やる気なし勇者と水色の瞳の少女
「お願いします。どうかその剣で、私の心臓を貫いていただけませんか勇者様」
大樹の下で昼寝していた俺の前に現われるなり、その少女は、微笑みと共にそう言い放った。透き通った水色の瞳で俺を覗き込む少女だった。
この草原を吹き抜ける風も、青空に浮かぶ雲も、街道沿いに咲く一輪の花も、全て美しいが、しかしその瞳に比べたら霞んでしまうような。
そんな水色の瞳の少女が俺を見つめ「心臓を貫いて」と。微笑みと共に。
「あれれ? もしかして人違いでしたか? いいえ、そんなはずありませんよね。私には分かります。あなたと、あなたの剣が持つ魔力。ええ。勇者様に違いありません。ようやく見つけました。間に合ってよかったです。さあ、どうぞ。世界を救ってください」
「……まあ、君が言うように、確かに俺は勇者らしいが。いきなり心臓を貫けと言われて頷く奴を勇者というなら、それは俺じゃない。他を当たりな」
「いやいや。そんな意地悪を言わないでください。あなたを探して半年旅をしました。十三歳の子供が、両親に黙って村を飛び出すのは結構、勇気がいることなんですよ? そりゃ、予言の日まであと半年ありますから急ぐ必要はありませんが。私だって怖いんですよ。一思いにやってくださいよ。分かってるんでしょう? ほら、私の中で渦巻く魔力」
言われずとも俺は分かっていた。そんな馬鹿な、と否定したかった。だが、こうも近くで見せつけられれば、否応なく。
俺が半年前、創造主から勇者の力を授かったように。この少女も同じ頃、邪神から授かったのだろう。
ありとあらゆるものを押しつぶすかのような、この禍々しい魔力を。
半年後に復活すると予言された、魔王。
その器が今、俺の目の前にいるのだと、否応なく分かってしまった。
「邪神が夢に出てから、色々試したんですよ? そりゃ私だって人間ですから、最初から死ぬ覚悟をしていた訳じゃありません。最初から自分が魔王になると信じた訳でもありません。けれど勇者様なら分かりますよね? 日々、自分の中に得体の知れない力が膨れ上がっていく――信じるしかありませんよ」
少女は語る。大樹を背もたれにし起き上がろうとしない俺のそばにしゃがんで、水色の瞳で俺を見つめながら。
「それでも最初のうちは何とかなると思っていたんですけどね。でも一ヶ月を過ぎた頃から、ああ、これは駄目だな、と。私の瞳はいつか予言の通り、真っ赤に染まって、そして私はこの世界を滅ぼすんだろうなって。分かっちゃいました。だから私、頑張ったんですよ。ナイフで喉を刺してみたり。崖から飛び降りてみたり。でも凄いですね。無傷ですよ。怖いですね、魔王の力って。完全に目覚めるまで、あと半年もあるのに」
砕け散りそうな微笑みを浮かべて。
「どうか、私の決意が揺らがないうちに。私を殺すことができるのは、あなたが創造主様から授かった剣だけです。その剣を使うことができるのは、あなただけです。早くしないと私、逃げ出しちゃうかもしれませんよ? 私、そんな強くありませんから。思い切って。グサッと一気に!」
「いや、待てよ」
「はい、一気! 一気! 一気!」
「手拍子するな! アホの子か? その流れでどうしたら殺してもらえると思った!」
「ええ……だって勇者様は魔王を殺すために旅をしているのでしょう?」
「それは、まあ、勇者に選ばれてしまったからな。仕方なく」
あの日。空から光と共に声が聞こえ、更に剣まで降ってきたのだ。
いにしえから伝わる予言の如く。
おお勇者よ、などと言われて村を送り出された以上、帰る訳にはいかない。かといって真面目に魔王を探すつもりもなく、こうしてダラダラ過ごす日々だ。
「おや? あまり乗り気ではないご様子。まぁ分かりますけど。こんな力をもらっても煩わしいですよね。だからですよ。ここで私を殺してしまえば、面倒な使命から解放されます。勇者、最後の戦い。クライマックス。ばばーん!」
「言っておくが。俺は陽気な奴は嫌いなんだ。昼寝の邪魔をする奴はもっと嫌いだ。あっち行け」
「ええ!? そりゃ、すんなり殺してもらえるとは思っていませんでしたが、あっち行けは酷くないですかっ? それでも勇者ですかー!」
少女は頬を膨らませ、寝そべる俺の胸や肩をポカポカと叩いてきた。しかし俺はそれを無視して、目を閉じる。別に問題を先延ばしにしている訳ではない。俺は本当に、少女を殺すつもりがなかった。
早い話が、世界が滅びてもいいとさえ思っていた。
幼い少女が魔王だったから?
