ヒロインは悪役令嬢の破滅を肩代わりしたい
もしもの話をしよう。
大好きな人が必ずやバッドエンドを迎えるとわかったら、どうする?
「くふふっ。奇遇ですわね、アリスさ・ま」
口元に手をやってニタニタと笑みを浮かべる私の言葉にアリス=ニーズエッジ公爵令嬢は冷たい目を向けてきた。
そのことに思うところがないわけじゃないけど、全ては予定調和。こうなることを望んだ以上、私はニタニタと笑みを浮かべるだけよ。
「最近殿下とはどうですか? 殿下の婚約者候補の中でも抜きん出ていたアリス様であればそろそろ逢瀬の一つや二つは重ねていてもおかしくないですけど」
「…………、」
「くふっ、くふふふふっ!! 申し訳ありません。アリス様が殿下の婚約者の最有力候補として名を連ねていたのは昔のことでしたわね。今は、くふっ、違うようですしい?」
「…………、」
笑え。
笑って、笑って、笑いきってみせろ。
アリス様を悪役令嬢の呪縛から解き放つにはそれしかないんだから。
「まあ、大丈夫ですよ。アリス様はあのニーズエッジ公爵家の尊き血を継いでいますものね。アリス様であれば殿下の婚約者となることも夢ではありませんわよ」
だから、『台詞』を状況に合わせて吐くのよ。
私がアリス様の破滅を肩代わりするために。
ーーー☆ーーー
スキル。
それは魔法と違って先天的な才能によってしか得られない超常の力よ。
スキル使いは国内に数人いればいい程度の希少なものであり、しかもその能力のほとんどは使い物にならないものなのだとか。
数千年という長い人類の歴史の中でも強力なスキルといえば人の心を読む『心眼』や自然災害を操る『天変地異』、強靭な肉体を得る『超人』に瞬時に惑星の裏側まで移動可能な『瞬間移動』と数えられる程度なのよね。
だけど、私が得たスキルはそのどれとも違う、それでいて強力と言っていい凄いものだった。
知識。
乙女ゲームとか何とか意味のわからない単語も多々あったけど、突き詰めれば未来予知と呼んで差し支えない知識の山だったのよ。
一つ、私はヒロインとやららしいので適切なルートを歩めば第一王子や宰相の息子といった攻略対象を射止めることができる。
一つ、攻略対象との恋路を邪魔してくる悪役令嬢──つまりアリス=ニーズエッジ公爵令嬢はヒロインと攻略対象と結ばれるハッピーエンドではもちろんのこと、友情で終わるエンドどころか攻略対象と疎遠になるエンドでさえも必ず破滅することになる。
一つ、悪役令嬢は婚約者である第一王子を好いており、ゆえにどのルートにおいても最終的には婚約者に振られて一生を小さな別荘で無気力に過ごすことになる。
一つ、悪役令嬢が本格的にヒロインに嫌がらせを行うのは第一王子ルートのみなのだが、『嫌な奴』として描写(?)される悪役令嬢が破滅することは避けられない。っていうか悪役令嬢がほとんど登場しないルートでもとりあえず破滅させておけって感じで処理されるからね! どれだけ悪役令嬢のことが嫌いなのよ制作陣(?)とやらは!!
