悪神演義 -高校は二十歳を過ぎてから-
――正義は醜悪である。
正義を冠せば、すべて暴力で決着できる。
正義を叫べば、人を殺そうとも咎とはならぬ。
むしろ悪を討つ者を英雄と讃えるのが現世の条理か。しかし、正義は討滅すべき悪辣でしか自らの存在を規定できない。
――正義は悪ではない。醜悪なのだ。
契約は成立した。
これより先に義侠は不要である。すべての正義を討ち滅ぼせ。
我が忌名は復讐者。
共犯者よ、ただその猛りに身を任せるがいい。
獰悪こそが貴様の宿業である――
俺の奥底から呼ぶ声がする。その声に導かれるまま言葉を紡ぐ。
「燃え盛るは憎悪。叫ぶ産声は呪怨。招聘――正義の復讐者、《アベンジ》」
身体の奥底から得体のしれない物質が湧きだしてきた。それが俺の背中にあった圧迫感を取り除いた。
溢れ出す衝動は物質となり、火炎の竜をかたどっていく。
身体の芯から燃え上がるように熱い。
俺が召喚したアベンジは激情を吸い上げてさらに巨大化している。アベンジからこぼれて散った火の粉も憤怒に燃えていた。
アベンジの輪郭が揺れる。しかし、確かな悪として存在感を有していた。
少し離れたところでは二人の男がうろたえている。地べたに這いつくばった彼らの服装から拘神管理局だとわかる。それが俺の怒りを助長した。
俺はこいつらに地面に押さえつけられていたことを思い出した。自分の無力さを感じているとアベンジの声に導かれ、今に至る。
先ほどまでとは違い、今の俺は自由だ。気分も悪くない。だれも俺を止める事なんてできやしない。
全能感が満ちていく。
奴らが起き上がって槍を拾い上げた。そして、得物を強く握り、臨戦態勢に入る。
「……拘神目録に該当がない? エクトプラズマの放出量は神核相当――未知のS級拘神か?!」
「こいつが星詠みの予見したバインドで間違いない。執行対象に指定。バインドギア、セーフティ解除。我が半身よ、来たれ。秩序の先兵、《ヴァルキリー》」
二人の背中から青白い炎が湧きあがり、鎧をまとった騎士の姿になった。しかし、二騎合わせてもアベンジに比べると矮小だ。
笑ってやろうと口を開いたが、紡がれた言葉は想像と違っていた。
「拘神管理局か。バインドの出来損ない……なんと醜い。見るに堪えないが、我は正義を謳う貴様らを討たねばならない」
「強烈なエクトプラズマだ。召喚者の自我も取り込んでいる。面倒な……! 相棒、執行だ!」
「わかった。いくらS級とはいえ、発現した直後なら二人でも――っ!」
相手は二人同時に仕掛けてきた。
それは確かな威力をもって放たれた一撃。俺は逃げることなくそれを受け止める。
ドスンと腹に衝撃が走った。
彼らはバインドからして平凡だ。それなりの成績を修めて管理局に入ったのだろう。
そんなこいつらは圧倒的な熱を持つ憎悪や憤怒には届かない。
「腹を貫かれて平然と?!」
「くっ、このっ! ぬ、抜けないぞ?!」
「技量を過信しているのか? それとも、この程度で殺せると? 笑止――ッ」
二本の巨大な槍が俺の腹に生えている。
両方とも深々と突き刺さっており、出血も多い。だが、不思議と痛みは感じなかった。
アベンジが二人のバインドに襲い掛かる。反応する間すら与えずにバインドを食った。
「ひぃっ?! や、やめ――ッ?!」
「くそ、どうなってる! ゲーティアを使わずに召喚したバインドにここまでの力が――」
アベンジのまとっていた炎が膨らみ、二人を焦がした。
訓練をいくら重ねようと現場は別物だ。しかし、それは焼死体には無駄な知識だった。
◆
朝が嫌いだ。
すがすがしい朝日は希望に満ちている。
それは虚構だ。
なぜみんなに均等に降り注ぐといえる?
