愛した彼女
とても短いお話ですが、以前書いたものの結末部分になります。
大きな大きな王国の、大きな大きなお城には、なかなか正妃をもたぬ王がいる。
長く独身を貫くその王に、家臣たちは早く正妃を迎えるよう勧めるが、王はなかなか首を縦に振らない。
正妃を持たぬ独身の王。彼の頭は政の事ばかりだ。
だけどそんな王の傍にはいつも美しい愛妾の姿があった。
アザリア・フォンダール。
正式な妃ではないけれど、高位の貴族の娘であった為、本来正妃となるべくして育てられた人。
彼女はとても美しく、またとても賢い人であったので彼女を早く正式な妃にすべきではないかと幾人もの家臣たちが何度も口上したが、王は鼻で笑って一蹴するばかり。
『申し訳ございませんアザリア様・・・。私が陛下を説得できぬばっかりに、本来貴女はそのような立場にいるべき方ではないというのに・・・』
悔しさとなけさなさを滲ませた家臣の言葉に彼女は朗らかに微笑んで首を振る。
『そんな事を仰らないで。陛下はとてもお優しい方。わたくしはわたくしの立場にとっても満足しておりますわ。』
きっと彼女は心からそれを思って言ったのだろうが、だからこそ家臣たちは泣きたくなった。
美しく、そして王に並び立つ程に能力があり、本来王妃の身分にある者が荷なうべきである仕事を完璧にこなし、また王の仕事を細やかにサポートまでしてみせる。
そこまでの価値を証明しているのに、筆頭公爵令嬢である彼女ならその身分に相応しいのに、王は彼女を正妃に召し上げることはない。
彼女以上に相応しい人はいないのに。誰もがそれを思っていた。
王は愚かだと、小さく詰る者もいた。王は傲慢だと、小さく涙する者もいた。
王は彼女の献身に甘えすぎている。そう独り言ちたのはこの国の若き宰相だ。
王と同じく独身を貫く彼は、しかし聞けば幼い頃に好きな人がいて、忘れられないのだと言う。
独身を貫く者同士、馬が合うのか。王との意思の疎通は完璧で、幼い頃から神童と呼ばれたその能力を遺憾なく発揮し、王を支える宰相を王も頼りにしていた。
『これでお前が女であったなら正妃にしていたのになぁ。』
いつだったか、王が口にしたその心無い軽口。
『そなたもそう思うだろうアザリア。』
『ええ本当にそうですわね陛下。』
同意を求めた王は残酷だ。しかし彼女は朗らかに微笑んで頷く。
『エイドワン様は本当に素晴らしい方ですわ。』
彼女は微笑んでそう言ったが、その場にいた他の者たちは笑う事などできなかった。
称賛された宰相だって、無言のままただ頭を下げただけ。
王は愚かだ。傲慢で、そしてとても残酷だ。
けれどもそんな王だって人の心があるのだ。きっと、いつかは彼女の献身に心をうたれて彼女の献身に報いて下さるに違いない。
誰もがそう信じた。信じていた。願っていたのだ。
直向きに王を支え、王に尽くす彼女の幸福を。
けれどもその思いはとうとう最後まで叶うことはなかった。
その知らせを受けた時の王の反応を見た宰相が内心苛立ったのは、王があまりにも何にもわかっていなかったからだ。
裏切られたような顔。とでも表現すればよいだろうか。
常ならば並大抵のことでは表情を変えぬ王が、絶望感も露にその報告を聞いている。
思えば最初からあの方に関してのみ、王は感情を見せていた。
つまり、それが答えであり、本人が自覚できていなかっただけで最初から答えは出ていたと言える。
だが、王は解答を誤った。誤り、且つ過信し、愚かな期待を知らず知らず抱いていたのだろう。
「出て行った・・・と?」
らしくもない震えた声だ。威厳も何もないその声は、常ならばけして見せぬ王の弱さを微かに滲ませている。
「アザリア様がお戻りにならぬと言うことはそうなのでしょうな。」
部屋を確認したメイドによれば部屋の中は綺麗に片付けられていたと言う。
人の使用していた痕跡を感じさせぬ程に完璧に綺麗な状態であったと。
まるでそこには元々誰も存在していなかったかのようであったと・・・。
自分が生活していた痕跡を綺麗に消し去って跡を濁さず発っていく。
実にあの方らしいやり方ではないか。聡く潔い、そんな彼女の見事な幕引き。
そんな彼女の潔さに若き宰相は感服する。
