エピローグ
誰もいないオレンジ色の住宅街。
カラスがカー、カーと鳴いている。
もう夕方だった。
「ふぅ……」
幼馴染の家から僕の家までは徒歩で30歩ほどで着く。
分ではない。
歩だ。
しかし、こうして外に出て気分をリフレッシュするもの悪くはなかった。
自身の左手を見るまでは──。
「はぁ……」
疲労。
憂鬱。
お先真っ暗。
そんな言葉だけが、僕を支配する。
左手には1枚の書類がある。
婚姻届。
今の僕の体を構成する全ての原因だ。
『妻になる人』の欄には、きっちりと柚の氏名が書かれている。
それだけではない。
印鑑や証人などまでもが埋められてある。
唯一、空白だった場所は『夫になる人』の部分だけ。
第三者が見ればこう思うだろう。
何故、彼女の家で書いてこなかったのか、と。
「……帰って寝るか」
フラフラッと歩き、我が家に到着。
今日が日曜日で本当に良かったと思う。
そんな事を思いながら、家のドアを引っ張った。
「ただいま……」
声を掛けるが、返事はない。
週末は実家に帰るって言っていたけど、どうやらまだ帰ってきていないようだ。
なら、都合が良い。
そう思った。
インスタントのラーメンを食べ、歯を磨く。
今日はそこまで汗も掻いていなかったので、シャワーを浴びるだけにしておいた。
あとは布団の中に入り、目を閉じるだけである。
「早く疲れを取らないとな……」
瞳を閉じる。
真っ暗な視界。
「……」
時計の針の音だけが聞こえる。
少し暑苦しい。
「……」
数分が経過しただろうか。
ここに来て、僕はある事に気がついた。
「寝れん……」
どうした事か、全く寝れなかったのだ。
ストレスや軽度の鬱による身体的なせいだろうか?
それもあるかもしれない。
「目を閉じれてば、そのうち寝れるか……」
横になって、考えるのを止める。
だが、寝れない。
だんだんとイライラとしてくる。
こうなったら睡眠薬を飲んで、無理やり寝かせるか?
そんな案が思い浮かぶ。
──その時だった。
「ケンくん? 会いにきたよ。 起きてる?」
背後から、懐かしい少女の声が聞こえてきた。
それはつい数時間前に話していた少女の声である。
「……」
ねぇ……どうして、ここにいるの?
ゆっくりと振り返る。
そこにいるには、無垢な微笑みを浮かべる幼馴染。
「……」
もう一度、言いたい。
どうして、ここにいるの?
あと、どこから入ってきた?
「起きてるなら言ってよ」
「……」
ついさっきも思ったことだけど、キャラが変わりすぎだと思うの。
いつものあのクールな柚を知っている人からだと「誰だ。君は?」って言いたくレベルだよ?
たぶん驚きのあまり、狂ってしまうんじゃないかな?
実際に、僕も言いたくなったし……。
「こんなキャラになるのはケンくんの前だけだよ? ケンくんだけが私の本当の姿を見れるんだよ?」
「……」
見透かすのはやめてくれ。
本当に怖い。
「見透かすって、顔に出ているだもん」
「……」
なんで分かるの?
頭が重く感じる。
思わず、ふらついてしまった。
「大丈夫?」と幼馴染の心配の声。
「君のせいで、全く寝れないんだよ」とは言わない。
言いたいけど言わない。
言ったら、もっと大変になるだろうし……。
「ケンくんは私一筋だよね? 信じてるよ?」
「……ああ」
「そうだよね。誠実な人だもんね。ありがとう……おやすみなさい。大好きだよ」
そう言って、窓に向かう幼馴染。
いや、そこから入ってきたのかよ。
……よく通れたな。
そんな事を思いながら、隣の家に移動している柚を見送る。
彼女は忍者のように、部屋に戻っていった。
でもこうして、部屋の上を移動するのって、何年振りだろう。
「かなり昔の事だったような気がするけどな……」
懐かしい思い出に浸っていると、突然机の上にあったスマホがバイブした。
この音は……某メールアプリのものだ。
「でも、誰から?」
電源ボタンを着け、通知を確認する。
何だろうと思いながら、ロックを解除する。
だが、アプリを開いた途端、僕はため息が出てしまった。
「……」
その相手はさっきまでこの部屋にいた少女からだった。
その内容は──。
『私達は恋人ということでいいんだよね?』
「……」
しつこい。
ただ、ここで返事をしないと、もっとメールを送ってくるだろう。
それこそ、アニメなどでよく見る『通話99+』などだ。
だから、返事をしなければならない。
だが、どう返事をすればいいんだろう。
ここは無難に『そうだよ』と返事でもしておくべきか?
「それが適当か……」
『もちろんだよ』と送り返す。
返事は早かった。
『そっか……』
『じゃあ、有希ちゃんの件は断ってね?』
断る?
断るって、何を──。
あっ……。
ここで僕は思い出してしまった。
「……」
そういえば、有希からも告白されてたんだった。
やばっ……完全に忘れてた。
「……」
どうしよう。
エピローグですが、続きます。