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あやかし世界の貸本屋さん

 何の変哲もない普通の路地裏。


 神社の御神木の根本。


 玄関の姿見のなか。




 何気なく覗き込んだ先には、異世界が広がっている。


 現世(うつしよ)隠世(かくりよ)の境は曖昧だ。ふとした瞬間に、迷い込んでしまうことがある。隠世の住民たちは、誰も彼もが異形揃いだ。一癖も二癖もある者ばかり。人間を喰らう者さえいる。




 私――村本(むらもと) (かおる)は、そんな隠世で育った。


 言っておくが、私は人間だ。私は、隠世に迷い込んだ人間――稀人(まれびと)というものらしい。小さなころ、異形の住人に拾われ育てられた。人間を糧とする異形がいるなか、ここまで無事に育つことが出来た私は、本当に運が良かったのだろうと思う。




 ――仕事を終えた私は、夕飯の買い物を済ませ、いつものように現世から隠世へと帰る。


 茜色に染まる空の下、住宅街の一角にある道祖神の祠を目指す。古びた道祖神には、今日も綺麗な花が供えられていた。私は周囲を見回し、誰もいないのを確認すると――そっと道祖神の頭に触れた。






「帰りゃんせ」






 すると、ふっと周囲が暗くなったのがわかった。




 顔を上げると、先程までは茜色に染まっていた空が、夜色に染め替えられている。


 ちかちかと瞬く数多の星。時折、オーロラのように赤や青、緑色が混じり合って複雑な色合いを醸し出すのが、隠世の空。隠世は常世(とこよ)ともいう。言い換えて常夜。ここは、年がら年中夜の世界なのだ。






「おかえり」


「にゃーさん。ただいま!」






 迎えの姿を視界に捉えて、頬を緩める。


 それは、でっぷりと太った黒猫だ。道祖神の祠の上で寝そべっていた黒猫は、巨体に似合わず軽やかな動きでひらりと地面に降り立つ。そして、三本のしっぽをゆらゆらと揺らしながら、つぶらな瞳で私を見上げた。






「今日は随分と遅かったね」


「繁忙期だからね。くたびれちゃった」


「なら、仕事なんて辞めてしまえばいい。それで、一日中私の背を撫でておくれよ」


「それは無理だなあ。現世で仕事をするのは、お金がないからだもの」


「……お前も苦労するねえ」


「あはは。でも、現世での仕事は楽しいよ?」






 笑顔の私に、にゃーさんは猫にあるまじき大きなため息を吐くと、トコトコと歩き始めた。




 隠世の町並みは、古めかしくて不思議で――とっても綺麗だ。


 建物は基本的に木造だ。江戸時代の町並みのような、古風な造りの建物がずらりと並ぶ。格子窓からは温かな蝋燭の灯りが漏れ、通りには客寄せの元気な声が響き渡る。店先に並ぶ商品は、新鮮な野菜や果物、奇妙な鳴き声を上げる動物やら様々だ。




 町並みを照らすのは、ガス灯の灯り。普通のガス灯は、その名の通りガスを燃やして発光するのに対して、隠世のガス灯はガラス部分に発光する蝶が入れられている。その蝶の名は幻光蝶という。


 実は、幻光蝶にはとある特徴があることで知られている。






「馨ちゃん、おかえり。あらあら。今日も幻光蝶にモテモテだねえ」


「ただいま。提灯いらずで助かってます!」






 ふと行き会った三軒隣に住む蛇髪のお姉さんが、幻光蝶入りの提灯を手に、羨ましそうな声を上げた。


 幻光蝶は私の周囲を舞うばかりで、お姉さんには近づきすらしない。そう、幻光蝶は人間の下に集まる習性があるのだ。


 お姉さんと別れると、ふわり、ゆらりと飛び交う野生の幻光蝶を引き連れて、いつものように顔見知りの人たちに挨拶をする。






「後で、お野菜おすそ分けに行くからね。玄関、開けておいておくれよ」


「はあい! いつもありがとう!」






 その時、なんとなく昔のことを思い出した。


 ……そう言えば、小さい頃は幻光蝶が大嫌いだったなあ。




 幻光蝶が集まること――それ自体が、私がこの世界では異物である証明のような気がして嫌だったのだ。


 まあ、それも昔の話だ。大人になった今は、それほど気にならなくなった。


 便利な照明代わり。そう割り切ってしまえば、綺麗な蝶であることに変わりないのだ。




 やがて通りの端まで辿り着くと、にゃーさんが立ち止まって一声鳴いた。


 そこには、ひとつの店があった。




 他の建物と比べると、ややボロっちい建屋。


 造りはあまり他と変わらない。違いがあるとすれば、一階が開放されていることだ。そこには大きな本棚が幾つも設えてあり、色褪せた表紙の本がずらりと並んでいる。軒先には木のワゴンが置かれ、無造作に本が山積みになっている。壁には、ボロボロになった木の看板が辛うじて引っ掛かっており、そこには「貸本」と書いてあった。


