56 手記
気が付けば、火葬場のソファだった。
うっすらと目を開けると、両側からミックとヒューイが覗き込んでいる。ほっとしたようなヒューイが、気が付いたか、と呼びかけた。
「……空調は」
「入ってる」
「そう、なのか……さむいな」
「……そうか」
痛々しい表情を見せるヒューイをさえぎって、ミックが言った。
「病院を蹴ってまで、ここまで運んだんだ。することがあるんだろう。ハルカ・シノサキの弔いか」
うなずく。すぐに、だろうな、と返された。ヒューイの声。
「遺体は火葬室に運んである。あとは炉に入れて、火をつけるだけだが──すまん。やり方がわからん」
おれは身を起こそうとして、ぐっ、とむせ返った。ミックが背中に手を添える。ゆっくりと起き上がり、かすれる声で、端末を取ってくれ、と言った。
「カウンターの、中だ」
ヒューイが走って取ってきた。ボード型の端末を立ち上げ、炉の説明書を引っ張り出す。注意事項と手順の書かれたページを開いた。
ヒューイはすぐに自分のデバイスに説明書を転送した。見回す目が、はあ、とため息交じりに細められる。
「この現代社会で、なんで今、デバイスを持ってるのが俺だけなんだか」
そういえば、ミックもデバイスを捨てていたっけか。ヒューイが呆れたように肩をすくめる。その目が気遣わしげにおれを覗き込んだ。
「自分で点火するか」
「いや──たのむ」
おれには、することがあるから。そう伝えると、ヒューイは短くわかった、と返事をして、火葬室に向かった。これで──ハルカは大丈夫だ。
安堵から、端末を持つ手から力が抜けた。落としかけたそれを、ミックが拾う。しっかりしろ、と強い声。うなずき返す。
おれはミックの支える端末を、震える手で操作した。ポケットから取り出したリディアのメモは、血で汚れていた。それでもなんとか読むことはできた。アドレスを打ち込み、確定する。
現れたのは国外のクラウドサービスの画面だった。パスワード入力を求めるカーソルが点滅している。要求は二十九桁。ハルカの死亡者IDだ。
「……ハルカ」
おぼつかない指先で、ポケットをさぐる。ぴりっ、とした鋭い感触が指に触れ、おれはそいつを掴み取った。取り出す。エルビンのケースだった。ミックが目を見開く。
「手に入ったのか」
「ああ……」
ケイジ・ニューマンは、誰も信じられない、臆病で慎重な男だった。ハルカの『魂』を手元から離すことなど、怖くてできなかっただろう。それが交渉の場であろうと、絶対に身につけているはずだ。おれはそう考えていた。
そして、あの瞬間が訪れた。
おれがハルカのなきがらを見捨てて、このケースを選んだ瞬間。
飛んでいったケースを追ってケイジを撃ったとき、おれは素早くケースを回収していた。代わりに、持っていたものを放り投げたのだ。
リディアの引出しから持ち出した──婚約指輪のケースを。
あとはケースを奪い合うふりをして、ちょうどいいところで諦めるふりをする予定だった。
(だが、こんなことになるなんて)
つくづく、おれも焼きが回ったものだ。それでも、『魂』は手に入った。それで、もう十分なのかもしれない。
ケースを開く。中には肉色をした生体外殻があった。ミックが差し出したペーパーナイフで、人工の肉を切り裂く。指を差し入れ、銀色の、小さな中身をつまみだした。
そのタイミングで、ヒューイが戻ってきた。
「炉に火が入った。ハルカ・シノサキは──弔われたよ」
「……そうか」
よかった。そうささやいて、おれは端末に向き直った。ヒューイはソファに座り、おれのすることを、ミックと二人でじっと見守っている。
おれは端末を操作し、パスワード──『魂』の刻印番号を入力した。二人が息を詰める。
「……開いた」
現れたのはテキストと動画と、いくつかの画像ファイル。すべて複製・編集不可になっている。
おれは中を見るより先に、クラウドのアドレスとパスワードを、いちばん人口の多いSNSに貼り付けた。同じ作業を続けようとして、激しくむせる。口の中にどぷ、と血が満ちた。むりやり飲み下す。
「……てつだってくれ」
「わかった」
短い返事。ヒューイが手首を叩き、おれの端末を覗き込む。おれと同じように、アドレスとパスをアンダーにばら撒いているのだろう。
「一通り、有名どころには放流した」
「そうか」
はあっ、と呼気を吐く。深い吐息からは、濃い血のにおいがした。
クラウドに戻る。ハルカの遺したファイルの数々を、開こうとして、指がうまく動かない。ひどく寒くて、手が震える。それでも、見ておこうと思った。
気力を振り絞って、テキストファイルを開く。
そこには、シンプルな文面が並んでいた。
『この手記が明らかになっているということは、環資省がわたしの遺した端末を破壊したということだろう。手記の入った端末を破壊すれば、複製が全世界に公表される。わたしが、そのようにしたのだ。
彼らはなぜわたしの端末を破壊したのか? もちろん、わたしの手記を恐れたからだ。この手記が表沙汰になった、それこそが、彼らに後ろめたいことがあるという証明である……』
その長い手記には、ハルカの闘いのすべてが記されていた。
ガラサのさせられてきたことも、環資省とケイジ・ニューマンの仕打ちも、リディアの行いも、防衛省の狙いも。ハルカの知るすべてが、淡々とした、簡素かつ清潔な文章で綴られていた。
これを見れば、すべての事情は伝わるだろう。ほっとして、他のファイルを見る。画像ファイルはほとんどが、なにかの証拠や、説明のためのものだった。
幸いだったのは、今のところ、ジェームズとの〝行為〟の詳細を示すものがひとつも見つかっていないことだった。ずっとそれだけが心配だった。
最後のひとつ、動画ファイルを開こうとして、ためらう。
ちら、と見やった隣のミックは、おれの背を支え、端末に片手を添えたまま、なんだ、という風にこちらを見た。ヒューイも不思議そうにおれを見ている。
「ふたりとも……もし。これが、見るに耐えないものだったら。たのむ。ハルカのために……耳と目を閉じてくれ」
うなずきが二つ。
おれは心を決めて、ファイルを開いた。




