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偽りの聖女は金の瞳に暴かれる

 あちこちから黒い煙が立ち上り、草木や人が焦げる臭いが漂っていた。地上の惨状を余所に、それでも空は青く高く、シエラランサ山脈の鋭い稜線が空と大地をくっきりと分けている。雲ひとつない空から降り注ぐ日差しに手をかざして、アルセリアは微笑んだ。




「素敵な天気。まるで祝福のようね」




 結わずに垂らした金の髪を陽光が煌かせ、深い藍色の目が青空に映えるのを計算の上で。纏うのが貧しいクエーロ族の簡素な服でも、身を飾る宝石はなくても彼女は美しい。アルセリアは自身の容姿をよく知っていた。




「はい、本当に」


「こんな晴れた天気は珍しいですわ」


「太陽もアルセリア様のお姿を見たいのでしょう」




 実際、アルセリアに従うクエーロの女たちは口々に彼女を褒め称えた。崇拝の念を一身に集めているのを確かめて――アルセリアは、この者たちの愚さを密かに嗤う。荒れた大地に這いずるようにして生きるクエーロの民は無知で迷信深い。だから、十六かそこらの小娘を、天が遣わした聖女だとか信じ込んでしまうのだ。




 クエーロを守り導く金色の聖女――彼らから贈られた大層な名は、正直に言って、呼ばれる度に笑いをこらえるのが難しい。




(まあ、無理もないけれど)




 内心の侮蔑と裏腹に、アルセリアは聖・女・の仮面を纏い続けた。








 クエーロの民が太陽を喜び、アルセリアを崇めるのには十分な理由がある。ほんの数日前、シエラランサの空は何十という飛竜の翼で黒く塞がれていたのだ。




 険しい山地に身を隠し、何かと従わないクエーロの民は中央にとっては目障りだ。だから、時おり竜騎隊を遣わして示威を行う。安全な上空から舞い降りて幾つかの谷を竜の炎であぶり、逃げ惑うクエーロを射殺す――きっと気軽で愉しい狩りなのだろうけど。




 今回の襲撃では、でも、狩人と獲物の関係は逆転した。クエーロは系統だった抵抗で竜騎隊に立ち向かったのだ。




 竜騎士たちの誰も、鉄を型に流しただけのクエーロの矢に竜の飛膜が破られるとは思ってもみなかっただろう。更に、たとえ地に堕とされたとしても、種々の呪と魔力によって鍛え上げられた鎧が役に立たないなんてことは、夢にも。




 竜騎隊を敗走させたのがアルセリアの加護だ。彼女が祈りを捧げた武器は竜の鱗をも貫く鋭さを備え、彼女がその額に触れた戦士たちは正規の訓練を受けた騎士にも劣らぬ武勇を誇るようになる。それこそが、金色の聖女の奇跡なのだ。








 アルセリアが足を踏み出す度に、さく、しゃり、という音が響く。


 竜の炎によって炭化した木や、ガラス状になった石くれを踏み砕く音だ。それと、焼けて脆くなった人骨や溶け崩れた装備も。人間の死体はさておき、竜の牙や魔力で精錬された鋼は貴重な素材だ。だから、辺りではクエーロの男たちが灰や炭を掘り起こしては使える素材を回収している。アルセリアと女たちは、彼らに水や食事を届けに来たのだ。




「聖女様……!」


「ああ、気を遣わないで」




 跪こうとする男たちを笑顔で制して、アルセリアは彼らに祝福を与える。というか、海の水のように尽きることがない彼女の魔力の、ほんの欠片を注いでいるだけだけど。それで疲れが取れて火傷が消えれば、この男たちは喜ぶのだ。本当に愚かで――そして、扱いやすい。




「首尾は良いようですね」




 山と積まれた金属塊や竜の牙や骨を眺めれば、男たちは自慢げに胸を張った。




「はい。これだけあれば中央の連中にも負けない装備が持てる……!」


「次こそはこちらから攻めてやりますよ」


「まあ、頼もしい」




 クエーロの民とは理由は違うが、中央への憎悪はアルセリアも強く抱くもの。だから心から微笑む――と、甲高い声が響いた。




「アルセリア様っ!」




 煤の積もった地面を駆ける足音は、軽い。子供がひとり、手に光るものを掲げてアルセリアたちの方に走ってきたのだ。




「これを、どうぞ。綺麗だから……髪に飾ってください!」




 満面の笑みでその少年が差し出したのは、翠色の宝玉だった。竜騎士の装備の一部だろう、月と太陽を組み合わせた紋章が刻まれたそれは、確かに見事な装飾だったけど――




「お前、それは……!」


「王家の紋章じゃないか!」




 怒声と共に、翠玉は払い除けられた。大人たちにはその紋章は忌々しく汚らわしいものでしかなかったのだ。


 少年には怒られた理由が分からなかったのだろう。空になった掌をアルセリアに差し出したまま、曖昧な笑顔を浮かべている。やがて何か大失敗をしたのだと気付いて、目に涙が浮かぶが――それがこぼれ落ちる前に、アルセリアはそっと彼の前に膝をついた。




