Prophecy of Wind ―風を知る者/風を駆ける者―
風が吹く。風が吹く。
ゆっくりと、されど大仰に。
わたしたちに何かを伝えている。わたしたちに愛を伝えている。わたしたちに情を教えている。
わたしたちにわたしたちの在り方を教えている。
瞑想の中で聞こえる声は、わたしを教え導いている。
こんな年になってもいまだ真理をつかめないわたしを、静かに死者の国へいざないながら、手取り足取り教えている。
ある時はついえながら。
ある時は絶えることなく。
気の遠くなるような時間をかけ、彼らはわたしたちを教え導き続けている。
――預言はなった。
双頭竜の、少女とともに。
*
森の中、少年は歩いていた。下草がちょうど出てきた太陽に照らされ、まだら模様に光を反射している。雨が降ったばかりで少しぬかるんでいる地面をけりながら、少年は一人歩いていた。
少年はふと、足を止める。見つけたのはスピレア草。雨のすぐ後に開花する、珍しい植物だ。師のためだろう、少年はそれを懐に入れ、持ち帰ることにしたようだった。
木漏れ日はだんだんと強くなり、午後の強い光が森を明るく照らしだす。その分つよくなった木の陰に隠れるように、少年はぬかるみを一歩一歩探るように歩いていく。やがてたどり着いた先にあったのは、切り株を中心にひらけている、小さな広場だった。
「みんな、遅くなってごめんね」
その優しげな声に、四方から動物たちが集まってくる。木々の間からにゅっと茶色い頭を出したのは、垂れた目が特徴の一頭のリケイラ。長く大きく伸びた角が、木の枝にあたりそうになっている。リケイラの角を、キグールが滑り降りてくる。一番に少年のもとにたどり着いたかと思えば、後ろを振り向いて家族をじっと待っていた。
「今日もいい子だね」
キグールはキュイと鳴く。そうしている間にもう四頭のキグールが上かどんどん落ちてきて、瞬く間に動物たちで広場はいっぱいになった。
争う動物も、だれかを食べようとする動物もいない。少年を中心に、信頼関係が出来上がっているようだった。
少年はいつもの通り、それぞれの動物の前に専用の食べ物を置いていく。
「あれ、君、ここに初めて来たの? ……そっか、足を怪我しちゃったんだね。そういえば、レーンの子供がいなくなっているね。しょうがないから、その子の分を食べてくれる?」
足を引きずるチリニアの子に、少年は尋ねる。そのチリニアは瞬きをし、少年が手に持った籠をひったくるようにしてがつがつと食べた。
「元気そうだね。うん、これで良しっと。もし足りないものがあったら言うんだよ。師匠に言っておくから」
少年の声にほとんど反応せず、動物たちは一心不乱に食べていた。その細い体を前に、この長雨の中で彼らはろくに食事もできていなかったのだと少年は確信した。
少年はふと目を伏せる。動物たちはこんな状況だ。なのに、この役目を放棄しなければならないとわかっていた。師から引き継いだ時分もこのような状態に変わりはさほど見られなかったが、それでも少年という後継者があったのだ。ここで彼が抜けてしまうと、もうどうにもならない状態になることは明らかだった。
「ごめんね、みんな……」
先ほどのような軽い、なおかつ親密な雰囲気を感じさせる謝罪とは違い、その言葉は重苦しく、例えば彼の目の前で食事をするリケイラが不思議そうに顔を上げたくらいだった。
食事もほとんど終わり、少年は最後の籠を回収する。そのままキグールの家族とともに広場の外へ出帰すようとした――その時。
「きゃああああああああっ」
「っうわ!?」
前方から黒い塊が飛び出し。
「叡智の欠片よ!!」
少年は薄い障壁を張る。師に教えてもらった初歩の初歩にあたるその技は、果たして黒い塊を防ぎ、きれず。パリンと乾いた音がして、飴色の障壁がみるみるうちに少年の体に吸収される。
「みんな隠れて! 僕がやる!」
