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過去の魔女、聖なる復讐者

 子供の頃、魔女を助けたことがある。




 それが、老鍛冶師アデルの最も古い記憶だった。




 当時のアデルといくつも違わない少女が、村の裏手の森で行き倒れていた。




 透き通る銀色の髪。


 幼くも、神、否、悪魔が手ずから造型したかのような相貌。


 喪服のように黒い服。


 金木犀の淡い香り。


 唯一の持ち物は、トネリコの杖。




 外見だけなら、不幸を運ぶ不吉な魔女とは思えない。




 名前はそう……。フィオナ。フィオナだ。




 空腹で倒れた自称魔女の少女――フィオナへ、大人たちには秘密で食事を与え……そのあと、どうしたのだったか。




 意識が霞み、思考がまとまらない。




 けれど、どうして、脈絡もなく魔女のことを思い出してしまったのか。それだけは、分かった。




 終わりが近いからだ。




 アデルの意識が、現在に。そして、現実に戻る。




 村が、燃えていた。


 昨日まで。否、ほんの数時間前まで平和だった村が、炎に包まれていた。欲望と絶望を燃料にして、夜闇を金と朱に染め上げている。




 村が、怪物たちに蹂躙されていた。


 昨日まで。否、ほんの数時間前まで平和だった村が、ゴブリン、オーガ、オーク。怪物たちの欲望を満たす宴の舞台となっていた。




 村人の顔は、全員思い浮かべることができる。そのうちの何人が、逃げ延びただろうか。


 孫娘は、頭から食われた。息子夫婦の悲鳴は、もう聞こえない。




 ずっと寄り添っていた妻は、数年前に泉下の客となっていた。


 幼なじみで、散々苦労をかけたが、この光景を見せずに済んだ。それだけが、救いだった。




 アデル自身、鍛冶場を出たすぐ先で、地面に倒れ伏していた。


 心血を注いで鍛え上げた剣を砕かれ、体の中心には穴が開いている。




 老いてもなお壮健だった肉体は悲鳴を上げ、呼吸をするだけで激痛が全身を貫く。




 それでもアデルは、老人にしてはかなり大柄な体を伸ばし、半ばから折れた剣を掴もうとしていた。




 生きている限りは、諦めない。せめて、一人だけでも道連れに。


 復讐というだけではない。


 無論それもあるが、少しでも、次の被害者が減るように。




 アデルは、最後の力を振り絞り――




「フフンッ。あのときの幼子が、良く育ったものだね。祝福あれ、無垢なる魂。呪いあれ、我が肉体」




 ――その指先が、小さくて柔らかな手に包まれた。




「ボクは、過去の魔女。すべてにおいて手遅れで、肝心な場面に間に合ったことがない」




 自虐でも、もちろん、自慢でもなく。


 銀と黒の少女が、淡々と事実を告げる。




「それでも、ボクには力がある」




 しゃがみ込み、目線を合わせて言った。




「久しぶりだね、アデル」


「フィオ……ナ……?」




 その名が、自然とアデルの口をついて出た。


 そっくりだった。あのときと、なにも変わっていない。




 透き通る銀色の髪。


 幼くも、神、否、悪魔が手ずから造型したかのような相貌。


 金木犀の淡い香り。


 喪服のように黒い服。


 唯一の持ち物は、トネリコの杖。




 今となっては。否、今でも、孫娘と同じぐらいの少女。




 いつ、どこから現れたのだろう。


 朦朧とする視界の向こうに、行き倒れの魔女が、そこにいた。




 アデルにとっては、初恋の少女が。




「恩には恩を仇には仇を。魔女の掟に従い、借りを返しに来たよ」




 少女は、優しくにっこりと微笑んだ。


 何十年も前。黒パンと苔桃のジャムを手渡した、あのときと同じように。




 だが、久闊を叙するのは、そこまでだった。




「キミの願いは分かっている。けれど、叶えるには、過去の恩義だけでは足りない。代償が必要だ」


「なにを払えばいい……」




 アデルは、間髪を入れずに問い返した。


 早くしなければ。終わってしまう。なにも渡せなくなってしまう。




「キミの歴史、時間――即ち、魂」


「持って行け」


「受け取った」




 迷いも惑いもない。打てば響くようなやりとり。




 過去の魔女が、蜘蛛の糸のように指を絡める。


 そのとき、アデルの全身が青い光に包まれた。




 闇夜に輝く、綺羅星の如き光。


 怪物たちに、気づかれるのではないか。




 そう不安を感じたのも、つかの間。アデルを覆った青い光が、すべてフィオナへ吸い取られた。




 絡めていた指を解き、ステップを踏むように踊り、トネリコの杖を天へ掲げる。


 今度は、魔女の小さな体に光が集まり、輝き、収縮し、霧散した。




 フィオナに訪れた変化は、些細なもの。




