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【完結】さよなら火葬場  作者: Ru
── 最終章 ──

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109/111

57 志の先は、遥か遠く

 ぱっ、と表示されたのは、ベッドでも寝室でもなかった。


 がらんとした部屋。椅子と机、その上に写真立てと、薬瓶がひとつ。それだけしか置かれていない。本当に、なにもない部屋だった。


 ぱたぱた、と小さな足音。さらさらの長い髪、細い手足、ひるがえる白いスカート。振り返って椅子に座る小柄な少女は、間違いない。生前のハルカ・シノサキだった。


 こと、と音を立て、椅子をずらしたハルカが姿勢を正す。青から金にかけてのグラデーションアイが、長いまつげに縁取られ、なめらかに光っている。その美しい瞳をまっすぐにこちらに向けて、ハルカ・シノサキは口を開いた。


「この部屋、なにもなくてびっくりさせたらごめんなさい。終わる前に、持ち物は全部寄付しておいたんです」


 よく通る、きれいな、澄んだ声だった。ハルカ・シノサキの『生きた声』。中性的な青年の合成音声ではない、彼女自身の、本当の肉声。


 それを聞いてはじめて、実感と、感慨が胸を満たした。やっと会えた、と思った。


(ハルカ……)


 ずっときみに会いたいと思っていた。

 きみはどんな子だろう、どんな目で見つめ、どんな声で話し、どんな風に笑うのだろうと、ずっと思っていた。

 長い闘いを経て、いま、やっときみに会えた。嬉しかった。


 動画のハルカはためらったように目を伏せる。


「わたしの力で手に入れたものじゃないのに、寄付なんてしていいのか、迷ったけど。このままだときっと処分されて終わりだと思うから、寄付することにしました」


 空っぽの部屋はすこしさみしいけど、仕方ないよね。そう言って、彼女は写真立てを手に取る。ちらりと見えた写真には、ハルカに良く似た女性が映っていた。

 小さな音を立て、写真立てを戻すハルカ。


「余計な混乱を防ぐため、手記には事実だけを書いてあります。だけど、書けなかった〝心の部分〟を伝えるため、わたしはこうして動画を撮ることにしました」


 それから、少しの沈黙。さーっ、というかすかなノイズ。数秒間の静けさののち、ハルカは意を決したように語りだした。


「……ときに人命は、世間を動かす最強の劇薬となる。そのことをわたしはこの一年半で学びとった。そして、対価と効果を天秤にかけて、わたしはこの劇薬を自分に対して使うことに決めた」


 きりりとした美しい目が、画面のむこうを見つめている。そのくちびるから語られる言葉は、まっすぐで、真摯だった。さっきまでの儚い少女じみたものではなく、強く、凛々しい、ひとりの人間の形をしていた。


「わたしがガラサになった理由は簡単で、単純だった。


 最初は怖いからだった。誰かに見てほしいからだった。生きる根拠がほしいからだった。わたし個人に、価値と理由がほしいからだった。


 わたしじゃなきゃ駄目だって、他の誰でも駄目なんだって、あなたは生きるに値するって、守られても生かされてもいい理由があるんだって、誰かに、言ってほしかった」


 誰が自分を生かすかわからない。いつ、その糸が途切れるかもわからない。どんなに知りたくても、周りの大人は教えてくれない。自分が生かされている理由も、根拠もわからない。それが怖くてたまらない。