と、まあ他にも色々とあるわけだけど、ぶっちゃけ乙女ゲーム式未来予知とでも呼ぶべき知識の通りに攻略対象と結ばれる必要なくない? って感じなのよね。
だから私は攻略対象と結ばれることなく、それでいてこの知識を最大限に活用して幸せを掴もうと動いてきた。
貴族の血筋からして遥か昔の戦乱の世に魔法の才能が優れた者をかき集めたものであり、その名残りとして魔法至上主義ってのがこの国の根幹にはある。
だからこそ平民ながらも魔法の才能に満ち溢れた私の価値は高い。まあ乙女ゲームとやらではその才能を最大限に引き出すのは物語が始まってからなんだけど、わざわざ正規ルートに付き合ってやる義理はない。
例えば国宝に並ぶほどの魔法増強の隠しアイテム、例えば最大効率での魔法力の鍛錬、例えば精霊と契約することによる前人未到の魔法の獲得。
知識を使って最短ルートで魔法の才能を引き出し、学園入学前の時点で高位貴族が手も足も出ないほどの成長してやればお偉方のほうから私を求めてくるって寸法よ。
また、騎士団長の息子との友情ルートでは義理の兄妹エンドというものがあり、それは魔法の実力を認められて騎士団長の養子となるというものよ。そう、魔法の実力さえあれば騎士団長にして侯爵家当主でもある男の養子となれるのは判明している。ならば本来のルートを多少無視して、学園入学前の本来のそれより早い段階で騎士団長の養子となることだってできるのよ。
知識による『ズル』で騎士団長が喉から手が出るほどに欲しがるまで私の価値を高めれば単なる平民だった私でも侯爵家の令嬢として優雅な生活を送ることができる。
それこそが最大値よね。
第一王子だの騎士団長の息子だの宰相の息子だの勇者の末裔だの隣国の英雄だの、攻略対象と結ばれるルートだって選べるんだろうけど、はっきり言ってそういうのは別に興味はない。
悠々自適に、手に入れた地位に見合った豪華絢爛な生活さえできれば満足なんだから。
これぞ勝ち組。
チート知識さいっこう!!
──なんて浮かれまくっていた過去の一幕、私は『彼女』と出会ったのよ。
それはどこかの高位貴族主催の夜会でのことだった。一応は騎士団長にして侯爵家当主の養子としてそれなりの振る舞いが求められるので最低限夜会に参加するくらいは我慢するしかなかったんだけど、まあ正直言ってやってられなかったから隙を見て逃げたのよね。
とはいっても会場近くの庭にあるベンチに腰掛けていただけなんだけどさ。
『ああもうっ、堅苦しいっ。お上品に笑うとか、それっぽく話すとか、礼儀正しく振る舞うとか無理! 夜会って本当息が詰まる!!』
『そうですわね、わたくしもそう思いますわ』
『……ッッッ!?』
声のしたほうを振り返ると、そこには金髪碧眼の令嬢が立っていた。
夜の闇を照らすようにキラキラと輝く金の縦ロール、宝石を埋め込んだように鮮やかな碧眼、私のようにドレスに着せられているのではなく自然に着こなしているほどには貴族社会に慣れている女の人だった。
アリス=ニーズエッジ公爵令嬢。
夜会で何度か軽く挨拶したことはあった、隙のない美女。誰もが頭の中で思い描く完璧な令嬢ってヤツを体現しているような人なのよ。それこそ心でも読んでいるかのように適切に社交界を立ち回る淑女として有名だった。
知識によるとヒロインの恋路を邪魔する悪役令嬢って話だけど、そもそも山あり谷ありの波瀾万丈なラブストーリーなんて興味ない私は攻略対象とどうこうなるつもりはなかったから必然的にラブストーリーの邪魔をしてくる悪役令嬢とも関わることはない……と思っていたんだけど。
こうして対峙している彼女は何の感情も読めず、それでいて見惚れるほどに綺麗な表情で口を開いて──あははっ、と令嬢らしさが微塵も感じられない屈託のない笑い声をあげたのよ。
『夜会って本当息が詰まりますわよねっ。正直、やってられねーって話ですわ』
『え、えっ!?』
『あら、その反応は酷くありません? 貴女も同じだからこそ先程盛大に愚痴っていたのではなくて?』
不満そうに、感情をむき出しにして頬を膨らませるアリス様。腹の底を読み合う社交界の常識を網羅しているはずの彼女がまるで年頃の女の子のように振る舞っていたのよ。
『いやっだって、私が知っているアリス様と色々違くて、じゃなくて違いましてですねっ』