 ほんの少し。指一本を横にした分だけ、魔女の背が伸びていた。


 成長した。




 それだけ。




「フムン。まだまだ足りないね」




 言葉の割には満足そうに、深く息を吐く過去の魔女。




「時を巻き戻したよ」




 魔女――フィオナは、事も無げに言った。




「今は昨日だ。キミ以外のすべてが元通りさ」




 アデルは、起き上がりながら、呆然と周囲を見回す。




 村を包んでいた炎が消えていた。いや、最初から、そんなことは起きていなかった。


 怪物たちも、一人残らずいなくなっていた。死んだわけではない。人も怪物も問わず、死体も残っていない。




 夜闇は静かに村を抱き、その腕の中で、村人たちは安らかな眠りについていた。




 けれど、決して、夢などではない。




 瞳に焼き付いた、炎と頭から食われた孫娘。


 耳に残る、息子夫婦や村の同胞たちの慟哭。




 生々しい惨劇の記憶は、アデル自身に残っている。




「どうだい? 代償をもらった分の仕事はしたつもりだよ」


「言葉もない……。いや、だが、俺は、なんともないぞ」


「あるさ」




 アデルは、べたべたと己の体に触れる。


 なんともなく、なんともあった。




 体に穴が開いていない。怪我が治っている。




「どういうことだ……」




 わけが分からないと、アデルは自分の両手に視線を落とす。細くはないが、枯れ木のようで節くれ立った指は、みずみずしいそれへと変わっていた。




 まるで、見習いの文字が外れた若い頃のように。




「アデル、キミが閲した時間は、ボクがいただいた。記憶は残る、経験を失ったわけではない。しかし、もはや、それはキミだけのものではないのさ」




 アデルは、わけが分からないとフィオナを見上げた。




「キミがキミの人生において感じた、喜び、怒り、哀しみ。他人と共有したい感情、人には話せない秘密。それらすべては、ボクの契約者である影の国の王へ娯楽として供された。永世者の慰み物となったのさ」




 過去の魔女と名乗った彼女の瞳には、年若い少女が持ち得ない深い深い闇があった。




「同時に、成長した肉体は砂時計を反転させたように巻き戻され……」




 一拍開けて、フィオナは続ける。




「なにより、魂にはボクの花押が刻まれた」




 周囲にまで花が咲きそうな満面の微笑み。


 心の底から嬉しいと、フィオナは瞳を潤ませ、喜色を隠すことなく笑った。




 魔女。




 影の国の王と、あるいは悪魔諸侯と、はたまた外世界の存在と契約を結んだモノ。




 その印が、魂に刻まれた。




 穢らわしい。厭わしい。




 そのはずなのに、アデルは、なにも言わない。なにも、言えない。


 得意げなフィオナと自らの手へ、交互に視線を向ける。




 アデルの胸にあるのは、はち切れんばかりの感動。


 ただただ、奇跡に打ち震えていた。




「フィオナ、俺は……」




 感謝の言葉を口にしようとした、そのとき。




 アデルの手のひらが燃えた。




 熱くはない。けれど、手をこすり合わせても、消えはしない。


 炎は次第に形をなし、最後には太陽を意匠化した聖印が浮かび上がった。




「ラ=メルタ、太陽神よ。ボクのファミリアに、唾を付けようって言うのかい?」




 今は夜。太陽は出ていない。


 にもかかわらず、フィオナは昂然と天を見上げ、呪わんばかりに顔を歪めた。




 しかし、それも長くは続かない。小さく舌打ちをして、視線をアデルへ戻す。




「おめでとう、アデル。今この時から、キミはラ=メルタ神の聖騎士となった」


「太陽神様の聖騎士に……? 俺が……?」


「そう。キミの献身が、覚悟が、決意が。太陽神ラ=メルタに認められた」




 豊穣を司る地神とともに、民衆の素朴な信仰を向けられる太陽神。


 鍛冶師であるアデルにとっても、ラ=メルタ神は身近な存在。




 その偉大なる神に認められたと言われても、まるで実感がなかった。




「とんびみたいなやり口は気にくわないけどね、もらえるものはもらっておこうじゃないか。なにせ、これからが本番なんだからさ」


「そうだ。そうだった」




 昨日に戻っただけ。


 明日には、また、悲劇が起こるのだ。




「さあ! まずは、このちっぽけで取るに足らない。しかし、キミのすべてだった村を救おうじゃないか!」




 フィオナが手を伸ばす。




 アデルは、迷わずその手を取った。




 過去の魔女と、聖なる復讐者。




 二人の伝説が世に広まるには、今しばらくの時間がかかり……。




 ――やがて、不滅のものとなる。

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