平等や公平は正当化のためのツールだ。
朝起きると胃もたれ的な気分の悪さがあった。痛いというほどではないが腹に棒でも突っ込まれたようだ。
その感触に首をかしげながら洗面台で顔を洗う。気分は少しマシになった。
テレビのニュースを流しつつ朝の準備をする。いつもは内容を聞いていない。しかし、今朝は聞き流さなかった。
「管理局員二名、焼死。物騒だな……って、通学路じゃないか」
今の社会で一番えらいのは拘神管理局だ。その人間が不審死すれば、大きく取り上げられる。
精神エネルギーを物質化したエクトプラズマが発見されて数十年。エクトプラズマから形成される拘神は精神指向性を持つ存在だ。意志を持ったエネルギー資源と言い換えてもいい。
バインドに絡む技術は生活用のエネルギーだけでなく、武器、兵器にも応用されている。そのため、拘神管理局がバインド関連を一括して管理している。
「……今日の講義、出たくないな」
大学に入って自主休講もそれなりにしてきた。しかし、今日に限って出席重視の講義だった。
気は進まないが、単位は大事だ。
家を出て、いつもとは違う道を歩く。
伊達に三年も通っているわけじゃない。別のルートは知っている。
「あの――っ!」
踏み出した途端、いきなり声をかけられた。
振り返ると女の子がいた。
かなり若い。年齢は十代後半といった所か。腰まで届くような長い髪がつやつやと光っていた。髪は後ろで一つにまとめており、わずかに揺れている。
彼女の胸には拘神管理局の紋章が……いや、それよりもおっぱいの方が気になる。
Fカップ……いや、Gか? とにかく相当なボリュームだ。
おっぱいに釣られるとロクでもない予感がする。というより、拘神管理局に今のタイミングで関りたいとは思わない。
そう考えると少しだけ目の前の少女がかわいそうだ。誤解のないように言っておくが、彼女が美少女だとか、服の上からでもわかるほど大きなおっぱいから出てきた善意じゃない。
「バッジは外した方がいい。だれも拘神管理局と話したいと思わないからな」
「……間違いありません。星はあなたを指し示しました」
「え、星? そういうのは間に合ってるんだが……」
巨乳だし、顔立ちも整っている。その上、ロングヘアも俺の好み。やや気弱そうな雰囲気が守ってあげたくなるようなタイプだ。
頭がちょっとヘンな事を除けば、俺のストライクゾーン真ん中に入ってくる。
年齢の都合、俺がちょっかいを出すと捕まってしまうのはたいへん残念だ。
ここはさっさと立ち去ろう――
「黒澄 武司さん、私たちはあなたを探していました。偽りを討ち払うため、あなたの力が必要です」
「どうして俺の名前を知ってる。俺が拘神管理局に何かしたか?」
俺には彼女の話が理解できなかった。
バインドは十代までにしか発現しないとされている。そのため、未成年の間は定期検診でバインド適性を検査される。しかし、俺はずっと適性なしだったはずだ。
なぜ今さら拘神管理局に興味を持たれたのだろうか?
そんなことを考えていると彼女から光が噴出した。エクトプラズマ、精神の物質化だ。
「……汝は夜の天穹を伝う一筋の極光。零れ落ちる光は見上げた者を眩ませる。輝ける星を抑圧せよ――《シュテルン》」
彼女の出したエクトプラズマが大気を固めて、バインドへと変化していく。
何本もの鎖で拘束された巫女装束の女が形作られていった。
その姿は神々しさを感じさせる。しかし、表情は悲哀に満ちていた。
「私は拘神管理局情報部《星詠み》、観世 皐月。これは《シュテルン》。ふつう、星詠みはバインド召喚をしません。見せたのは私たちなりの誠意だと思ってください」
「これが、拘神……っ?!」
知識として知っていたが、実際にバインドを見たのは初めてだ。
シュテルンというのは本当の名前じゃない。こういったバインドの名前は秘匿名と呼ばれ、真名を隠している。バインド使いの自我がバインドに支配されないために必要だ。
皐月のバインドはすぐに白い破片になって崩れていった。
「黒澄さん、私と……私たちの学園に、来てください!」
同じ学園……中学? 高校?
さすがに二十歳を超えて中高生はない。
「一般で言う所の高校です。大丈夫、ちゃんとサポートするので! 私とおなじ一年生です!」
「いや、全員年下なんだよな……? 年下に敬語を使えと?」
「こういうのは流れですよ。大学生ならウェーイってノリでやっちゃいましょう! ちゃんと謝礼もありますから! 一回だけでもっ! お試し感覚で!」
「いかがわしさが増しただけだよな?!」
「どうです、私の説得トーク?」
えっへんと胸を張ると皐月の巨乳がぽよんと揺れて、強調された。
あざとい。あざといが、かわいい。しかも、彼女は天然でやっているようだ。
くそ、かわいいなぁ!
だが、それとこれとは話は違う。
何が悲しくてもう一回高校生なんてしなくちゃいけないのか。俺はタバコも吸うし、酒も飲む。そんな俺に高校生活は辛すぎる。
特にタバコ吸わないとと手が震えちゃう。だって、おっさんだもの。
「――ちなみにこれは決定事項ですのでっ!」
頭上からバリバリと空気を切り裂く音がきこえてきた。
見上げるとヘリが降りてきている。
高校生活は二十歳を過ぎてから――
さっぱり意味がわからない。だが、拒否権がないということはわかる。
何の罰ゲームかと叫びたいが、あきらめるしかないようだ。
せめておっさんだからといじめられないことを神サマに祈っておこう。