『正式な場でもないのにニーズエッジ公爵令嬢を演じる必要などありませんからね。夜会でのわたくしとは違って当然ですわよ。それと、敬語は必要ありませんわよ。せっかく息が詰まる夜会から逃れたというのに息が詰まるような対応をされても意味がありませんからね』
私が知っているアリス様ではなく、社交界での完璧だけどそれだけでしかない公爵令嬢でもない。
アリスという一人の女の子のむき出しの笑顔に私は釘付けになっていた。
『必要最低限の付き合いは終わらせて、要求された縁づくりも結び終えたのでこれ以上息の詰まる夜会に付き合うのは勘弁なのですわ。というわけでわたくしと同じく時間を持て余していただろう貴女に暇潰しに付き合って欲しいのですが、よろしいですか?』
あの時は自分の気持ちを言語化できなかったけど、今ならこう言える。あの時、すでに、私はアリス様の虜になっていたのよ。
ーーー☆ーーー
それからも夜会の度に私はアリス様と二人きりで話をしてきた。
夜会を抜け出しての二人きりの時間。
アリス様にとっては退屈な時間を潰すためのものでしかなかったんだろうけど、私にとっては違った。
社交界でのニーズエッジ公爵令嬢が決して見せない本音に、私のつまらない冗談に大口を開けて笑うむき出しの姿に、コロコロと感情のままに変わる表情に、知識だけではわかりようもない美しいその姿に、周囲から求められている公爵令嬢としての能力を十全以上に身につける努力家なところに、武も知も隙のない完璧な人のくせに怖い話に怯えて涙目でしがみついてくる意外な一面に、私なんかのことを大切な友人だと言ってくれたことに……他にもいっぱいいっぱい、アリス様の様々な一面を知ることができる二人きりの時間が大切で幸せだった。
はっきり言おう。
こんなの大好きにならないほうがおかしいよね。
『そんなに熱心に見つめてどうかしましたか?』
『えっ、熱心って、そんな見ていたかな!?』
『ええ。告白でもされるのかと思うほどに熱烈な視線でしたわよ』
『こっ告白う!? いや、あのっ、あのあのっ!!』
『あら、そんなに慌てて、まさか本気で告白でもするつもりだったのですか?』
『ッ!? ちっちちっ違うって!!』
『ふっふ、ふふふふふっ。慌てちゃって、かーわいいっ』
『……むう。アリス様って良い性格しているよね』
『そんな褒めないでくださいな。照れるではありませんか』
『褒めてないっての!!』
こんな風に何気なく冗談を言い合える関係を壊したくなかった。だけどそれ以上にこうして屈託のない笑顔を浮かべる大好きな人を助けたかった。
そう、アリス様はあくまで悪役令嬢なのよ。
その末路はどう転んでもバッドエンドに繋がっている。それこそヒロインが誰とも結ばれないエンドを迎えようとも悪役令嬢は婚約者にして惚れている相手でもある第一王子に婚約破棄を突きつけられ、失意に沈んで一生を過ごすとされているのよ。
ムカつく敵役には最後には必ず破滅して欲しいのかもしれない。それが娯楽であれば私だって別に何も言わないわよ。
だけど、だけど!!
悪役令嬢として定義されているアリス様は今こうして私の目の前で笑っている。ニーズエッジ公爵家のご令嬢として何不自由なく、幸せによ。
それが、いずれ必ず破滅すると定められているってのよ。乙女ゲーム式未来予知、この知識が正しかったからこそ私は騎士団長の養子となるだけの能力を身につけることができたのであれば、今更そんな馬鹿なと笑い飛ばすこともできないしね。
悪役令嬢は必ずや破滅する。
ヒロインが攻略対象と仲を深めようがどうしようが、最後には第一王子と結ばれないから破滅するよう定められている。
ならばどうすればいいか。
知識を持つ私だからこそできることだってあるはずよ。
つまり。
つまり。
つまり。
『お父様。私、第一王子の婚約者になりたいです』
私が悪役令嬢になればいい。
悪役令嬢がやるべきことを私が引き受けて、嫌がらせを受ける悲劇のヒロイン枠にアリス様を当てはめればいいのよ。
そうすれば第一王子だってアリス様を助けるために動くはず。そこから第一王子ルートに進めるよう私が陰ながらサポートすれば、アリス様が大好きな第一王子に無下に扱われて失意に沈んで破滅することもなくなるし、悪役令嬢の末路を私が引き受けることだってできるはず!!
