残機∞無限の死に戻り 〜命を増やして難易度『極悪』の運命を切り抜ける〜
水の刻11時。
夜もすっかり更けている。
俺は自分の部屋で、ランプの光を頼りに、宿題もそっちのけで読書を楽しんでいた。
読んでいるのは『ルキトワ冒険記』という、Sランク冒険者ルキトワが魔の山に挑んだときの、実録の冒険譚。
これがなかなか面白い。
涙ありロマンスありのスペクタクル巨編で、おそらく誇張もあるのだろうが、これがリアル体験談だなんて信じられないほどだ。
面白くて、続きが気になって先をどんどんと読み進めて――。
……。
それから30分ほど経っただろうか?
外では野良犬が『おんぎゃああああ!』と、勇ましく遠吠えをあげている。
変な鳴き声だ、と思わず笑いがこみ上がってくる。
「さてと」
46枚目のページをめくったところで第1章が終わった。
犬の鳴き声に笑わされ、物語の区切りもちょうど良かったので、俺は本を置いて、お茶でも淹れてこようかと椅子から立ち上がる。
そのときだった。
そう。いま思えば、このときこの瞬間。
この時間こそが俺にとっての、大きな転機となったのである。
唐突に。
どこからともなく。
こんな声が聞こえてきたのだ。
『君に無限の命を与えてやろう』
「ん? なんだ今の?」
空耳か?
と思ったその瞬間には、俺は見知らぬ森の中に立っていた。
森。
なぜか森。
呆然。
唐突……。
「こ、ここは? いったいどこなんだ?」
そして、今の声はいったいなんだったんだ?
無限の命を与えてやる、だと?
俺は周囲を見回した。
とても不気味な森だった。生い茂る木々の幹がうっすらと桃色に発光していて、景色が分かる程度には視界は明るい。
「木が光ってる。魔力でも宿ってんのかなこれ……」
ベテラン冒険者でも足を踏み入れたことがなさそうな、ものすごい秘境にでも訪れた気分だ。
この俺、ミゲル・ロイエンバッハ。16歳。
今までこんな不思議な体験はしたことがない。
もしかしてこれ、夢なのかな?
たぶん、だとしたら、何も怖がることはないか。
「よ、よし。とりあえず歩いてみるか」
好奇心の赴くままに。
そう思って森を進んでみると、100メートルも行かないうちに開けた場所に出てきた。
あたり一面が薄桃色に発光した、神秘的な広場。
「まるで神話の世界だなこりゃ」
と、そのとき。
視界の端から突然、小さな光の玉がぼんやりと浮かび上がってきた。
その数は7つ。
なんだろう? と思ったら、それらはいきなり俺を目がけて飛んでくる。
「うおっ!?」
光の玉はそのまま俺にぶつかり――いや、ぶつかると思ったら、胸の中に吸い込まれるようにして消えていった。
連撃をくらうようにたて続けに7つ。
光の玉を受け、痺れるような心地よさが全身を駆け巡る。
その後、右腕に突き刺さるような痛みが走った。
「痛っ!」
思わず腕を見てみると、手首から肘へと向かうその道筋に、まったく見覚えのない幾何学模様と『7』という黒い数字が刻印されている。
「なんなんだよこの数字!」
腕をこすってもその紋様は消えるどころか薄くなることすらない。
くそ。
落ち着け。
冷静に考えろ。
推察するに、7という数字はさっきの光の数に対応したものだろう。
7つの光が俺の体内に入った……宿った、とでも言うべきか。
この数字にいったい何の意味が?
わからない。
俺が途方に暮れていると、今度はどこからともなく可愛らしい女の笑い声が聞こえてきた。
「ふふふふ」
おいおい。
いい加減にしてくれ。
今度は女の子のおでましか?
「まったく、次から次へと……」
まあいい。どうせこれは夢だ、と自分に言い聞かせ、俺は声のした方を向いてみた。
光の玉に気を取られて気づかなかったが、そこには巨大な木がそびえていた。
とても、とても大きな木。
大人が10人がかりでとり囲んでも届かないほどに木の幹は太く、頭上にはまるで大聖堂のドームのような形で薄桃色の枝葉がびっしりと張り巡らされている。
その巨木の根本に少女は立っていた。
「どうやらお困りのようじゃな。アンラッキーボーイよ」
派手なワインレッドのドレスに、緩やかなウェーブを巻いた豊かなブロンドの髪。
年は俺と同じくらいだろうか。いたずら好きの小猫のような、見目麗しい美少女だ。
俺は少女に見惚れながらも、とりあえず口を開いてみた。
「えっと。アンラッキーボーイって俺のこと?」
「さよう」
少女はささやかな胸をそらしてふんぞり返る。紅い唇が小さな弧を形作った。
「そなたはここで自分の命――残機を手に入れた。その代わりに幸運のステータスを著しく失ったアンラッキーなボーイなのじゃ。あんだーすたん?」
あんだーすたん、と言われても。
残機?