 だから彼女は──自分を守るため、合理的な理由を求めたのだ。

 あなたには他にない価値があるから。そういう理由を。


「だけど、ガラサとして生きる一年半で、いろいろなことに気付いて──しだいにわたしは変わっていった」


 ぽつり、とつぶやく小さな声。すっと顔を上げ、彼女は清廉な瞳で言った。


「わたしは、十五年の人生で、あまりに多くのものを受け取ってしまった。


 小さい頃からあったもの──身の回りのすべて、ただ生きるためには過ぎたお金、安全な住処、手厚い医療、行き届いた教育。


 十四才になって、受け取るものはさらに増えた。新しい名前と立場、語る声、伝える手段。名声、賛同、熱狂、勇気、信頼とそして──愛」


 噛みしめるようにつぶやき、彼女は静かに目を閉じる。ゆっくりとまぶたを開き、現れた青と金の瞳が、かすかに揺らいだ。


「わたしの主張なんて、珍しくもなんともない。アンダーに転がっている、無数の意見のひとつに過ぎない。それどころか、わたしの思想と活動は、大人の利害に誘導された、都合のいい道具でしかなかった」


 なのに、と震える小さな声。


「わたしでなくても構わないのに。わたしでなければならない理由などないのに。

 それでも、多くの人がわたしに与えてくれた。信じられないほど素晴らしいものばかり集めて、わたしに手渡してくれた。愛と呼ぶべきものだった。

 そのすべてはわたしの中で美しい炎となり、まばゆい光を放っている」


 そうささやくハルカの表情は、うまく明言できない、言葉にならない感情で揺れていた。


「わたしは、あまりに多くのものを不当に受け取ってしまった。

 与えられたものを世界に還元しなければならない。

 与えてくれた人に報いなければならない。

 この尊いものを──誰かに、手渡さねばならない」


 きっ、と目元を引き締め、彼女は言う。


「自分を守るためじゃない。自分を確かめるためでもない。本当にわたしを生かしてくれた、数え切れない人々のために、わたしは愛を体現しようと思う」


 視線がかすかに動き、美しい目が薬瓶をとらえる。かすかにひそめた眉、けれどその憂いはすぐに消え去った。


「わたしの立場は偽物だったかもしれない。わたしの思想は誘導されたものかもしれない。でも、わたしが語る愛は、いつだって本当だった。そう信じている」


 細い指が薬瓶を手に取る。ころ、ころ、と手の中でもてあそぶ仕草につらえて、中の薬がからからと動いた。


「踏まれるのがわたしだけなら、きっと耐えたと思う」


 とても小さなささやきだった。とん、と薬瓶を机に戻し、彼女はでも、だけど、と言う。


「いま同じように、わたしに続こうとする人たちがいる。第二、第三のガラサになってしまう人がいる」


 そう言うと、ハルカはすっと顔を上げ、きりりと口元を引き締めた。背筋を伸ばし、息を吸う。まっすぐな瞳。


「──愛は心だ。

 愛は心のうちから、自然と生じるものでなければならない。

 自由でなければならない。

 誰の手であろうと──操作されてはならないのだ」


 それは間違いなく、あのガラサとしての、信念とカリスマに溢れた語り口だった。ぴんと伸びた背筋、真摯な目、誠実なくちびる。凛々しい姿、その輪郭がまるで、光って見えるようだった。


 その姿が──ふっ、とただの少女の顔に戻る。すとん、と細い肩が落ちて、小さな吐息の気配。


「……だから、わたしはこの手記を書きました」


 ごく小さなささやき声。ハルカは顔を上げる。やわらかい表情。


「どうかすべてが明らかになって、わたしの後に続こうとするひとが、同じ轍を踏みませんように。誰の意図に曲げられることもなく、心のままに愛を伝えられますように。


 あなたが受け取った尊いものが守られて、それを新しい誰かに渡していくことが、当たり前のようにできる世の中でありますように。


 心より愛を込めて。ガラサ──志ノ崎遥より」


 それだけ言うと、ハルカはかすかに涙ぐみ、とてもきれいに微笑んだ。ありとあらゆる苦しみと美しいものを見つめてきた、大人のような笑顔だった。


 かた、と椅子から立ち上がり、軽い足音が、こちらに近付いてくる。手の影がかかり、動画を止めようとする動作。


 けれど画面が途切れる直前、消え入りそうなほど小さい、声がした。



「……こわいよ、おかあさん、おとうさん」



 それきり──動画はぷつりと途切れた。





 

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