彼女はもう己の物語を完結させたのだ。幼さが故にひたむきで、年頃であるが故に儚く危うげで、若さ故の強かさをもちながらも、現実を理解しているからこそ繊細で、終わりだけを目指した彼女の初恋。
彼女はそこに自らの手で終止符を打った。
「じ、実家に確認をっ・・・・」
「無意味でしょうね。あの方はこの城で生活をするようになったと同時に実家と縁を切っております。」
「っ・・・・・!?」
「おや、ご存じありませんでしたか。まぁそうでしょうね。あなた様はあの方に興味を示さなかった。あの方を知ろうともなされなかった。」
責めるような口調になっていた自覚は宰相にもあった。
幼少の砌から王の片腕となり、共にこの国をより良いものに導こうと切磋琢磨してきた仲なのだ。
だからこそ多少の気安さはあったし、だからこそ許せないものがあった。
「・・・・・陛下、私には幼き頃から家同士の付き合いのある幼友達がおりまして。」
唐突に語りだした宰相に国王は胡乱げな眼差しを向けるが、それを敢えて無視して宰相は語り続けた。
その眼差しは何処か遠く、思い出の中の誰かへと注がれている。
「幼い頃から周りの期待を背負いながらも何てこともないように微笑む彼女は私の憧れでもありました。
幼心に自分も彼女の様にあれたらと。」
美しく、気高く、芯の強い、そんな彼女のようになれたならと。
思えばあれが初恋だった。
生まれた時から次期王妃の筆頭候補であった彼女に自分の手が届くとは露程も思わなかったけれど、でも憧れた。
「幼い少女に対して正しい表現かどうかはわかりませんが、私は彼女を強い女性と、そう決めつけてました。
どんなプレッシャーもしなやかに軽やかにはね除けて笑む彼女は強いのだと。強いから平気なんだと。」
宰相が何を言いたいのか。計りかねながらも国王は宰相の言葉を止めることなく耳を凝らす。
「本当にあの当時の私は愚かでした。
陛下は王城の庭園の奥に大きな樹があるのをご存じですか?
とても大きな樹で、幹も太いから幼子ぐらいはすっぽり隠してしまえるのです。」
微かに首を傾げた王に、ボンヤリとあぁこの方は知らないのだなと察しながら宰相はひとつ息をつく。
この方も知らぬ秘密の場所。それを彼女と自分だけが共有していたのだという優越感を胸に潜ませて宰相は息を吐く。
「生まれ落ちた瞬間から彼女はこの国の王に並び立つ為の存在でした。
未来の国王の隣に並び立つものとして恥じぬ人間になるよう、周囲から厳しく言われ、常に誰かの目を向けられている中、誰にも弱いところを見せてはならぬと言い聞かせられ、それでも時には辛くて苦しくてどうしても泣きたい時があったのでしょう。」
幼い少女が逃げ場所にしていたのがあの樹だった。
樹の裏に隠れてコッソリと嗚咽を堪えながら泣いていたあのこ。
誰にも見つからないように、誰にも知られないように、たった独りで戦っていたあのこ。
「そんな思いをしても、それでも努力を重ね続ける程に、彼女は貴方を想っていたのです陛下。」
ここまできて王は漸く宰相の言わんとする事を理解し、その目を大きくした。
知らなかった。知ろうともしなかった。
己の行いがどれだけ残酷であったか。
思わず口元に手をやる国王に、宰相は眼差しを細めると、ひとつ息を吐く。
「ところで陛下、話は変わりますが、長く溜まっていた有給の消化を申請してもよろしいでしょうか?」
「なんだ急に、今はそんな場合では・・・」
「いえ、今だからこそです。仕事は優秀な補佐官に引き継いでおきますので、暫くは問題なく進行すると思いますのでご安心下さい。
では、少々急ぎますので。」
言うだけ言って、宰相はくるりと踵を返し、国王の前を辞す。
呼び止める声も無視し、走りこそしなかったがその歩調は足早に、どんどん国王から遠ざかる。
急げばまだ間に合うだろうか。
今ならまだ国内にはいてくれているはず。きっとそんなに遠くまでは行っていない。
早く探しに行って、跪いて愛を乞おう。
彼女が初恋を終わらせたなら、自分は漸くこの初恋の為に動き出せる。
国王には愛されなかったが、それでも貴女を自分は誰より愛しているのだと、早く貴女に告げたい。
今、行くよ。愛しのアザリア・フォンダール。