ステータス?
なんだそりゃ?
そもそもこの子はいったい何者だ?
「ほれ。腕を見てみい。そこに数字が刻まれておるじゃろ? それがそなたの命の数、残機じゃ」
「残機……」
7って数字がそれか?
「今後、そなたはその数字の数だけ死んでも生き返ることが出来る。その命、せいぜい大事にせいよ? 今のそなたは風が吹けば死んでしまうほどの不運の持ち主なんじゃから」
うーん。つまりどういうことだ?
俺は不老不死にでもなったんだろうか?
「なんじゃ? ピンと来んか?」
「うん。何を言ってるのかさっぱり」
「ふむ。そなたは思った以上に頭が悪いようじゃ」
「ぬ。悪かったな」
「よかろう。百聞は一見にしかず。まだ説明の途中じゃが、とりあえず一回元の世界に戻ってみるか?」
「え? 戻れるの?」
「そなたが望めばな」
それはありがたい。小難しい話を聞かされ、そろそろこの夢にも飽きてきた頃だ。
「うん、望む! 俺は一刻も早くこの夢から覚めて本の続きを読みたい」
「ふ、後悔するなよ」
と、少女が言うと、巨木の幹の表面がポッカリと口を開き、黒くて深い穴が穿たれた。
「ほれ。とっとと出て行くがよい」
「ここを抜ければいいのか?」
俺はおずおずと片足を穴に突っ込んだ。少女が意地悪そうな笑みを浮かべる。
「最後によく聞け」
「ん?」
「そなたは目を覚ましたあと、必ず一度は死ぬことになるじゃろう」
「え? 死ぬ?」
最後の最後に聞き捨てならない言葉が飛び出てきた。
「ちょっとそれ、どういうことだ?」
「死んで、残機を失い、残機がゼロになったら、そなたの人生はそこで完全終了じゃ。気をつけよ」
なんだ。その物騒な話は。
「待て。その部分、もうちょっと詳しく教えて」
「ははは。今さら何を言う? この扉を開いたからにはもはや後戻りはできん」
「ええっ! なんだよそれ!」
「元の世界へ戻ると言ったのはそなたじゃろうが。幸運を失った人生の最高難易度『極悪モード』を嫌というほど堪能するがよいぞ」
「おい、まて。お前、いったい何者なんだ!?」
「ふ。我が名は魔王ロザリンド。残機が余れば、また会うこともあろう。せいぜい命を大事にせいよ?」
★ ★
「……はっ!?」
気づくと、俺は自分の部屋にいた。
椅子から腰を浮かせ、ぼうっと突っ立っている。
夢だとは思っていたが、まさか立ったまま白昼夢を見ていたとは。
「なんだったんだ今のは?」
残機。
極悪モード。
死……。
やけにリアルな夢だった。
なんとなく、壁にかけてあった時計を見てみる。
水の刻11時40分。
「そうだ。俺、お茶を淹れてこようと思ってたんだっけ」
うん。
お茶を淹れて、本の続きを読まなきゃ。
夢のことはもう忘れて、読書の続きと洒落込もうじゃないか。
そう思って、俺は部屋のドアの方へと振り向いた。
否、振り向こうとしたんだ。
ガツっ!
「うっ!」
後頭部に鈍い衝撃を受けて、俺はその場にうずくまる。
あれ?
いま、何が起こった?
後頭部に触れてみる。ドロリと生暖かい感触がする。手のひらを見てみると、信じられない量の血が付着していた。
あれ、れれれれれ?
なんだこれ?
俺の、血?
痛い…いたい……。
「あららー。急に動かないでよぉ。手元が狂っちゃったじゃない」
と。
後ろから、のんきな女の声が聞こえてきた。
「手元が、狂っただと……」
「もう少しいたぶりたかったのになぁ。もしかして即死した?」
何を言ってるんだこの女は。
即死だって?
唐突すぎるだろ!
つーか、この女、誰……。
頭が痛い。ぼうっとする。
なんでなんで……。
意味がわからない。
俺はここで――し、ぬのか……。
……。
★ ★
次の瞬間、俺は我に返る。
「えっ!?」
『おんぎゃああああ!』
家の外では野良犬が遠吠えをあげ、俺はまるで何事もなかったかのように椅子に座っている。
ルキトワ冒険記46枚目のページを今にもめくろうとしていた。
……?
「ちょっと待て」
犬の遠吠え。46枚目のページ。
この光景には見覚えがある。
ちらりと時計を見てみると――水の刻11時31分。
「……」
おいおいおい。
まさか……。
俺は、ふと思うことがあって自分の右腕を見てみた。
手首から肘へと向かうその道筋――。
そこには幾何学模様と『6』という黒い数字が刻み込まれている。
「減ってる。嘘、だろ?」
残機。
命の数……。
あれは、夢じゃなかったのか?