いいや。そうと分かる、ずっと以前から。
それでも勇者か、と少女は問う。
ああ、全く。俺のような男を勇者に選ぶなんて、創造主も馬鹿な奴だ。
「……私。妹が生まれたんですよ。この魔王の力を授かる前の日に」
ポカポカ殴っても俺が反応しないと察したのか、少女は再び、とつとつと自分語りを始めた。説得しようとしているのだろうか。たんに聞いて欲しいだけなのだろうか。
いずれにせよ、目を閉じても声は聞こえてしまう。
狸寝入りは、言葉の前に無力だった。
「そう。私はお姉ちゃんなんです。凄いでしょう? 褒めてくださってもいいんですよ」
妹を作ったのは両親なんだから、お前は別に偉くないだろう――そうツッコミを入れたくなったが、狸寝入りをしている俺は黙っているしかなかった。
「本当に可愛くて。頑張ってちゃんとお姉ちゃんになろうって決めて。でも私は半年したら、世界を滅ぼしちゃうんです。そんなこと、私にさせないでくださいよ。こんな美少女を殺すのをためらうのは分かりますが、どうか人助けだと思って。私、妹に見せてあげたいんですよ。ほら、草原の風が気持ちいいです。青空も、道ばたに咲いた花も。世界は綺麗です。私は世界が大好きです。だから、お願いします。どうかその剣で、私の心臓を貫いていただけませんか勇者様」
随分と好き勝手なことを言ってくれる。
なるほど。この少女は世界を滅ぼしたくないのだろう。それはそれは立派な心がけだ。
こんな俺でも素直に『美しい』と思ってしまうくらいに。
「……婚約者がいたんだ」
俺は目を開け、反撃を始めた。
「へえ、婚約者! それはおめでとうございます! それなら早く魔王を倒して、その人の所に帰ってあげないといけませんね!」
「人の話をちゃんと聞け。そんなことじゃ立派なお姉ちゃんになれないぞ。いいか、俺は過去形で語ったんだ。ああ、確かに俺は誓ったよ。あいつのためなら何だってやると。もし、あいつが生きていたら、死に物狂いで正しく勇者をやっただろうさ。きっと君の頼みを聞いていた。たとえ世界そのものでも、あいつとは釣り合わない。けれど死んだ。病気だった。勇者の力を授かる前日だった。何人の医者に診せても駄目だった。だから俺には、世界を救う理由はない。君を殺してまで救う気にはなれない。残念だったな」
「……ごめんなさい。あなたの気も知らずに……私、やっぱり魔王ですね。最低です」
少女が浮かべていた嘘っぱちの微笑みは、嘘のように剥がれて落ちた。
自分の死を願っていたときは我慢できていた癖に。俺がほんの少しばかり不幸を語ってみせたら、いとも容易く。
暗く沈んで。目の端に、涙すら浮かべて。
なんて弱く、なんて強い少女なのだろう。
「こんな最低の私は、やっぱり斬らなきゃ駄目ですよね?」
「最低の君の頼みを聞くつもりはないね。とにかく俺は、世界を救うつもりはないんだ」
「そんな! 確かにあなたは大切な人を失ったかもしれませんが……でも! その思い出は、あなたの中で生きているでしょう!?」
「……は?」
突然の熱血なセリフに、俺は口をポカンと開けてしまう。きっと間抜けな顔になっている。そんな俺の戸惑いを知ってか知らずか、少女は俺の手を握りしめ、水色の瞳を近づけて言葉を紡ぐ。
「世界が滅びてしまったら、その思い出も消えちゃうんですよ。いいんですか? 駄目ですよね? きっと婚約者さんもそんなこと望んでませんよ。だからですね。世界を守りましょう!」
どうやら、この少女。
弱いだけでなく。強いだけでなく。
酷く自分勝手のようだ。
あいつに似ている。
まさか瞳の色が同じだから性格も同じになるというものでもあるまいに。
俺には彼女の心臓を止めることなんてできない。あいつと同じ瞳の少女を殺すことなんてできない。
「嫌だ」
「なぜですか!? 世界はこんなにも綺麗なのに!」
そうだろうさ。
そんな美しい瞳で見れば、何だって綺麗に見えるだろうさ。
けれど。
「俺にはそんなに綺麗には見えないな」
君の瞳以外は。
「……困った人です」
「全くだ。君が勇者で、俺が魔王だったらよかったのに」
「それは駄目ですよ。私、誰かを殺したくなんてありません」
「……は!?」
自分勝手にも限度というものがある。
自分は誰も殺したくないのに、俺には殺せと。
こうなったら、意地でも殺してやらない。
「付き合い切れん。俺はもう行くぞ」
「そうですか。ではお供します」
「なぜそうなる」
「え。だって勇者様。世界は綺麗じゃないとか仰るものですから。どんなに世界が綺麗か、教えて差し上げようと思いまして。任せて下さい。この半年、あちこちを旅したお陰で色々と詳しくなりました。勇者様が救いたいと思えるまで案内しますよ。まずはここから歩いて三日ほどの場所にある、食べ歩きの街にですね」
「そうか。まあ、達者でな」
「あ! 逃げないでください! まだ半端者ですが魔王の力があるんですからね! そう簡単に引き離されませんよ! 私を殺してくださーい!」