断罪されるべき相手としての悪役令嬢の役割を私が、ヒロインとしての役割をアリス様に与えれば、互いの立場を入れ替えた上でのエンディングを迎えることができるって寸法よ。
私はアリス様には笑っていてほしい。
そのために第一王子が必要っていうなら攻略の一つや二つ手伝ってやるってね。
その果てに私が破滅することになろうとも別に構わない。そもそも破滅って言っても第一王子に振られるだの身分を剥奪されて平民になるだのって感じだしね。元は平民の私にとっては痛手にはならない。何なら身につけた魔法の力でより良い就職先でも探して豪遊できるくらい稼いでやるわよ。
だから私は騎士団長にして侯爵家当主でもあるお父様の力を借りて第一王子の婚約者の候補にねじ込んでもらった。アリス様を筆頭に何人か候補はいたけど乙女ゲームの時とは違ってまだ決まってはいなかったからね。お父様曰く私という魔法に優れた候補が現れたことで確定させずに『様子見』することになったとか何とか。
多少知識とは形は違ったけど、やるべきことは変わらない。
私は悪役令嬢のようにアリス様の悪評をでっち上げてばら撒いて、悪役令嬢のように憎たらしい『台詞』を吐いて、悪役令嬢のように何かにつけて嫌がらせをしたのよ。
だから、もちろん、夜会の時にアリス様と二人きりになることもなくなった。
全てはアリス様にハッピーエンドを迎えてもらうため。アリス様が大好きな第一王子と結ばれてもらうためだから仕方ない。仕方ないと分かっていたけど、やっぱり二人きりでなんともなしに話していた頃を毎日夢に見て意味もなく叫ぶのは止められなかった。
……胸が痛くて仕方なかったけど、アリス様の幸せのためなら我慢できる。できるったらできるのよ!!
ーーー☆ーーー
「貴様のような女が我が婚約者の候補であるなど不愉快でならんっ!! この場で我が婚約者候補より外してくれる!!」
それは学園主催のパーティーでのことだった。
攻略対象の一人であるだけあって絵本の中の王子様もかくやといった美男子である第一王子グラン=シックホールドが乙女ゲームという知識そのままの『台詞』を高らかに叫んだのよ。
そう、このパーティーこそ悪役令嬢が破滅する場面だからこそ。
今では第一王子の婚約者候補は私とアリス様だけになっていた。アリス様への振る舞いはともかく、魔法の腕が重要視されているこの国ではチート知識で魔法を極めた私の価値もまた高いからね。そう容易く見切りをつけるわけにもいかなかったってところかな。
それも今日まで。
先の第一王子の『台詞』はまんま悪役令嬢に向けられるものだったってことは、それだけ知識通りに進んでいるってこと。ヒロインでありながら悪役に落ちた私がこうして断罪される以上、悪役令嬢でありながら数々の嫌がらせにも気丈に耐えてきたアリス様と第一王子が結ばれるのは必然よ。
そういうルートに進むよう、知識を現実に反映させてやったんだから。
……やけにすんなりとここまでこれた気がするけど、立場を変えただけでこんなにうまくいくものなのかな? いやまあ順調なのはいいことなんだけどさ!!