「良いのですよ。知らなかったのでしょうから」




 転がり落ちた翠玉を拾い上げて、小さな手に握らせる。触れ合った温もりは、彼だけに向けられた聖女の微笑みと共に、幼い心に深く忠誠を刻むはず。




「でも、わたくしよりも皆のために役立ててくださいね」


「アルセリア様……」




 聖女が咎めていないのだ。男たちも振り上げた拳を収めざるを得ない。罰を逃れたと知った子供は、まだ涙に潤んだ目を輝かせた。




「ありがとうございます……!」




 感謝の声は、アルセリアにとってはもはや慣れたもの。ただ、彼女の名声を高める機会に恵まれたのは嬉しかった。








 見舞いを終えると、アルセリアは自室に戻った。クエーロは岩壁を掘り抜いて住まいを作る。だから、彼女の部屋も獣の巣のように並んだ洞穴の中の一つだった。


 部屋の扉の前では、護衛のオーロが待っていた。クエーロに多い黒い髪に、金の目がアルセリアをじろりと睨む。




「また点数稼ぎか」


「意地悪なことを……皆様を励ましてきたのよ?」




 同じ年頃ということで選ばれたオーロは、「聖女」に対する物言いも辛辣だ。「信者」との間に余計な面倒を起こしかねないから、見舞いには連れて行かなかった。でも、その場にいなくても、彼女の振る舞いは見透かされていたらしい。




「長たちが呼んでる。今後のことで、セイジョサマの意見を聞きたいって」


「ええ、着替えたらすぐに」




 煤で汚れた服の裾を示すと、舌打ちが返ってきた。長を待たせるなんて偉そうに、とでもいうかのよう。いつものことだから、特に咎めずに苦い顔の少年の前を横切って扉に手をかけるけれど――




「いつか本性暴いてやる。俺は騙されないぞ……!」




 すれ違いざまに憎々しげに言われたのはさすがに聞き捨てならなくて、アルセリアはオーロに向きなおった。




「それは」




 唇に弧を描かせて浮かべるのは、作ったのでも慈愛に溢れたものでもない――心からの、嘲笑だった。




「わたくしがいなくても勝てる術を見つけてからにしたら?」




 言い放つなり、答えは聞かずに扉を閉めた。








 オーロが彼女を嫌う――というか疑う理由は知っている。護衛として引き合わされてすぐの頃、人目が離れた隙を突いて、あの少年はアルセリアの耳元に囁いたのだ。




『俺の村は中央の連中に焼かれた』


『まあ、お気の毒に』




 確か彼女は心を込めずに、でもそうは見えないように答えたはずだ。クエーロの村が一つ二つ消えても大したことではないけれど、聖女としてはどう反応すべきかは弁えていたから。だから、ちゃんと同情してあげたはずなのに――オーロは、彼女の偽りの表情を睨みつけた。




『お前の力はヤツらと同じだ。……何を企んでるんだ』




 その詰問に、アルセリアは答えなかった。折よく誰かが聖女様に挨拶しようと擦り寄ってきたから。オーロの方でも、騒ぎを起こして護衛の役を解かれたくはなかったのだろう。


 でも、彼の疑いは燻ぶったままだ。表向きは護衛とその対象として接しながら、アルセリアとオーロは、実はお互いに監視し合っている――と、彼の方では思っているだろうか。




「愚かな子供……」




 汚れた服を脱ぎ捨てて、清潔な服に着替えながらアルセリアは嗤う。本来彼女に相応しい絹のドレスにはほど遠いけど、クエーロの伝統だという刺繍が施された服はそれなりに彩り華やかで心が浮き立つ。一人で着替えられるのも良い。




 オーロが「ヤツら」というのは、中央からわざわざ王族か貴族が派遣されたことでもあったのだろう。兵を鼓舞し竜を御し、武器に力を与える魔力に富んだ王侯がこの国を成り立たせているのは、誰もが知っている。見る者が見れば、アルセリアの力が何なのかは確かに一目瞭然だろう。


 多くのクエーロは、アルセリア疑うことなく崇め奉るのは、王族や貴族が彼らの味方をすることなどありえないと愚かにも思い込んでいるからだ。




(ありえない? 本当に?)




 盲目に聖女を信じる者たちとは違って、疑うことを知っているオーロは、少し賢い。でも、ある意味では誰よりも愚かだ。中央との戦いに人生を捧げてきた長たちが、アルセリアを見て何も気づかないというのも、またありえないことだというのに。


 彼女の正体に勘付いた上でも、聖女という偶像は必要なのだ。彼女に利用価値がある間は、オーロが何を訴えようとクエーロの長は動かない。それを知らずに睨んでくるオーロはいっそ可愛いと思ってしまうほどで、だからつい挑発めいたことも言ってしまうのだけど。




(でも、油断してはいけなかったわ。誰であろうと、侮り過ぎてはダメ……!)




 自らに言い聞かせながら、アルセリアは胸元を探った。




「お父様、お母様……もう少しのご辛抱です。お二人の無念は、わたくしが晴らします」




 肌着の中に忍ばせていた首飾りを取り出すと、そっと口づける。先端を飾るのは、先ほど子供が拾ってきた翠玉よりもずっと小さく、かつずっと精緻な金の細工。




 それもまた、太陽と月の紋章を模していた。

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