50 十年前の真相
「……よせ」
「ああ、やっと顔色を変えたね」
実に愉快だ。ケイジが笑う。おれはぎりっ、と手を握りしめ、いびつな笑みを浮かべる男を睨みつけた。
おれの視線を受け止めて、しかし彼は否定するように首を振る。細くなった目から、許容じみた声がした。
「なに。本当は私もね、実の娘のなきがらを、この手で破壊などしたくはないんだよ。なんだったら、むしろ。君の火葬場で弔ってもらってもいい」
「なに……?」
予想外の言葉。身構えるおれに、ケイジはさらりと言った。
「その代わり、と言ってはなんだが。君にはちょっとした施術を受けてもらおうかな」
「施術、だと?」
「厚生省がどうしてもやりたがっている臨床試験があってね。なに、簡単だよ。少し頭を触らせてもらうだけだ。まあ──記憶と自我が、少々削れはするだろうがね」
「……ハルカを助けるかわりに、おれに廃人になれと?」
「人聞きが悪いな。そんな物言いはしていない」
実におかしそうに笑うケイジ。むらむらとこみ上げる憤りをこらえ、おれはきっと顔を上げる。
「じゃあ、違う言い方をしてやるよ。おれという〝好きに使える実験体〟を厚生省にチラつかせて、なんらかの要求を通すつもりだろう。今度はなにをするつもりだ? 財務省の足場固めか?」
ケイジが黙って肩をすくめる。おれはぎっと歯を食いしばり、ふざけるな、と吐き捨てた。
「こんなもの、交換条件にもならない」
「そうかな?」
ケイジが実におかしそうに笑った。ひらひらと銃口を振り、穏やかな目が細くなる。
「気の短い君のために、いいことを教えてあげようか」
「なんだ」
「十年前。君は私を殴り、汚染遺体を勝手に強奪し、複数の人に暴力を振るった。君の行いは世界中で取り上げられ、それは激しい糾弾を受けたね」
「……そんな大人しいものじゃなかった」
あれは──地獄としか呼べないものだった。
おれやリディアがまだ生きているのが不思議なくらい、えげつなく、むごたらしい、おぞましい炎上だった。人の心にうずまくあらゆる汚泥、筆舌に尽くしがたいほど醜いもの、その全てを叩きつけられたようだった。
それは気の毒だったね、とケイジが言う。なんの心もこもっていない、薄っぺらい言葉だった。笑みの形の口から、低い笑いが漏れ聞こえる。
「だが。もしそれが、誘導されたものだったとしたら?」
「え──」
聞こえたのは、思いもよらぬ言葉だった。目を見開き、口を呆けさせ、おれはただケイジを見つめる。おれの間抜け面がよほど面白かったのか、ケイジはくっ、と笑った。
「あの、発電所の事故。その責任を追求されると、いろいろと面倒だったものでね。世間にはちょっと、よそを向いていてもらいたかったのだよ」
「な──にを」
「その点、君は素晴らしいスケープゴートだった。実力も知名度も好感度もある名優が起こした、非人道的きわまりない不祥事。世間はすぐさま飛びついた。煽れば煽るほど、簡単に炎は燃え上がる。あの事故の原因などそっちのけで、ね」
告げられた内容に──愕然とした。
(まさか、そんな──……)
なにもかも、この男のせいだったというのか。
リツキの事故死だけじゃない。リディアの自殺未遂も、おれの罪と絶望も、失われた十年も、すべて。
「まあ、顔面の骨を半分、失いはしたが。安いものだったよ」
「っ……」
とんとん、と顔を叩く仕草。その頬が、うっすらと笑う。
「その手腕に、セルゲイ先生がいたく感動したらしくてね。私は政界に引き抜かれた。それからだ。私は幾度も世論を〝誘導〟し、セルゲイ先生の補佐を続けた。そうして順当に実力を認められ、のし上がり──今の私がある、というわけだ」
ぎりっ、と奥歯が鳴る。てのひらに爪が食い込む。
渾身の怨念をこめ、おれはケイジを睨みつけた。
「──この、外道が……ッ」
「はは! すごい顔だね」
やはり見目がいいと迫力があるな、とふざけたことを抜かしてくるケイジ。握った拳がぶるぶると震える。今すぐにでもぶち殺してやりたい、その衝動をなんとか抑え込んでいると、ケイジはふふ、と肩を揺らした。
「これでわかったろう。もう一度君を叩き潰すのなんて、私にとっては実にたやすい」
「きさま……」
「おお、怖い。だが、下手なことはしないほうがいいよ」
たとえば、とケイジが指を振り──続いて聞こえてきた言葉に、おれは身を固まらせた。
「リディア・スミシー。ヒューイ・バンフォート。あとはそうだな、ミック・リーと、部下の連中もか。新しいスケープゴートなら、ふふ、山ほどいるじゃないか」
「やめろ」
「ああ、気の毒に。ただ君と関わったというそれだけで、世界中から責められ、なじられ、死ぬまで追い立てられるなんて。彼らにはなんの罪も、落ち度もないのにね」
「っ……」
十年前の記憶が、まざまざと蘇る。二度と思い出したくもない、忘れることもできない、未だに何度も悪夢で飛び起きる、あの地獄の日々を。
ケイジが勝ち誇ったように笑う。
「彼らを守りたいのなら。君は、私の提案を受け入れるしかないのだよ」
ふら、と一方後ろに下がるおれ。ケイジが前へ出る。
さあ、と微笑み、手を差し伸べてくる男が──おれには、世にもおぞましい悪魔に見えた。