「もちろんアリスも我の婚約者候補から外すからな。もうこれ以上貴様の悪趣味には付き合ってられん!!」
「『台詞』は伝えておいたはずですのに、土壇場で裏切るとは酷いお人ですわね」
「黙れ! ここまで付き合ってやったんだからこれ以上はもういいだろう!! ……まったく、無垢なる女の子を苦しめるために我を利用するとは舐めた真似をしてくれてからに。父上たちが貴様のスキルで弱みを握られていなければ今すぐにでもぶん殴っているところだぞ」
「わたくし、悪役令嬢らしいですからね。悪役ともなれば悪事を働いてこそでしょう?」
「ふんっ。貴様がヒロインの恋路を邪魔する悪役令嬢などというくだらない女であればどんなに良かったことか」
「お偉方が清廉潔白であればスキル一つで良いように振り回されることもなく、わたくしのような悪女は撃滅できていたはずですよ? 今回『は』弱みを握ることにしかスキルを使っていませんもの」
「お陰で貴様のスキルの対策のためだけに俺も含めて次世代を担う者たちは良い子ちゃんじゃないとやってられなくなったがな! 政治を綺麗事で回さないといけないとは前代未聞だぞ!?」
「それが殿下の望みだからこそわたくしの我儘に付き合ってくれたくせに」
「……、ふん。じろじろと人の心を覗きやがって」
「あら、殿下の考えくらいスキルに頼らずともわかるというものですよ」
うん?
あれっ、あのっ、はぁ!?
ちょっと待って! 今何が、これって何がどうなっているのよ!?
「しかし、ここまで台無しにされてはこれ以上騙されたフリをするのも意味なさそうですわね。それじゃあ、ひとまず静かなところにいきましょうか。ここは人が多くて息が詰まりますしね」
「え、ええっ!?」
こちらが混乱しているのにお構いなしだった。
惚れているはずの第一王子を放置して私の手を取ったアリス様はそのまま手を引いてパーティー会場から飛び出していったのよ。
ーーー☆ーーー
パーティー会場近くの庭で二人きり。
奇しくもアリス様と初めて出会ったのもこの場所だったのよ。
久しく二人きりになることなんてなかったので心臓はバクバクと暴れていた。いやまあドキドキしているのは二人きりってだけが理由じゃないんだけどね!
全て順調だったはず。
どのルートにおいても必ずや破滅する悪役令嬢という楔からアリス様を解き放つ。そのためには是が非でもアリス様と第一王子が結ばれるしかなかったのよ。
私が悪役令嬢の立ち位置につくことでアリス様をヒロインへと押し上げる。そうすれば第一王子と結ばれなかったことで失意に沈み、一生を過ごすなんていう破滅からアリス様を救うことができるのよ。
大好きな人には幸せになってもらいたい。
そのためなら悪役として断罪されることだって厭わないと決めていたのに、それなのにっ、どうして最後の最後であんな訳の分からない展開になるのよ!? もうちょっとだったじゃん。後は私が断罪されて、アリス様を第一王子が抱きしめてハッピーエンドでよかったじゃん!! 知識の通りにさ!!
それが、あんな、何が起きたのよ!?
「ふっ、ふふっ、あははははっ!! だめ、もう我慢できませんわっ」
「アリス様……?」
訳もわからずテンパっている私を見て、なぜだかアリス様は腹を抱えて笑っていた。公爵令嬢として優雅で完璧だが感情が読めないのではなく、悪役令嬢として他者を虐げることに喜びを感じているのでもなく、心の底から楽しそうによ。
「ああ、申し訳ありませんわ。説明がまだでしたわね。とはいえ、どこから説明するべきでしょうか。わたくしは別に第一王子など好きではないこと? それとも貴女のやり方は穴だらけであること? いいえ、まずはこう言うべきですわね」
くつくつと。
それはもう楽しげに肩を揺らして、屈託のない笑顔でアリス様はこう言ったのよ。
「わたくし、『心眼』のスキルを使えるのですわ」
……しん、がん……?
確か『心眼』って人の心を読むスキルだったような……ん? 心を読む!?
「えええっ!? それって、あの、つまり!!」
「つまり、貴女の考えは筒抜けだったということですわ」
満面の笑みで何言ってやがるのよ!?
ということは、あれよね。私の知識なんかもまるっと読んでいるわけで、もちろん私が悪役令嬢として破滅することが定められているアリス様を助けるためにわざと嫌がらせをしていたのも全部わかっていたってこと!?