けがをしている動物たちをかくまいながら少年は叫ぶ。その場にいた動物たちは一目散に逃げ――一頭だけ残ったナンミェがグルル……と低いうなり声をあげた。
「肩口怪我してるのに、無理しちゃだめだ。ナンミェ、お願いだから森に戻ってくれ……!」
少年の声をものともせず、ナンミェはその場に立ち続ける。
そうしているうちに、黒い塊はまた再度少年に向かって羽ばたき。
「守り給え、我が身の叡智よ」
練りこむ力は固く、厚く。飴色の障壁が、少年の周りに展開される。少年の手のひらと同じくらいの厚みの壁は、ぶつかってきた黒い塊を――はじき出した。
そのまま黒い塊は地面に激突する。
「ナンミェ、森に帰れ。僕はもう大丈夫だから」
塊を注視したまま少年が言う。ナンミェはうなり、ただガシガシと地面をけった。
「バロン!! 落ち着けって。お前らしくないぞ!」
突然聞こえてきた少女の声に、少年とナンミェは顔を見合わせる。
「女の子……?」
そういえば最初に、女の子の叫び声が聞こえた気がする、と少年は思い返す。障壁を張ることに必死で遠くにしか聞こえなかったのだ。
「ナンミ……はあ……行くよ。ついてきてね」
森に帰すことを完全にあきらめたような顔で、少年はナンミェに言う。
ザッザッと少年の足音が静かになった広場の中に響く。ナンミェはその横を、滑るように静かに歩いていった。森に入って少し経った頃。
「あれは、まさか……」
少年が目にしたのは、黒く、煌めく、無数のうろこ。すべすべとして柔らかそうで、それでいて実際に触れればきっと手を切ってしまうような。全てを睥睨するかのような真っ黒の瞳は、今は興奮状態なのか薄赤く染まっていて。
「ドラゴンなんか勝てっこないや……」
意気消沈したような呟きが、ぽつりとその場を乱していった。
「そ、そこにいるのは誰だ……!?」
少女が慌てたように叫ぶ。少年はハッとして、声の聞こえた方を向く。
「ぼ、僕はレン。風を知る者です。君のほうは、いったい……? それに、危ないのではないですか?」
「ああ、叡智の……俺は、風を駆ける者だ」
少女の言葉に少年は納得がいったのか、安心した目でドラゴンを見る。声質からして自分と同じ世代――修行中の身だろうと見当をつけながら。
「じゃあその子はめいや……」
「ただの幼馴染だ。盟約はしていない」
「そうですか……」
草の陰に隠れてよく見えない少女を苛立たせてしまったかと、少年は目を伏せる。盟約は駆ける者にとって非常にデリケートな問題だと師から聞いていたのだ。
「どうして落ちてきたんですか?」
「わからない。……バロンが急に苛立って墜落したんだ。そうしたら、何かにぶつかったりまた急にスピード出して向かっていったりして。大変だったんだよ」
少女のため息に、あさっての方を向きながら少年は「みんながあぶなかったから、仕方ない」とつぶやいた。
「それより、そいつは何だ?」
「そいつ……ああ、ナンミェですか? この森に棲んでいるうちの一頭です。肩口を怪我していて」
「んなこたあどうでもいいんだよ。そっちこそ危なくねえのか」
急に話題の的にされたナンミェが低くうなる。それにおびえたのか、少女の側でがさりと音が聞こえた。
「ナンミェ、本当に大丈夫だから森に帰るんだよ」
すこしだけ笑顔を作りながら、少年はナンミェに言う。それでやっと納得したのか、ナンミェは無事な三本の足でひょこひょこと歩いて森へ帰っていった。
「帰りましたよ。……ところで、名前を教えていただけませんか」
「…………名乗りたく、ない」
それは、どうにか言葉を吐きだそうと苦慮した結果の声のようだった。ずっと我慢し続けて、もうどうにもならなくなったかのような。
「そうですか。では、リニ、とお呼びしても? チリニアのように、あなたはとてもきれいな赤茶の髪の毛をしている」
慌てたように少女が声を上げたのを聞いて、少年は口元を緩ませていた。