 そう、ここが私の実家。隠世で唯一の貸本屋である。






「ただいまー」






 奥に向かって声をかけながら、軒をくぐる。するとお香の香りが鼻をくすぐり、周囲に居た幻光蝶が、弾けるようにして消え去った。






「寝ているの? ただいまってば!」


「おう……おかえり……」






 奥にある母屋に繋がる引き戸を開くと、畳の上でぐったりと倒れている養父の姿があった。


 ちらりとちゃぶ台の上に目を遣ると、散乱する筆記用具に――手付かずの昼食。






東雲(しののめ)さんったら、またご飯も食べないで。いつか体を壊しても知らないからね」


「お前が帰ってくりゃあ、一緒に飯を食うんだからいいだろが」






 東雲さんは、こちらを見もせずにそう言うと、白髪交じりの髪を指先で弄っている。


 私は、養父の格好を見てげんなりしてしまった。無精髭はぼうぼう、小袖はぐちゃぐちゃに乱れ、裾からは白い股引きが覗いているではないか。






「あー、なんてだらしない! ちゃんとしてよ!」


「キーキー喧しい。……どうしてこんなに風に育ったかね。早く嫁に行け、バカ娘」


「東雲さんがまともに生活できるようになるまで、嫁になんて行けません!」


「ぐぬ……」






 私は畳の上に散らかっている本をテキパキと片付けると、エプロンを着けて台所へと向かう。ふと後ろを振り返ると、東雲さんが蝸牛の如くゆっくりとした動きで体を起こしていた。






「……まったく。苦労するねえ」






 そんな私たちを見て、にゃーさんが呆れたようにぽつりと呟いた。




 *




 夕食はお惣菜を中心に適当に仕上げ、出来た料理をお盆に乗せて居間に戻ると、東雲さんが誰かと話しているのが見えた。話の内容からすると、どうもお客さんらしい。






「いらっしゃい」


「……あ。ど、どうも」






 そこに居たのは、小鬼だ。頭の上に小さな角を生やしたその子は、私を見るなり頭を下げた。先述したとおり、我が家は貸本屋だ。現世と違って娯楽の少ない隠世では、本というものは大変人気がある。だから、繁華街の端っこにあるこの店も、意外とお客は多い。






「ああん? 金が足りない? これでも、随分安くしてるんだが」


「こ……これじゃ、駄目?」


「綺麗な石っころじゃあ、本は貸せねえなあ」






 小鬼は、お金が足りないと知るとがっくりと肩を落とした。異形のなかには、普段は山奥に住み、お金を必要としない生活をおくるものも多い。こういう事態は、我が家ではままあるのだ。


 そんな小鬼を見た東雲さんは、ばりばりと頭を掻くと、パイプをひと吸いしてからとある提案をした。






「――しゃあねえなあ。なら、お前のなかで一番面白いと思う話を教えろ。そんで、それを俺が本にして売る。どうだ。話すだけで本が借りられるんだ。悪い話じゃあねえだろう」






 小鬼は目をキラキラと目を輝かせると、喜々として「面白い話」を語った。そして、一冊の童話を大切そうに抱きしめると、文字が読める友達に読んでもらうのだと、軽い足取りで帰っていった。






「……東雲さん。ふんどしが川に流された話……お金になりそう?」


「わからん」






 東雲さんは、手帳に今聞いた話を書きつけながら、ううん、と唸った。


 これが我が家が貧乏な理由だ。繁華街にある我が家では、一定量金銭が必要だというのに、これではちっとも儲からない。お客さん全員からきちんと料金を貰えれば、家族ふたり慎ましく生活するには充分な稼ぎがあるはずなのに、だ。だから、私が現世で出稼ぎをする羽目になっている。


 はあ、とふたりでため息を吐く。そして、もそもそと少し冷めた夕食を食べ始めた。




 ――その時、にわかに外が騒がしくなった。


 気の荒い異形も多いこの町では、騒動はよくあることだ。また誰かが暴れているのかと、ひょいと外を覗く。すると、おびただしい数の幻光蝶が、店の前を通り過ぎていくのが見えた。






「……くそっ!!」






 東雲さんは幻光蝶を目にすると、弾かれたように駆け出し始めた。先程の動きからは想像できないほどの俊敏な動きで、あっという間に店を出ていってしまう。






「え!? 待って!」






 慌てて私も後を追う。けれども、東雲さんの後ろ姿はもう見えなくなっていた。まあ、蝶を追えば見つかるだろうと走り出す。


 ――そうして、蝶に誘われるように辿り着いた先。そこは、大通りだった。


 東雲さんの姿を探して、周囲を見渡す。その間も、其処此処から蝶が集まり、周囲を埋め尽くさんばかりの勢いだ。……こんなんじゃ東雲さんを探すところじゃない!






「東雲さん、どこなの!」






 思わず大声で叫ぶ。すると、驚いた蝶たちが一斉に空に向かって舞い上がった。


 すると光る蝶のカーテンの向こうに、東雲さんの姿を見つけた。ほっとして駆け寄ろうとするも、徐々に見えてきた光景を目にして足を止める。






「どういうこと……?」






 頭が混乱して何がなんやら理解出来ない。


 ――なぜなら、東雲さんの足下で、青白い顔をした男性が頭から血を流して倒れていたのだ。

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