「ええ、全部わかっていましたわ」
「満面の笑みで言うことじゃなくない!? ああもう、ほんっとう良い性格しているわねっ」
「そんな褒められては照れますわ」
「褒めてないから!!」
しっかしアリス様がスキル『心眼』を持っている、ねえ。そりゃあ心でも読んでいるかのように適切に社交界を立ち回ることができるわよね。本当に心読んでいるんだからさ。
…… 第一王子は父上たちが貴様のスキルで弱みを握られていなければ、なーんて言っていたけど、まさか国家上層部をまるっと掌握とかしてないよね? スキル『心眼』だけならまだしも、武も知も完璧なアリス様が他者の心を読むというアドバンテージを得たならば不可能なこととは思えないし。
「ふっふ」
「意味深な含み笑いが怖い!!」
こ、この辺りは深追いしないようにしよう。さっきの会話を聞くに少なくとも第一王子だけでなくその父親である国王まで公爵令嬢の言いなりになっていた的なアレソレっぽかったけど、この辺りのことは考えないほうがいいよね、うんうん!!
「貴女の予想通り『今の』国家上層部は全てわたくしの傀儡ですよ」
「うわあんわざわざ心の中で念押ししたのにお構いなしだよう!! わーわぁーっ! 私は何も聞いてないからあ!!」
「……だからこそわたくしの支配から逃れるために未来の国家上層部はあの人の理想通りのものとなるのですけどね」
何やらボソッと付け加えた気がするけど、よく聞こえなかったからスルーで! どうせおっかないことに決まっているもん!!
「それで、どこまでお話ししたかしら?」
「アリス様がおっかないってところまでだよ! いやまあ心を読めるのも、そのスキルを使って国家上層部を、その、ごにょごにょしたのもわかったけど、それがどうして今回のアレソレに繋がったのよ?」
私の心を読んだというなら私のスキルである知識だって一通り知ったはず。乙女ゲーム式未来予知。何もしなければヒロインがどんなエンディングを迎えようとも悪役令嬢であるアリス様は破滅するのよ。
それなのに、どうして?
知っていたならなおのこと私の作戦通りに動いてくれれば良かったはずなのに。
「そもそも前提が間違っていますわ」
「前提?」
「ええ。ヒロインがどうなろうとも悪役令嬢は必ず破滅する。ゆえにその破滅を回避するにはわたくしをヒロインにして殿下と結ばれるように誘導する必要がある、というのが貴女の考えですわよね?」
「そうだけど……それの何が間違っているのよ?」
「ですけど、それってわたくしが殿下のことが好きだからこそ、どのルートでも殿下と結ばれず、失意の底に沈むというのが前提にありますわよね?」
「う、うん」
「それが間違いなのですわ。どうしてわたくしが殿下を好きにならなければならないのですか」
…………。
…………。
…………。
「ええええっ!? いや、だって私の知識では──」
「乙女ゲーム式未来予知などというくだらない知識がわたくしをどう定めていようとも、そんなものは単なる知識でしかないのですわ。ヒロインだの攻略対象だの悪役令嬢だのと勝手に人のことを記号のように識別し、行く末を定めようとも、そんなものに付き合ってやる義理はどこにもありません。わたくしの想いも未来も、わたくしだけのものなのですから」
じっと。
真っ直ぐに見つめられて、私は思わず目を逸らしていた。
そうだよね。
私は知識の中の悪役令嬢は必ず破滅するからこそアリス様もまた必ず破滅すると考えた。だけど、知識はあくまで知識。現実のアリス様のことなんてこれっぽっちも見ていなかったのよ。
一言、現実のアリス様に第一王子が好きかどうか聞けばそれで済んだのに。
「アリス様……その、ごめんなさい」
「わかればいいのですわ」
だけど、あれ?
ちょっと待って。
「アリス様、一つ聞いていい?」
「何かしら?」
「アリス様は私の心を読んだ時点で色々とわかっていたんだから、すぐに間違っているって教えてくれれば良かったんじゃない?」
「それだと貴女が見当違いの努力を重ねて、苦悩して、悶えている姿を堪能できないではありませんか」
「なっ、はぁっ!?」
サラッと言った! この人サラッと言いやがったよお!!
