55 救助
「ッ──ぐっ……!」
ずしりと衝撃。瞬間、誰かのうめき声が聞こえた。
感じた衝撃はしかし、地面のものではなかった。ぼやけきった意識で、薄く目を開く。見覚えのある顔。くちびるが痙攣する。
「ミ、ック」
「じっとしてろ。荷物が動くな」
下の歩廊から身を乗り出し、おれを受け止めたらしい。その身体はほとんど手すりを越えきって、今にも転落しそうだ。いや、むしろ──すでに転落していても不思議ではない。それくらいの乗り出し方だ。
(なぜ……)
そのとき、ミックの背後からもう一つうめき声が聞こえた。
「ぐうっ……とっとと引き上げろ、俺も限界が……っ」
「黙って支えろ! 行くぞ、一、二──」
号令とともに、ずる、とおれの身体が引き上げられる。手すりを越え、濡れた床にどさっ、と投げ出され、おれは定まらない目で〝救出者〟たちを見上げた。
ミック。それに、ヒューイだった。
(ああ……)
心底安心した。どっ、と力が抜けた。
「おい、こいつ撃たれてるぞ!?」
「手当がいる。道具は」
「持ってるわけないだろ!」
「なら、すぐ車で──」
「…………を」
おれの声に、二人が弾かれたように振り返った。ごろ、と仰向けになり、空を見上げてつぶやく。
「……ハルカ、ハルカを……」
「しっかりしろ、おい」
「落ち、たんだ……おれが、見捨てた」
「喋るな!」
天井から見切れた端、真っ黒い夜の向こう側で、青白い炎の余波が光を放っている。ちらちらと白いものがおれの頬に降り注ぐ。溶けた雪が頬を伝う、冷えた感触。
「……すまない……ハルカ」
うわごとのようにつぶやきながら、おれの視界は急速に暗くなっていった。痛覚と寒さが世界とともに遠ざかり、そして、消えた。
──ふっ、と浮上する感覚。
がたがたと揺れるどこかに寝かされているようだ。おそらくは車中だろうか。ぼんやりと見上げた内装には覚えがあった。ヒューイのライトバンだ。
かすんだ目であたりを見回す。おれの隣には、ぼろぼろになったハルカが横たえられていた。
折れ曲がり、へこんだハルカの身体から、エンバーミングの固定液が血のように流れ出している。あまりにもむごたらしい惨状に、ひどい罪悪感を覚えた。
小さく震える声が出る。
「おれは──どこへ──」
「このまま病院へ向かう」
即座の回答。見ると、反対側の隣にはミックがいた。バックパックからなにかを取り出し、おれの手当をしているようだ。
おれは脈動する痛みに眉をきつく寄せ、朦朧とした意識でなんとか口を開いた。
「たのむ……火葬場に……ハルカと、おれを、連れて行ってくれ」
「バカ言うな! 貴様の状態は一刻を争う、だから」
「ハルカを、たのむ、お願いだ」
「シヅキ、わがまま言わねえでくれ」
運転席からも声がした。咎める言葉にあらがって、おれはゆるく首を振る。途端、ものすごい目眩がおれを襲った。吐きそうになる。げほ、と咳き込むと、口の中に鉄っぽい味が広がった。
「シヅキ! 大人しく──」
ミックが叫ぶ、その手を掴んで、すがった。
「……たのむ」
「っ……」
「たのむよ、なあ」
火葬場まで行ってくれ。続けた言葉が、声になったかはわからなかった。ぼやぼやと歪む視界、それが傷のせいなのか、涙や他のもののせいなのか、わからない。
「ほんとうに──お願いだ」
「……くそっ」
吐き捨てたのはミックだった。うつむいた彼の、影が落ちた顔から、絞り出すような声がする。
「ヒューイ。フィーニク火葬場へ」
「おい、だが!」
「聞いてやってくれ。たぶん──」
「……わかった」
ヒューイの低い声。車がゆっくりとカーブする。ぐん、と加速する感覚が目眩とまじりあって、くらくらした。
ビッ、となにかをやぶる音。腹の上になにかが押し当てられる。すっと冷たい感触があって、すぐにおさまった。
痛みが、ゆっくりと引いていく。意識が少しだけ鮮明になった。何度かまばたきして、おれを覗き込むミックを見上げる。
「もっと設備と知識があれば、輸血なりなんなりできたんだが」
「……じゅうぶんだ」
それより、とおれは運転席を見やる。
「おまえはともかく、なぜ……ヒューイが」
「リディアだよ」
「え──」
予想外の名前が聞こえて、おれはかすかに瞠目する。ヒューイは押し殺した声で説明をはじめた。
なんでも、おれの手配はさっき、いきなり取り下げられたらしい。その直後、化学プラントで明らかなドンパチがはじまった。何件か通報が入ったものの、上から指示があったのだ。誰も出動するな、絶対に近寄るな、と。
「俺は不良警官なんでな。気に入らない命令があると背きたくなる。その上、リディアから連絡がきて、おまえを助けてやってくれ、ときたもんだ。どう考えても、なにかあるだろ」
それで、ひとりでここまで来たのか。命令を無視して。ヒューイはふん、と鼻を鳴らすと、続けた。
「俺と入れ違いでな、プラントから防衛省のトラックが何台も出てきたよ。これはと思って辺りを走り回ってたら、死体がひとつ、上から落っこちてきた。俺は慌てて駆け上がって──そして、そこの男と出会った、ってわけだ」
「そう、か……」
たすかったよ、と言おうとして、うまく声が出ない。ミックが沈痛な顔をして、おれに手を伸ばしてきた。大きな手のひらが、そっと目元を覆う。低い声。
「着くまで、休め。貴様にはそれが必要だ」
「……わかった……」
なんとなく、眠るのが怖いような気がした。それでも、乗せられた手があたたかくて、不思議と心地よくて。
おれは言われるがまま、意識を落としていた。




