に広がっていく。
よかった、と思った。とたん、一気に身体から力が抜けた。
ミックが驚いたようにおれを抱きとめる。ヒューイが腹のあたりを確認し、なにかを叫ぶ。
火葬場の景色に重なって、視界では次々と、ハルカの炎がアンダーを染め上げていく。深い、深い充足と、そして寂寥。
自らのしたこと、その結果が作られていくさまを見届けて、おれは静かにハルカへと呼びかけた。
わたしでなくても良かったのに、それでも多くの人がわたしを愛してくれた、と言ったハルカ。この尊いものを誰かに手渡したい、そうせねばならないと彼女は語った。
(ああ──本当に、そうだな……)
たった十五年の人生で、きみはそこに辿り着いた。与えられたものに気付いて、報いるべきものを見つけて、きみは子供でいられなくなってしまった。大切なものを守るため、きみは大人のようにふるまい、命を捨てた。
それでも──ハルカ・シノサキ、きみは生きるべきだった。
たしかにきみの命は、その劇薬で幕を閉じる人生は、〝美しくも残酷な物語〟として、人々の心を強く動かすだろう。
けれど。生きていることは、それだけでなにものにも代えがたい価値がある。きみの十五年の人生は、〝物語〟として消費されるためのものじゃない。
生きていてほしかった。
一度でいい、顔を見て、その声を聞いて、きみと話がしたかった。
「──キ、シヅキ!」
「目を閉じるな、気をしっかり持て!」
(ああ……わかってる)
呼びかける声がとても遠い。返事をしようと思うのに、くちびるが震えて、うまくできない。指先がおぼつかない。なんだか、すごく寒かった。いやだな、と思った。脳裏にリディアの声が浮かんだ。
『なぜ生きようとするの』
『あなたにはもう理由なんてないはず』
ああ、そうだな、本当だ。
でも、理由なんてなくても、おれは。
死にたくない、と思った。せめて目を閉じないでいようと抗った。
ぼやけきった視界の中で、ミックとヒューイが、必死でなにか言っている。その声が、半分ももう、聞こえない。
うっすらと目が閉じていく。それはだめだと抵抗する。終わるのはいやだった。まだ、おれは生きていたい。だけど。
ちかちかと、視界がまたたきはじめた。きれいだった。少しずつ、少しずつ、目の前の景色がまぶしい光に塗り替えられていく。
走馬灯のように大切だった人たちの存在が押し寄せる。そのすべては入り混じり、溶け合って、誰とも知れぬひとつの姿となって、おれの心に寄り添った。
愛すべきすべての人が溶け合った淡い幻影。
誰でもない、けれど全てでもあるその人にむかって、ささやいた。
「──……きみに、手渡したかった」
なにを、なんてわからない。認識はできない、言葉にもできない。
ただ、尊くて美しいなにかを、おれは、きみに渡したかった。
まばゆい光が視界をいっぱいにする。
なんて美しいのだろうと思う。
心が、震えそうになる。
次々と現れる美しい幻視の最後に見えたのはハルカと、
そして、透き通った青い、炎──