「それだけ? 本当にそれだけが理由でずっと黙っていたの!?」
「ええ、もちろんですわ。そもそも国家上層部を掌握したのも殿下を良いように操って貴女の穴だらけの作戦が成功しているように錯覚させるためですもの。流石に何の脅迫材料もなしにあの正義感の塊の殿下を良いように操ることはできませんからね。……そのついでにあの人の理想の手伝いくらいはしましたけど」
正直言うと私とアリス様の立ち位置を変えてもヒロインと悪役令嬢の立ち位置まで綺麗に入れ替えられるかは疑問だった。それでもうまくいっていると思っていたのは第一王子が知識の通りにアリス様へとヒロインに向ける『台詞』を伝えていたからよ。
だけど、それも全部アリス様の掌の上だったとしたら、第一王子は単に私の知識の通りに『台詞』を告げるよう操られていたってこと? そう、そうよ、なんかそれっぽいこと言っていた気がする!!
だけど、本当に?
私を騙す、それだけのために国家上層部をまるっと掌握して第一王子を好きに操るとかそこまでやる!?
「ほんっっっとう、良い性格しているよね!!」
「てれてれ」
「だーかーらー! 褒めてないっての!!」
本当、ほんっとう良い性格しているよね!! 私がどれだけ決死の想いで、ああもう!!
「アリス様のばかっ!! 本当、もう、ばかばか!!」
「こんなわたくしは嫌いになりましたか?」
……ちえ、笑顔で聞くことじゃないよね、それ。
まあ全部わかっているからなんだろうけどさ。
「うっさい、ばーか」
アリス様が読んでいる通り、この程度で揺らぐほど私の想いは軽くないわよ。
ーーー☆ーーー
乙女ゲーム式未来予知のお陰で私は魔法を極めて騎士団長にして侯爵家当主の養子になれた。それくらいこの知識の精度は高い。
なのに、アリス様のことに限り外れに外れまくった。
なら、その理由は?
そう、何事にも理由はある。他の項目においては完璧な精度を誇る知識がアリス様のことに限り間違っていたのには必ず理由があるのよ。
……まさか知識とは違う何かがあったからこそ、前提が狂い、誤差が広がって未来予知は外れたんじゃあ? そう、私の知識と現状は少々異なる。ヒロインである私はルートを無視して早くに騎士団長にして侯爵家当主の養子になっているし、学園で出会うはずの私とアリス様はもっと早くに出会ってしかも敵対するような関係とは違う、もっと温かいものを育むことができたと思う。
それが、誤差だとするならば。
そのせいで前提からして崩れて、知識とは違う未来に至ったとするならば。
アリス様は第一王子に惚れているという前提。
それを粉々に砕くほどの『何か』が知識とは違うものの中にあるとするならば。
「ふっふ」
「ッ!?」
笑みがあった。
まるで腹ペコの肉食獣が舌舐めずりするような、それでいてどこか心待ちにしていたプレゼントをもらった幼子が喜びに震えるような、矛盾した笑みが。
「あら、あらあら。気づかれたならば仕方ありませんわね」
アリス様は多分乙女ゲームにおける悪役令嬢よりもずっとずっと『悪役』ってヤツなんだろう。それこそやろうと思えば国家転覆だって成し遂げられるくらいの特大の邪悪なのかもしれない。現にサラッと国家上層部を掌握しているしね。
だけど。
それでも。
……この人と出会った時には、もう、ずぶずぶに絡め取られていたんだからどうしようもないよね。
「それはわたくしの台詞ですわ」
アリス様の両手が伸びる。私を絡め取って、力の限り抱きしめる。
ここから先は私の知識が通用しない未知の領域。
どうなるか見当もつかない未来が待っているだろう。
だけど、まあ、アリス様と一緒ならどんな未来を迎えようとも幸せに決まっているよね。